
kan-haru blog 2008
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さくらんぼ狩り
小学生の孫が、授業参観の振替により6月15、16日の日曜と月曜が休みになったので、山形のさくらんぼ狩りに親子3代で行ってきました、天気に恵まれた楽しい一泊旅行のものがたりです。
さくらんぼは全国の生産量の約1万9千トンのうち74%が山形県で収穫され、品種改良された佐藤錦とともに、山形県はなんと云っても「さくらんぼ王国」ですので、初のさくらんぼ狩りには日本の宿と人気の上山温泉に行きました。
上山温泉
上山温泉(上山温泉地図参照)へは、東京駅発8時8分の山形新幹線つばさ105号で、10時51分にかみのやま温泉駅着です。初日は、夕刻までゆっくりと上山市を散策して予約の古窯温泉に入ればよいので、蔵王連峰の山麓にいだかれた駅前の温泉街らしくない平地の町を目的なくお城が見える方向に、山形の名物であるお蕎麦を昼食にしようと探しながら散策をはじめました。

かみのやま温泉街風景(左:かみのやま温泉駅、中:眉川橋から見る上山城、右:上山城入口案内のやぐら)
かみのやま温泉駅前から斜めに進み広い通りに出ると荒町川があり、その川の眉川橋を渡ると右側の川岸に前川の足湯があります。かみのやま温泉には、五ヶ所の足湯があり、蔵王の山並みや市街を見ながらかみのやま市民とのふれあいが楽しめます。足湯のある川岸は、昔栄えた最上川舟運の船着場があったそうです。
川から北に向かうと広い四つ角に出て右折するとすぐ、街の案内をしてくれる上山まちづくりセンターがありましたので、そこでかみのやまの観光などの情報を聞きました。

かみのやま温泉街風景(左:上山温泉街のお菓子屋、中:上山温泉街のおそば屋、右:三島坂 上山温泉街は坂が多い)
通りを行くと四つ角の左側に上山城入口案内のやぐらが見え、その対面には上山そばの達人7人衆の1つのおそば「一力」があったので昼食に入りました。山形のうまいものの1つには地元産そば粉を使用したおそばがあり、かみのやまのラーメンもまた近隣の町のなかでおいしいと知られている一品で、各人思い思いのおそばの味を楽しみました。
上山城
上山市のシンボル上山城(かみのやまじょう 上山城沿革)は別名月岡城と言い、1535年(天文4年)に米沢盆地と山形盆地の中央にある上山盆地にある丘陵天神森に作られた平山城であり、山形の最上氏と米沢の伊達氏が、しばしば衝突した地であります。
現在の上山城は、1982年(昭和57年)に建てられた郷土博物館で、歴史・自然科学・産業の資料を展示してあります。現在の五層の近世風天守閣は、旧城の建造物とは関係がなく、場所も城内ではあるが二の丸の南に建てられています。

1982年に建てられた現代の上山城
上山城へは三宅坂を上ると正面に天守閣を控えた入場門があり、入場料は一般大人が400円、小・中学生が50円で、1階から4階までエレベータで眺望が抜群の天守閣展望台です。

上山城天守閣展望台からの眺望(左・中・右蔵王連峰写真拡大)
3階には、先史・古代・中世の上山の移り変わりが、2階には近世・近代の上山に関する展示資料が見られ、1階では、五面マルチスクリーンで上山の四季などの迫力ある映像が楽しめます。
また、1階では、さくらんぼストラップを手作りするのコーナーがあり、皆で個性豊かなさくらんぼ作りに励みました。

手作りさくらんぼストラップ(左・右写真拡大)
武家屋敷
上山城の眺望のよい2つ目の足湯を脇に見て、月待坂をのぼり三島神社(由緒)を通り抜け、上山城の裏手の旧本丸跡に建てられた藤井松平家の初代利長と二代信一が祀られている月岡神社を通り、上山小学校を過ぎたあたりで武家屋敷のある「中の坂」の道に突き当たります。

武家屋敷通りへの道すがら(左:三島神社、中:月岡神社、右:武家屋敷通道標)
この道を右に進むと、上山温泉の湯町ブロックです。湯町とは反対方向に行くと、四軒ある武家屋敷が残されています。

武家屋敷通りを左に曲がると左側に明新館跡の石碑が建っております。明新館跡(明新館案内板、説明板)とは、上山藩では藩主松平信行が儒学、武道の鍛錬の上山藩校「天輔館」を開設し、さらに藩主松平信宝は1840年(天保11年)に藩校を充実し、この地に学舎を新築し「明新館」と呼びました。
最初の武家屋敷は旧曽我部家(案内板)で、初代宗八が1708年(宝永5年)に藤井松平氏七代信通の家禄50石で宗旨奉行を務めてこの地に居住し、建物の表玄関は武家中門造りで中級武家屋敷の様式を表しています。

