![Simg_0185t Simg_0185t](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/03/a748b7a1f6537bbaf7e48c0e6faa7ed7.jpg)
ブログだから打ち明けられる話です。
私の一族は、酒を呑めない者が多く、なかでも父はまったくの下戸でございました。
お猪口半分ほども呑めば、真っ赤な形相になり、息苦しそうにして横になってしまいます。
仕事関係の方々も承知してくれていて、酒席は少なかったようです。かりにそのような羽目になっても、ほとんど呑まずに帰ってまいりました。
ただ一度だけ、父の大狂乱を見たことがございます。
どれほど呑んだのか知りませんが、すっかり仕上がった様子で帰ってまいりました。
いつもより饒舌ではありながら、気分が悪い風でもなかったので、それほどの量を呑んだとも見えませんでした。
ところが驚いたことに、家に入るやいなや、「踊る!」と言いはじめ、素っ裸になったのでございます。
私たちは呆気にとられ、声も出せませんでした。謹厳な父でしたので、思いもしない光景でした。
もっとも驚いたのは母だったようです。笑いながらも、腰が抜けたような状態でございました。
弟にお盆を持ってこさせ、踊りとも言えぬ妙な手つき腰つきで踊り、ほんの1~2分ほどののち、バタンキューと倒れました。
醜態と言えば大醜態なのですが、私たちは別な父を見ることができたのでした。
母は小言や苦情を言いませんでした。父の意外な一面を、歓迎していたようにすら見える母でした。
そのような父の子供でしたから、私の弟たちも下戸に近い実力です。
私もまったく駄目でした。
母は酒を苦手としていた私を、心配していたようです。多少は呑めた方がいいと思っていたような節がありました。
私の帰省のおり、こっそりとお燗をつけてくれたりしたこともありました。
「男なのだから、少しは呑めなくてはね」と、言われたこともございます。
だからといって、すぐに呑めるようにはなれるものではありません。
ビールですらグラス半分で気分が悪くなり、汚い話で恐縮ですが、「小間物屋」の店開きをしてしまう有様でした。
ところが、「小間物屋」を幾度となく繰り返しているうち、少しずつ酒量が進み、いつの間にか大酒呑みと言われるほどになっておりました。進化したのか堕落したのか。
「酒は吐きながら強くなる」という話を、地でいったわけでございます。
もちろん酒を呑んでいただけではありません。口幅ったいことを申し上げれば、高度成長時代の一戦士として、気概をもって働いていもおりました。
一方では、家庭を顧みなかったことに、今も心塞がれる思いがあります。これは私の密かな反省でございます。
やがてカラオケの時代がまいりました。酔いにまかせ、調子はずれの歌を夜な夜な歌い歩く不行跡を、かなり長い間続けておりました。
カミさんの立場から言えば、とんでもない遊び人だったかも知れません。
しかし、もとより強い体質の私ではありませんでした。過激な酒と仕事が祟り、当然の報いとして、体調が乱れ始めたのでございます。
慌てて酒量を減らそうと努力しましたが、習慣とは恐ろしいもので、もはや一朝一夕で断酒はおろか節酒もままなりませんでした。
そのころ自戒の気持ちをこめて、「酒二合 我がはらわたの処方箋」を作りました。
酒に魅入られてしまってからではもう遅かったのです。ついには病を得てしまいました。
今度こその決意を込めて、「川柳もどき」をご披露する次第でございます。
「二合までは許容する」、という意地汚い中途半端さ。
そんな優柔不断な私を、私自身が咎めている昨今でございます。
酒二合 我がはらわたの処方箋 鵯 一平
(写真はイメージ写真を使用しました)
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