新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

日本は農耕民族

2008年02月09日 07時02分37秒 | 社会・世相

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温室のカトレア  2007年12月10日

 昨年12月、入院の直前に市内の温室で撮った蘭。真っ盛りのいい顔を見せてくれた。   

 会社は誰のものか?

 時折、そのような設問が出る。

 ビッグバンやら経済の国際化が叫ばれてから、議論されることが多くなったように思う。

 それ以前の私たちに、そのような設問の機会は少なかった。

 考えて見れば、株式会社は株主の出資によって成り立っている。

 だから、「会社は誰のもの?」という問いに対しては、「株主様のものです」となるのは当然。

 だがやはり、会社はお客さまあっての会社であり、社員あっての会社なのだ。

 株主を無視してよいと言っているのではない。

 社員を大切にし、会社と社員が一丸となってお客さまサービスにあたってこそ、効率化や経済化が図られ、合わせて品質やサービスの向上が得られるのではなかろうか。

 結果として、株主は美味しい果実を手に入れることになる。

「武士は食わねど高楊枝」とはいかない。

「食足りて礼節を得る」の一面は否定出来ない。

 社員の礼節、つまり志気やモラルの向上があってこそ、効率化やサービス・品質の向上が図られる。

 社員はマシンではない。心を持っている。

 社員の心を無視しては、経営の刷新はできない。 

 外資の日本企業買いも流行った。

 村上フアンドやホリエモンの企業買収劇もあった。

 あの動きに、私は苦々しい感じを持った。

 会社の売り買いの損得ばかりが見えて、働く社員に対する心配りが見えなかった。

 あのようなことで、いい結果は得られない。

 「お客様あっての会社」や「社員あっての会社」の考え方を根強く残さない限り、日本では成功しないのではなかろうか。

 その面から言って、終身雇用は優れた雇用形態だと思う。

 肝腎なことがある。

 会社が崩壊しては元も子もない。社員は路頭に迷い、株券も紙くずと化す。

 競争力のある強い会社つくりがベースにあることを忘れてはならない。

 社員が安眠をむさぼるのみでは、会社自体が成り立たない。

 社員の一人ひとりが、ボートの漕ぎ手であることを忘れてはなるまい。

 今から孫に会いに行く。

 イソイソとしたおじいちゃんです。

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コメント (16)
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