kan-haru blog 2008
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保存車両開放
長年大森町駅近くに住んでおり出かける時の交通手段なので日常生活に溶け込んでおり、京急と共に歴史を歩んだので京急ファミリー鉄道フェスタには大変と関心があります。戦中・戦後の小学生時代に乗ったデ51形・デ1形電車のイメージは、今でも鮮明に残っています。車両撮影コーナー(再掲拡大構内地図M)で勢ぞろいして並んだ運行中の電車を見てから、小学生以下参加の運転台撮影コーナー(構内地図N)の前には、昔懐かしいい「デ1形複元車」と「デ51形複元車」が並んで展示してあり、乗車して見学できる保存車両開放(構内地図O)では、これだけでフェスタに来た甲斐がありました。
小学生以下参加の運転台撮影コーナー
・デ51形復元車
デ51形の展示車両は、1924年(大正13年)に登場の鋼鉄製電車で昭和時代を生き続けて、戦後の物資欠乏時代にはかなりの期間本線でも運行され、晩年は、大師線や空港線で活躍し、1965年(昭和40年)まで運行され、都電と同じ様に運転手が先頭の運転台に立っての運転で、乗車していて揺れが少なく静かな車体でした。
デ51形復元車(左:復元車説明板、中:復元展示車、右:デ51形はダルマ形)
当時の中高生の間では、大森の東京湾には曳舟に引かれる船尾が丸いダルマ船が多く見られ、デ51形電車も先頭が丸いので「ダルマ船(せん)」と愛称を付けて呼んでいた人気の車両でした。展示の復元デ51形は、製造時の復元でポール集電形ですが、戦中の1940年(昭和15年)頃にはパンタグラフに付け替えられました。
デ51形復元車(左:デ51形運転席、中:デ51形定員は96名、右:デ51形車内)
・デ1形復元車
小学生の頃電車に乗ると、運転台のある先頭に乗りたいとの思いがある筈です。デ1形電車の運転席の構造は少し変わっており、運転席は腰までの高さの腰板で逆L字の囲いがしてあるだけで、腰から上は客席との仕切り板が無く、横の客席と背面から運転手の操作が丸見えのため、電車に興味のある小・中学生には関心が高い電車でした。
デ1形復元車(左:復元車説明板、中:復元展示車、右:デ1形車両構造)
デ1形電車の車体は、運転席との仕切り壁がないため、社内の座席からは運転席前面の窓外の景色も見られ、車窓は現在の様に広窓ではないのですが、窓の柱を細くして車体全体をとりまき窓面積を広くした形の2ドアの電車で、座席からは前面も左右の風景が良く見渡せる形式のデザインのためオープンな明るい感じの車両で、運転手とは親しみが持てました。
デ1形電車の運転席は仕切り壁がなくオープン(左:運転席の背後から前面を見る、中:運転席を客席側の横から見る、右:シンプルな運転制御機械は客席から丸見え)
京急は広軌ですので、都心から郊外まで高速運転の快適性をデ1形電車に求めていましたので、当時流行の海水浴客には展望性の良い車両は人気で、特に子供には運転手の脇で運転操作を見ながらの急行電車の高速運転には心を奪われる車両でしたが、残念ながら当時は大戦へと進んだいやな時代の思いが深い車両です。
復元展示車では、1930年(昭和5年)製の当時は最新・最高技術の車両で高速・快適性を求めたクロスシートの車両にお目にかかれましたが、子供の頃利用した戦中・戦後時代にはロングシートの電車のみであり1980年(昭和53年)まで運転された馴染み深く懐かしい名車でした。
デ1形列車客席(左:クロスシートの客席、中:客席から前面展望ができるデ1形車両、右:デ1形車両を示す社内表示板)
主工場見学
懐かしい電車を見た後は、主工場内を見学(構内地図D)して小学生以下が対照のパンタグラフ上げ下げ操作体験(構内地図G)や信号機操作体験(構内地図L)会場で幼児が真剣な態度で操作している微笑ましい光景に触れました。
主工場見学(左:信号機操作体験コーナー、中:パンタグラフ上げ下げ体験、右:主工場見学コーナー)
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・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(6月分掲載Indexへ)
・カテゴリー別Index イベント総目次 2008年版、2006・2007年版 へ
