kan-haru blog 2008
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諏訪神社2008年例祭
氏子の諏訪神社2008年の例祭は、5月24、25日で孫が泊まりがけで遊びに来ましたが、今年は天気がくずれ初日の夕刻から翌日の午前中が雨にたたられました。
大森西3丁目連合町会お神酒所
5月中旬から6月に掛けての土・日は夏祭りのシーズンで、あちこちの神社で祭囃子が聞かれますが他社の例祭が中止とかで、諏訪神社例祭では祭りを盛り上げる屋台の出店数が例年より多く並んで賑わいを見せました。
諏訪神社本殿とお神楽殿
諏訪神社には、大森に移り住んできた1936年(昭和13年)から氏子となり、遊びにきた孫の親は他区住まいで現在は氏子ではありませんが、小学時代は神社門前にある大森第2小学校へ通っていましたので、当時は露天での買い物が50円でしたので朝から晩まで詰めていられた時代でもありました。現在では、買い物が1回あたり300円となり、貰ったお小遣いはあっという間に空っぽとなります。
例年より多い露天出店の諏訪神社例祭
町会神輿物語
・戦時神輿
戦時中の小学生時代のお祭りは賑やかには催されず、当時は物資不足で露店などを見られる時代では無く、ただ軍事色で出征兵士の武運長久の祈願の神社祭事的に行われました。
当時は子供の人口が多い時代でしたが、一般の人心はまだ豊かさをもって助け合い過ごしていました。娯楽のない子供たちを喜ばそうと、当時隣組の床屋さんが子供樽神輿を仕事の合間に手造りで仕上げて、祭日当日には借家住居1階の事務所後を臨時御神酒所として、隣組(現在の町会)の子供達を集めて神社まで喜んで神輿担ぎを行いました。
この俄か子供神輿には後日談があり、本来神輿は神社に届出して祀りごとの仕来たりを執り採り行う必要があるのですが、隣組では子供たちを喜ばせればとの気持ちだけで進み、お小言を頂戴しましたが、何とか交渉で祭日には神輿を氏神様の諏訪神社へと担ぎ込みが出来、当時の暗い時代の中で仄かな想い出の戦時神輿(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 諏訪神社その3」2006年参照)物語があります。
戦時下のもの悲しい想い出の手造り樽神輿
・庭に入ってきた神輿
諏訪神社大森西連合町会には、大人神輿は無く子供神輿と曳き太鼓のみと寂しい状況です。そのかわり子供神輿と曳き太鼓ならば、町会内の細い路地でも入れます。15、6年前に、私宅前の路地の神輿巡行時に、たまたま所定の休憩所が使用できず、その年は臨時に庭を休憩所としました。その時には、長男の孫が「驚いたな! お神輿がお家に入ってきた」と大喜びをしたことも祭り神輿(同上諏訪神社その3参照)の想い出も一駒です。
驚いたな! お神輿がお家に入ってきた
・大森警察署建屋内が神輿巡行ルート
大森東町会の神輿は、大人神輿、子供神輿と曳き太鼓があり、いつの頃からか第1京浜国道三叉路にある大森警察署の建屋内に入るのが巡行ルートとなっています。
休憩中の東町会神輿巡行
神輿巡行ルートの終わりに近い、城南信用金庫大森店道路から第1京浜国道大森町交差点に出た歩道が休息場所で、休息後ここから大森警察署の玄関へと進みます。
大森警察署内巡行の神輿
今年の子供神輿の担ぎ手には、子供の姿は見えず時代の様変わりで、戦時中の神輿に群がる子供たちを見た世代からは侘びしく思います。
さて、今年も休息を終えて大森警察署内への巡行神輿の出発です。国道の歩道を北上して警察署玄関入口で、神輿を傾けてエントランスホールへ入ろうとしましたが、担ぎ棒が閊えて中に入れません。よく見ると、担ぎ棒が昨年と比べてがっちりと太くなっており、入口より大きくなって入れません。急遽、担ぎ手を子供神輿に移らせて巡行神輿が目出度く警察内に入り、安全を祈願し平和を願ってお神酒所へと戻って行きました。
警察署内への祈願神輿(左:神輿がはいらないぞ、中:子供神輿と交代だ、右:警察署内で安全祈願)
大森警察署エントランスホール内に入った神輿(2006年、2007年)風景。
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・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(6月分掲載Indexへ)
