新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

女らしさは素晴らしいのに!

2008年02月01日 11時01分05秒 | 身辺雑記

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紅梅  2007年2月9日

 退院後間もないので、慎重を期して外出は控えている。
 したがって、写真は蔵出しもの。

 

 10日間余の入院生活で、病院のみなさんには大変な世話をかけてしまった。

 とりわけ病棟の看護婦さんには、昼夜を問わず親身になって看護して頂いた。

 独身時代は、「白衣の天使」として憧れていたが、「後期高齢者」に近い今は、可愛い孫世代の娘さんたちの献身的な行動力に、私は感謝と賞賛を惜しまない。

 その「看護婦」さんも、今は「看護婦」とは呼べない。

 呼び方としては「看護師」が正しいのだ。

 胸の名札は、「看護師 ▲□ ○◎子」となっている。

 法律上の呼称は、「看護師」や「助産師」と表記されているのだ。

 もっとも、当の本人たちは、自分を「看護婦」と呼んでおり、上司を「婦長さん」と呼んでいる。これにはホッとした。

 なぜそのような事態になったのか、詳細には承知していない。

 基本的には、「男女同権」の意識に発した「男女雇用機会均等法」や「ジェンダフリー」の考えが、影を落としているのだろう。

 いつの間にか、看護婦が看護師、助産婦が助産師、スチュワーデスが客室乗務員となった。

「看護婦」や「助産婦」や「スチュワーデス」という呼び名を、今までも、私は蔑称として使っていない。

 むしろ、感謝や憬れや親しみや敬意をもって呼んでいた。

 男の看護職に対する呼び方は、「看護士」でいいではないか。

 助産婦は助産士、スチュワーデスはスチュワードと呼んで不都合はあるまい。

「女らしさ」を求め過ぎた男社会に対し、女性たちの反乱なのだろうか。

「ジェンダフリー」の先頭に立っていそうな人たちの顔が、そこここに見え隠れする。

 男には「男らしさ」を、女には「女らしさ」を求めてはいけないらしい。

 やはり、「女らしさ」を求めることで女性の隷属を強いた「男社会」が、このような反発を招いているのだろう。

「ジェンダフリー」運動の一環として、行き過ぎた性教育も云々されている。

 常軌をを逸していると感じているのは、固陋な考えなのだろうか。

 間もなく雛祭りがやってくる。

 なんとも優しげな、「明かりを点けましょ、雪洞に……」の旋律は、いつ頃まで聞くことができるのだろうか。

 ここまで反発されながら、まだ理解できていない私のような男がいる限り、「ジェンダフリー」の運動は続くのか。

   

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コメント (8)
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