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保存車両開放
長年大森町駅近くに住んでおり出かける時の交通手段なので日常生活に溶け込んでおり、京急と共に歴史を歩んだので京急ファミリー鉄道フェスタには大変と関心があります。戦中・戦後の小学生時代に乗ったデ51形・デ1形電車のイメージは、今でも鮮明に残っています。車両撮影コーナー(再掲拡大構内地図M)で勢ぞろいして並んだ運行中の電車を見てから、小学生以下参加の運転台撮影コーナー(構内地図N)の前には、昔懐かしいい「デ1形複元車」と「デ51形複元車」が並んで展示してあり、乗車して見学できる保存車両開放(構内地図O)では、これだけでフェスタに来た甲斐がありました。
小学生以下参加の運転台撮影コーナー
・デ51形復元車
デ51形の展示車両は、1924年(大正13年)に登場の鋼鉄製電車で昭和時代を生き続けて、戦後の物資欠乏時代にはかなりの期間本線でも運行され、晩年は、大師線や空港線で活躍し、1965年(昭和40年)まで運行され、都電と同じ様に運転手が先頭の運転台に立っての運転で、乗車していて揺れが少なく静かな車体でした。
デ51形復元車(左:復元車説明板、中:復元展示車、右:デ51形はダルマ形)
当時の中高生の間では、大森の東京湾には曳舟に引かれる船尾が丸いダルマ船が多く見られ、デ51形電車も先頭が丸いので「ダルマ船(せん)」と愛称を付けて呼んでいた人気の車両でした。展示の復元デ51形は、製造時の復元でポール集電形ですが、戦中の1940年(昭和15年)頃にはパンタグラフに付け替えられました。
デ51形復元車(左:デ51形運転席、中:デ51形定員は96名、右:デ51形車内)
・デ1形復元車
小学生の頃電車に乗ると、運転台のある先頭に乗りたいとの思いがある筈です。デ1形電車の運転席の構造は少し変わっており、運転席は腰までの高さの腰板で逆L字の囲いがしてあるだけで、腰から上は客席との仕切り板が無く、横の客席と背面から運転手の操作が丸見えのため、電車に興味のある小・中学生には関心が高い電車でした。
デ1形復元車(左:復元車説明板、中:復元展示車、右:デ1形車両構造)
デ1形電車の車体は、運転席との仕切り壁がないため、社内の座席からは運転席前面の窓外の景色も見られ、車窓は現在の様に広窓ではないのですが、窓の柱を細くして車体全体をとりまき窓面積を広くした形の2ドアの電車で、座席からは前面も左右の風景が良く見渡せる形式のデザインのためオープンな明るい感じの車両で、運転手とは親しみが持てました。
デ1形電車の運転席は仕切り壁がなくオープン(左:運転席の背後から前面を見る、中:運転席を客席側の横から見る、右:シンプルな運転制御機械は客席から丸見え)
京急は広軌ですので、都心から郊外まで高速運転の快適性をデ1形電車に求めていましたので、当時流行の海水浴客には展望性の良い車両は人気で、特に子供には運転手の脇で運転操作を見ながらの急行電車の高速運転には心を奪われる車両でしたが、残念ながら当時は大戦へと進んだいやな時代の思いが深い車両です。
復元展示車では、1930年(昭和5年)製の当時は最新・最高技術の車両で高速・快適性を求めたクロスシートの車両にお目にかかれましたが、子供の頃利用した戦中・戦後時代にはロングシートの電車のみであり1980年(昭和53年)まで運転された馴染み深く懐かしい名車でした。
デ1形列車客席(左:クロスシートの客席、中:客席から前面展望ができるデ1形車両、右:デ1形車両を示す社内表示板)
主工場見学
懐かしい電車を見た後は、主工場内を見学(構内地図D)して小学生以下が対照のパンタグラフ上げ下げ操作体験(構内地図G)や信号機操作体験(構内地図L)会場で幼児が真剣な態度で操作している微笑ましい光景に触れました。
主工場見学(左:信号機操作体験コーナー、中:パンタグラフ上げ下げ体験、右:主工場見学コーナー)
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・カテゴリー別Index イベント総目次 2008年版、2006・2007年版 へ
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