・カテゴリー別Index 大森町の社寺総目次 へ
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諏訪神社2008年例祭
氏子の諏訪神社2008年の例祭は、5月24、25日で孫が泊まりがけで遊びに来ましたが、今年は天気がくずれ初日の夕刻から翌日の午前中が雨にたたられました。
大森西3丁目連合町会お神酒所
5月中旬から6月に掛けての土・日は夏祭りのシーズンで、あちこちの神社で祭囃子が聞かれますが他社の例祭が中止とかで、諏訪神社例祭では祭りを盛り上げる屋台の出店数が例年より多く並んで賑わいを見せました。
諏訪神社本殿とお神楽殿
諏訪神社には、大森に移り住んできた1936年(昭和13年)から氏子となり、遊びにきた孫の親は他区住まいで現在は氏子ではありませんが、小学時代は神社門前にある大森第2小学校へ通っていましたので、当時は露天での買い物が50円でしたので朝から晩まで詰めていられた時代でもありました。現在では、買い物が1回あたり300円となり、貰ったお小遣いはあっという間に空っぽとなります。
例年より多い露天出店の諏訪神社例祭
町会神輿物語
・戦時神輿
戦時中の小学生時代のお祭りは賑やかには催されず、当時は物資不足で露店などを見られる時代では無く、ただ軍事色で出征兵士の武運長久の祈願の神社祭事的に行われました。
当時は子供の人口が多い時代でしたが、一般の人心はまだ豊かさをもって助け合い過ごしていました。娯楽のない子供たちを喜ばそうと、当時隣組の床屋さんが子供樽神輿を仕事の合間に手造りで仕上げて、祭日当日には借家住居1階の事務所後を臨時御神酒所として、隣組(現在の町会)の子供達を集めて神社まで喜んで神輿担ぎを行いました。
この俄か子供神輿には後日談があり、本来神輿は神社に届出して祀りごとの仕来たりを執り採り行う必要があるのですが、隣組では子供たちを喜ばせればとの気持ちだけで進み、お小言を頂戴しましたが、何とか交渉で祭日には神輿を氏神様の諏訪神社へと担ぎ込みが出来、当時の暗い時代の中で仄かな想い出の戦時神輿(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 諏訪神社その3」2006年参照)物語があります。
戦時下のもの悲しい想い出の手造り樽神輿
・庭に入ってきた神輿
諏訪神社大森西連合町会には、大人神輿は無く子供神輿と曳き太鼓のみと寂しい状況です。そのかわり子供神輿と曳き太鼓ならば、町会内の細い路地でも入れます。15、6年前に、私宅前の路地の神輿巡行時に、たまたま所定の休憩所が使用できず、その年は臨時に庭を休憩所としました。その時には、長男の孫が「驚いたな! お神輿がお家に入ってきた」と大喜びをしたことも祭り神輿(同上諏訪神社その3参照)の想い出も一駒です。
驚いたな! お神輿がお家に入ってきた
・大森警察署建屋内が神輿巡行ルート
大森東町会の神輿は、大人神輿、子供神輿と曳き太鼓があり、いつの頃からか第1京浜国道三叉路にある大森警察署の建屋内に入るのが巡行ルートとなっています。
休憩中の東町会神輿巡行
神輿巡行ルートの終わりに近い、城南信用金庫大森店道路から第1京浜国道大森町交差点に出た歩道が休息場所で、休息後ここから大森警察署の玄関へと進みます。
大森警察署内巡行の神輿
今年の子供神輿の担ぎ手には、子供の姿は見えず時代の様変わりで、戦時中の神輿に群がる子供たちを見た世代からは侘びしく思います。
さて、今年も休息を終えて大森警察署内への巡行神輿の出発です。国道の歩道を北上して警察署玄関入口で、神輿を傾けてエントランスホールへ入ろうとしましたが、担ぎ棒が閊えて中に入れません。よく見ると、担ぎ棒が昨年と比べてがっちりと太くなっており、入口より大きくなって入れません。急遽、担ぎ手を子供神輿に移らせて巡行神輿が目出度く警察内に入り、安全を祈願し平和を願ってお神酒所へと戻って行きました。
警察署内への祈願神輿(左:神輿がはいらないぞ、中:子供神輿と交代だ、右:警察署内で安全祈願)
大森警察署エントランスホール内に入った神輿(2006年、2007年)風景。
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