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kan-haruの日記

風景・風物詩 旧東海道品川宿 タイムスリップまち歩き北品川宿(その1)

2007年07月03日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2007

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北品川宿
大神輿が渡御(「風景・風物詩 天王祭 品川神社例祭(その1、2)」)した第一京浜国道沿いの品川神社からおよそ200m海岸よりに、並行して旧東海道が通っています。
京浜急行電鉄北品川駅から新馬場を経て青物横丁に至る旧東海道の周辺一帯は、江戸時代には日本橋に始まる東海道五十三次の第一番目の宿場町で、江戸の町人たちはこの品川宿で知人と旅の別れを惜しんだ昔を偲んで、先ずは北品川から新馬場までの北品川宿(地図案内図参照)を6月30日に歩いてみました。

北品川駅は第一京浜国道に接しており、南に進み踏切を渡る通りは「清水横丁」で、その先が江戸時代から同じ道幅の旧東海道につながっています。このあたりの町名や古いお社が路地に佇むのをみると江戸そのもので、百軒の旅籠が集まる宿場町へのタイムスリップです。
清水横丁の奥には『江戸名所図会』に磯の清水として紹介される名水の井戸があったと伝えられています。
・土蔵相模跡
旧東海道に突きあたると「土蔵相模跡」の石碑があります。この土蔵相模の大妓楼で、1862年(文久2年)に高杉晋作、伊東博文らが密議して英国公使館の焼き打ちを実行して幕末の歴史の舞台となったところです。

土蔵相模跡石碑  土蔵相模跡説明板     土蔵相模のあった場所

・問答河岸の碑
旧東海道を左折して品川方向に進むと、土・日・祝日の昼間のみ「品川名物堂」(あぶりや連)を借りて開いているしながわ観光協会案内所があります。ここでは、品川宿に関する資料がおいてあり、マップや刊行物が手に入ります。この案内所の辻向かいに「問答河岸の碑」があり、旧東海道のすぐ先が海であった時代に、徳川家光と沢庵が禅問答をしたところと云われています。

品川宿入り口石票 問等河岸跡石碑

・品川浦
問答河岸の碑の横丁の路地を進み八ツ山通りにでると、屋形船や釣り船のふなだまりの品川浦で乗船場が沢山あり、以前は漁師まちとして水揚げを誇り栄えていたところです。この水辺は、かっての目黒川の河口であり、荏原神社の北側を流れていたと云われます。

 品川浦ふなだまり拡大           拡大              拡大

・善福寺(北品川1-28-9)
八ツ山通りから横丁の路地をぬけ、再び旧東海道に入り左折すると他の横丁より広い大横丁にかかります。大横丁をすぎると、右手に善福寺の参道がみえるので善福寺の山門を潜る。この寺の始まりは1294年と古く、宗派は一遍上人がひらいた時宗寺院です。

    山門           本堂       本堂竜の彫り物      本堂こて絵 

本堂正面には、伊豆長八の作の漆喰壁に施された鏝絵で、見事な竜が描かれている。長八は、幕末から明治初期に活躍した左官工であり、1815年(文化12年)伊豆国松崎村明地に生まれ、生来の手先きの器用さから同村の左官棟梁関仁助のもとに弟子入りし、19才のとき江戸へ出て絵を狩野派の喜多武清に学びました。
かたわら彫塑の技を修めてこれを左官の業に応用し、漆喰を以て絵を画き或は彫塑して華麗な色彩を施し、新機軸をひらいてついに長八独特の芸術が完成しました。

   こて絵その1      こて絵その2    石造念仏供養塔  石造念仏供養塔説明板          

墓地の入口には、1658年(万治元年)造立の念仏供養塔があります。供養等は、笠塔婆型の塔で、当時の住職の想阿の指導のもとに、念仏講の人々が死後の往生菩薩を生前に祈り、供養などの善行を積むことを意識して造立したもので、江戸初期の民間信仰の資料として貴重なものです。
善福寺を拝観して、山門を旧東海道に戻り、台場横丁を通り八ッ山通り際の利田(かがた)神社に向かいました。

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