武家屋敷探訪(左:明新館跡石碑、中:旧曽我部家玄関、右:旧曽我部家背面)
次の山田家(案内板)は、1753年(宝歴3年)に定住の恒右衛門を初代として、建物は1804年(文化元年)頃と推定されてます。隣の三輪家(案内板)は初代十郎左衛門が側用人として1753年(宝歴3年)から江戸藩邸上屋敷と上山に住み、建物は文化年間初期と推定されてます。次の森本家(案内板)の初代七郎兵衛が現在の屋敷に移り住んだのは文久年間以降といわれ、先住者から引き継いで居住しました。

武家屋敷探訪(左:山田家、中:三輪家、右:森本家)
春雨庵
武家屋敷を見て西に進むと湯出坂の左には、3つ目の足湯があり上山温泉の新湯ブロックです。月岡ホテル前にある月岡足湯には、何人かが足を付けておりましたので、足の疲れを癒すため足を入れるとお湯がかなり熱く、慣れるまで時間を要しましたが、さすが温泉であり足の疲れが軽くなりました。
新湯温泉街を抜けて荒町川を渡り、駅前通りを越して沢庵坂を進むと右が春雨庵です。

春雨庵への道すがら月岡足湯で一休み(左:湯出坂、中:月岡足湯で足の疲れを癒す、右:春雨庵跡)
春雨庵跡(山形県史跡)は、1629年(寛永6年)に京都大徳寺の沢庵禅師は「紫衣事件」で江戸幕府と対立し、訴状執筆の責任を問われ上山に流されてきて、当時の上山藩主土岐頼行は、沢庵和尚に草庵を用意し手厚く迎え入れました。沢庵はこの庵を「春雨庵」(由緒)と名づけて、三代将軍家光に赦されるまでの約三年間をこの地で過ごしました。

復元された春雨庵(左:春雨庵跡石碑、中・右:復元された春雨庵と沢庵禅師)
後に許されてから、徳川家光は沢庵禅師が詩歌、書画、茶道、武道の造詣が深いのに感動し、品川に東海寺を建てて寄与されて、タクアン漬け(沢庵漬け発祥の碑)にその名を残した禅僧です。復元された春雨庵には、沢庵のご尊像と茅葺屋根のすばらしい茶亭と美しい茶庭、石佛等が配されています。
上山温泉今宵の宿古窯
2日目のさくらんぼ狩りに宿泊する宿は、日本の宿古窯(こよう)です。タクシーを呼んで旅の疲れをほぐすかみのやま温泉に浸かります。
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さくらんぼ狩り
小学生の孫が、授業参観の振替により6月15、16日の日曜と月曜が休みになったので、山形のさくらんぼ狩りに親子3代で行ってきました、天気に恵まれた楽しい一泊旅行のものがたりです。
さくらんぼは全国の生産量の約1万9千トンのうち74%が山形県で収穫され、品種改良された佐藤錦とともに、山形県はなんと云っても「さくらんぼ王国」ですので、初のさくらんぼ狩りには日本の宿と人気の上山温泉に行きました。
上山温泉
上山温泉(上山温泉地図参照)へは、東京駅発8時8分の山形新幹線つばさ105号で、10時51分にかみのやま温泉駅着です。初日は、夕刻までゆっくりと上山市を散策して予約の古窯温泉に入ればよいので、蔵王連峰の山麓にいだかれた駅前の温泉街らしくない平地の町を目的なくお城が見える方向に、山形の名物であるお蕎麦を昼食にしようと探しながら散策をはじめました。

かみのやま温泉街風景(左:かみのやま温泉駅、中:眉川橋から見る上山城、右:上山城入口案内のやぐら)
かみのやま温泉駅前から斜めに進み広い通りに出ると荒町川があり、その川の眉川橋を渡ると右側の川岸に前川の足湯があります。かみのやま温泉には、五ヶ所の足湯があり、蔵王の山並みや市街を見ながらかみのやま市民とのふれあいが楽しめます。足湯のある川岸は、昔栄えた最上川舟運の船着場があったそうです。
川から北に向かうと広い四つ角に出て右折するとすぐ、街の案内をしてくれる上山まちづくりセンターがありましたので、そこでかみのやまの観光などの情報を聞きました。

かみのやま温泉街風景(左:上山温泉街のお菓子屋、中:上山温泉街のおそば屋、右:三島坂 上山温泉街は坂が多い)
通りを行くと四つ角の左側に上山城入口案内のやぐらが見え、その対面には上山そばの達人7人衆の1つのおそば「一力」があったので昼食に入りました。山形のうまいものの1つには地元産そば粉を使用したおそばがあり、かみのやまのラーメンもまた近隣の町のなかでおいしいと知られている一品で、各人思い思いのおそばの味を楽しみました。
上山城
上山市のシンボル上山城(かみのやまじょう 上山城沿革)は別名月岡城と言い、1535年(天文4年)に米沢盆地と山形盆地の中央にある上山盆地にある丘陵天神森に作られた平山城であり、山形の最上氏と米沢の伊達氏が、しばしば衝突した地であります。
現在の上山城は、1982年(昭和57年)に建てられた郷土博物館で、歴史・自然科学・産業の資料を展示してあります。現在の五層の近世風天守閣は、旧城の建造物とは関係がなく、場所も城内ではあるが二の丸の南に建てられています。

