![Simg_2150ta Simg_2150ta](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/26/822bd28b1204321d618cbdbd8f9cad25.jpg)
だいぶ暖かくなってきた。
ブログ友から、「あの紅梅はもう満開か?」との問いかけもあるので、昨日、また行ってみた。
状況はご覧のとおり、三分咲き程度だろうか。
木によっては、依然として固い蕾のままだ。
まあ、それだけ今後も楽しめるということなので、ありがたいことだとお天道様に感謝している。
一昨日、仕事場で幾人かの後輩と会った。
多忙な業務を抱えている連中なので、それぞれ長い時間ではなかった。
私の病後を知って、励ましや慰めの言葉をかけてくれた。ありがたいことだ。
そんな中の一人。
「先輩はもう70歳を越えていますよねえ」
「うん」
「仮にまたガンになり、見逃されて転移したとしても、5~6年は大丈夫でしょうから、男の平均寿命ぐらいにはなりますよ。そう思えば、気が楽じゃありませんか」
つまりその後輩は、とんでもないことを言っているのだ。
しかし、私は一向に気分を害さない。
「そりゃあそうだよなあ」
顔も変えず、不得要領なことを言っている私。
とんでもないことを平然と言っている後輩も無神経な奴だが、その言葉を受け流している私も、かなり変な奴かもしれない。
どうやら言葉とは、そのようなものらしい。
言葉は相手との距離や関係によって、及ぼす作用が異なってくるようだ。
相手が気に食わぬ奴なら、美辞麗句を並べられても癪に障る。逆に許し合える関係なら、無神経なセリフにも腹が立たない。
人間という奴、かなりいい加減ではなかろうか。
とは言え、もっとも許し合っているはずのカミさんの言葉に対し、場合によってはブチ切れることがある。
だとすれば、距離だけでもなさそうだ。
難しいなあ。
飾った物言いをすれば、「心の許容力は相手次第で、強くも弱くもなる」らしい。
そんな言葉の方程式をみんな無意識に使って、世の中を巧みに泳いでいるのだ。
賢いねえ。
ところで話は異なるが、漁船とイージス艦との衝突事件。
某紙の朝刊の見出しに、「テロだったらどうする?」とあった。そのような電話やメールが多いという紹介記事である。
その言葉の裏側に、「漁船だったからよかったものの……」というニュアンスを嗅ぎ取ってしまうこともできる。
もちろん、そのようなことはあり得ないのだが、曲げて読もうとすれば読めてしまうところに、言葉遣いの難しさがある。
言葉は恐ろしい。
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