この写真も蔵出しもの。平成13年12月17日の裏磐梯。
夕焼けを待っていたのだが、西空に雲がなく、太陽はあっさりと沈んでしまった。
もっとも、おあつらえ向きに焼けてくれることなど、ほとんどない。
それでも満足して帰ってくる。そんな繰り返しだった。
高校時代、私は汽車で通学していた。
海岸沿いの小さな町から、大工場地帯の市街駅まで、汽車で約1時間弱の所要時間だった。
チラチラと女子高生に視線を走らせながらの、それなりに楽しい時間だった。
当時の高等学校は、学制改革によって「旧制中学校」が「新制高校」になったばかりだった。
終戦直後のこともあって、校風は荒れていたように思う。
乱暴者も多く、暴力行為はありふれた茶飯事だった。
小さな町だったが、私が通学した高校には毎年10人ほど入学し、ほぼ同じ数が卒業していった。
4月のはじめころ、海岸の砂浜で、新入生の自己紹介が行われる仕来りがあった。
実のところそれは名ばかりで、新入生の眼前で、3年生の集団による2年生に対するリンチだった。
1~2名の2年生に対し、3年生の数人が殴る蹴るを行い、挙げ句の果てに海に放り投げ出したりしたのだ。
まことに野蛮な行為なのだが、闇の中で行われるので、新入生には効き目のある光景だった。
3年生の数人は、ボクシング部、柔道部、ラグビー部などに所属する乱暴者であり、リンチの対象には、乱暴者になりかけの2年生が狙われたようだ。
つまり、3年生たちは、「出る杭」を打っておきながら、1年生を脅しておこうという算段だったのだ。
実に効果的なリンチだった。
しかし蛮行には違いなく、私は密かに、「我々が3年になったら、このようなことは止めような」と、同級生の幾人かと話していた。
だが、その前に、私にも2年生の段階があった。
次の年、私はマークされてしまった。
しかも対象者は私だけらしく、同級生から3年生たちの企みを聞かされた。
さあ、弱った。
柔道部に所属していた私は、目障りだったらしい。
おめおめとリンチされるワケにはいかない。
当日欠席したのでは沽券にかかる。
よくよく考えた末、リンチを企んでいると思われる3年生に、直接、事前対応を試みた。
「オレを殴らンでくれ」、と言いに行ったのである。
「どうしてもやるンならやってもいい。しかし、校長にバラしてやる!」
情けない話だが、私はそのように言った。
その3年生は面食らったようだったが、
「今さらそうもいかないんだ。イヤだったら休め!」、という処まで話を詰めることができた。
と言っても、休むのは「敵前逃亡」なので、私としてもいさぎよくない。
当日まで悩んでいたら、その日は朝から大雨。
「今日の自己紹介は中止だ」、という連絡があった。まさに、慈雨だった。
3年生たちも私も、雨によって救われた。
私たちが3年生になってから、「自己紹介」の悪習をやめることにした。
私の人生にとって、数少ない善行の一つだった。
今日は娘のほうの孫と会って来ます。
誕生日なのです。(イソイソ、イソイソ……)
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