1982年に建てられた現代の上山城
上山城へは三宅坂を上ると正面に天守閣を控えた入場門があり、入場料は一般大人が400円、小・中学生が50円で、1階から4階までエレベータで眺望が抜群の天守閣展望台です。

上山城天守閣展望台からの眺望(左・中・右蔵王連峰写真拡大)
3階には、先史・古代・中世の上山の移り変わりが、2階には近世・近代の上山に関する展示資料が見られ、1階では、五面マルチスクリーンで上山の四季などの迫力ある映像が楽しめます。
また、1階では、さくらんぼストラップを手作りするのコーナーがあり、皆で個性豊かなさくらんぼ作りに励みました。

手作りさくらんぼストラップ(左・右写真拡大)
武家屋敷
上山城の眺望のよい2つ目の足湯を脇に見て、月待坂をのぼり三島神社(由緒)を通り抜け、上山城の裏手の旧本丸跡に建てられた藤井松平家の初代利長と二代信一が祀られている月岡神社を通り、上山小学校を過ぎたあたりで武家屋敷のある「中の坂」の道に突き当たります。

武家屋敷通りへの道すがら(左:三島神社、中:月岡神社、右:武家屋敷通道標)
この道を右に進むと、上山温泉の湯町ブロックです。湯町とは反対方向に行くと、四軒ある武家屋敷が残されています。

武家屋敷通りを左に曲がると左側に明新館跡の石碑が建っております。明新館跡(明新館案内板、説明板)とは、上山藩では藩主松平信行が儒学、武道の鍛錬の上山藩校「天輔館」を開設し、さらに藩主松平信宝は1840年(天保11年)に藩校を充実し、この地に学舎を新築し「明新館」と呼びました。
最初の武家屋敷は旧曽我部家(案内板)で、初代宗八が1708年(宝永5年)に藤井松平氏七代信通の家禄50石で宗旨奉行を務めてこの地に居住し、建物の表玄関は武家中門造りで中級武家屋敷の様式を表しています。

武家屋敷探訪(左:明新館跡石碑、中:旧曽我部家玄関、右:旧曽我部家背面)
次の山田家(案内板)は、1753年(宝歴3年)に定住の恒右衛門を初代として、建物は1804年(文化元年)頃と推定されてます。隣の三輪家(案内板)は初代十郎左衛門が側用人として1753年(宝歴3年)から江戸藩邸上屋敷と上山に住み、建物は文化年間初期と推定されてます。次の森本家(案内板)の初代七郎兵衛が現在の屋敷に移り住んだのは文久年間以降といわれ、先住者から引き継いで居住しました。

武家屋敷探訪(左:山田家、中:三輪家、右:森本家)
春雨庵
武家屋敷を見て西に進むと湯出坂の左には、3つ目の足湯があり上山温泉の新湯ブロックです。月岡ホテル前にある月岡足湯には、何人かが足を付けておりましたので、足の疲れを癒すため足を入れるとお湯がかなり熱く、慣れるまで時間を要しましたが、さすが温泉であり足の疲れが軽くなりました。
新湯温泉街を抜けて荒町川を渡り、駅前通りを越して沢庵坂を進むと右が春雨庵です。

春雨庵への道すがら月岡足湯で一休み(左:湯出坂、中:月岡足湯で足の疲れを癒す、右:春雨庵跡)
春雨庵跡(山形県史跡)は、1629年(寛永6年)に京都大徳寺の沢庵禅師は「紫衣事件」で江戸幕府と対立し、訴状執筆の責任を問われ上山に流されてきて、当時の上山藩主土岐頼行は、沢庵和尚に草庵を用意し手厚く迎え入れました。沢庵はこの庵を「春雨庵」(由緒)と名づけて、三代将軍家光に赦されるまでの約三年間をこの地で過ごしました。

復元された春雨庵(左:春雨庵跡石碑、中・右:復元された春雨庵と沢庵禅師)
後に許されてから、徳川家光は沢庵禅師が詩歌、書画、茶道、武道の造詣が深いのに感動し、品川に東海寺を建てて寄与されて、タクアン漬け(沢庵漬け発祥の碑)にその名を残した禅僧です。復元された春雨庵には、沢庵のご尊像と茅葺屋根のすばらしい茶亭と美しい茶庭、石佛等が配されています。
上山温泉今宵の宿古窯
2日目のさくらんぼ狩りに宿泊する宿は、日本の宿古窯(こよう)です。タクシーを呼んで旅の疲れをほぐすかみのやま温泉に浸かります。
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