9月24日は、朝から絶好の秋日和の天候に恵まれて、孫の通っているお茶の水小学校で第14回目の運動会が開催されました。今時の運動会は、どんなものかを見るために、京急大森町駅から三田駅で都営三田線に乗り換えて、9時頃神保町駅に着きました。
夏目漱石が通った学校
お茶の水小学校(「風景・風物詩(A1) 東京百景 山の上ホテルとその周辺(その3)」参照) 運動会は、平成5年4月に近隣の小川小学校、西神田小学校と夏目漱石が通った錦華小学校が統合された小学校です。
錦華小学校は、1873年(明治6年) 第4中学区第二番小学校、久松学校と称して開港し、1972年(昭和47年)に皇太子・妃殿下を迎え創立100周年記念式典挙行(記念碑)し、今年は錦華小学校通算第133回の運動会にあたります。小川小学校は、1900年(明治33年) 東京市西小川尋常小学校と称して開港し、今年は小川小学校通算第107回の運動会にあたります。また、西神田小学校は、1903年(明治36年) 東京市西小川尋常小学校と称して開港し、今年は西神田小学校通算第104回の運動会にあたり歴史ある運動会なのです。
優勝旗・優勝杯のある運動会
運動会のプログラムを見ると、歴史ある夏目漱石が通った学校の運動会だけあって、何と開会式では国旗掲揚と優勝旗・優勝杯の返還があり、昨年優勝の赤組から返還されました。
運動会は、全校児童数は少ないため、クラスは白組と赤組だけですが、プログラム22項目のうち、演技・体操や幼稚園児などの競技を除く14種目が対抗競技で、優勝を競います。
応援団の応援合戦もあり、対抗意識を盛り挙げており、対抗戦出場の選手は皆真剣に力を発揮して競技に参加しておりますので、観戦していても気持ちの良い雰囲気でした。対抗競技の得点は、競技毎に積算して得点掲示板に表示されますが、特に午後の対抗競技では終盤3競技からは得点表示を伏せて、対抗の関心を高めて、全競技が終了してから総得点の発表があります。
平成18年度運動会の競技は、710対631で白組が優勝し、優勝旗、優勝杯を手にしました。
運動会競技風景
見学に見えた父兄や家族は、出場しているわが子の成績に一喜一憂するとともに、対抗競技では紅白に分かれて手に汗を握り応援して楽しんでおりました。
めざせ、ゴール!!、はしって!まわって!ひっぱって!、疾風怒涛、まっすぐはしろうゴールはそこだ、波乗りライダー、Terminer on beaut'e、進め、トルネード、思いをたくして、ゴーゴーかけっこ、戦国お茶の水 夏の陣、かけめぐる青春、大玉送り
併設の幼稚園児の微笑ましい可愛い演技に声援を送ったり、組体操や演技種目に感心したりして、好天の長閑な運動会風景の秋の一時を過ごしてきました。
カリブのかいぞくたち、元気いっぱい!太陽にとどけ!、和太鼓
夏目漱石 – Wikipedia
夏目漱石と錦華小学校
お茶の水小学校の敷地のわきには夏目漱石の碑があり、錦華小学校第104回卒業生の卒業記念に建てた碑には、
“吾輩は猫である 名前はまだ無い
明治11年 夏目漱石 錦華に学ぶ“
と刻まれております。また、夏目漱石の略歴には、
“先輩 夏目漱石 略歴
慶應3年11月6日、牛込に生る。金之助と命名。市ヶ谷小學校に入學後、錦華小學校に轉ず。同校卒業後一っ橋に入り、業を卒へずして退き、二松學舎に入りて漢學を學ぶ。(大正6年「新小説」より)“
と書いてあります。
お茶の水小学校には、残念ながら漱石のエピソードや成績表などゆかりの品や資料類も戦争で焼失して残っていないのです。
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております。(8月分掲載Indexへ)
<前回 イベント(5) 歌舞伎座観劇 秀山祭九月大歌舞伎夜の部 へ
次回 イベント(7) 大森駅開業130周年(その1) へ>
夏目漱石が通った学校
お茶の水小学校(「風景・風物詩(A1) 東京百景 山の上ホテルとその周辺(その3)」参照) 運動会は、平成5年4月に近隣の小川小学校、西神田小学校と夏目漱石が通った錦華小学校が統合された小学校です。
錦華小学校は、1873年(明治6年) 第4中学区第二番小学校、久松学校と称して開港し、1972年(昭和47年)に皇太子・妃殿下を迎え創立100周年記念式典挙行(記念碑)し、今年は錦華小学校通算第133回の運動会にあたります。小川小学校は、1900年(明治33年) 東京市西小川尋常小学校と称して開港し、今年は小川小学校通算第107回の運動会にあたります。また、西神田小学校は、1903年(明治36年) 東京市西小川尋常小学校と称して開港し、今年は西神田小学校通算第104回の運動会にあたり歴史ある運動会なのです。
優勝旗・優勝杯のある運動会
運動会のプログラムを見ると、歴史ある夏目漱石が通った学校の運動会だけあって、何と開会式では国旗掲揚と優勝旗・優勝杯の返還があり、昨年優勝の赤組から返還されました。
運動会は、全校児童数は少ないため、クラスは白組と赤組だけですが、プログラム22項目のうち、演技・体操や幼稚園児などの競技を除く14種目が対抗競技で、優勝を競います。
応援団の応援合戦もあり、対抗意識を盛り挙げており、対抗戦出場の選手は皆真剣に力を発揮して競技に参加しておりますので、観戦していても気持ちの良い雰囲気でした。対抗競技の得点は、競技毎に積算して得点掲示板に表示されますが、特に午後の対抗競技では終盤3競技からは得点表示を伏せて、対抗の関心を高めて、全競技が終了してから総得点の発表があります。
平成18年度運動会の競技は、710対631で白組が優勝し、優勝旗、優勝杯を手にしました。
運動会競技風景
見学に見えた父兄や家族は、出場しているわが子の成績に一喜一憂するとともに、対抗競技では紅白に分かれて手に汗を握り応援して楽しんでおりました。
めざせ、ゴール!!、はしって!まわって!ひっぱって!、疾風怒涛、まっすぐはしろうゴールはそこだ、波乗りライダー、Terminer on beaut'e、進め、トルネード、思いをたくして、ゴーゴーかけっこ、戦国お茶の水 夏の陣、かけめぐる青春、大玉送り
併設の幼稚園児の微笑ましい可愛い演技に声援を送ったり、組体操や演技種目に感心したりして、好天の長閑な運動会風景の秋の一時を過ごしてきました。
カリブのかいぞくたち、元気いっぱい!太陽にとどけ!、和太鼓
夏目漱石 – Wikipedia
夏目漱石と錦華小学校
お茶の水小学校の敷地のわきには夏目漱石の碑があり、錦華小学校第104回卒業生の卒業記念に建てた碑には、
“吾輩は猫である 名前はまだ無い
明治11年 夏目漱石 錦華に学ぶ“
と刻まれております。また、夏目漱石の略歴には、
“先輩 夏目漱石 略歴
慶應3年11月6日、牛込に生る。金之助と命名。市ヶ谷小學校に入學後、錦華小學校に轉ず。同校卒業後一っ橋に入り、業を卒へずして退き、二松學舎に入りて漢學を學ぶ。(大正6年「新小説」より)“
と書いてあります。
お茶の水小学校には、残念ながら漱石のエピソードや成績表などゆかりの品や資料類も戦争で焼失して残っていないのです。
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております。(8月分掲載Indexへ)
<前回 イベント(5) 歌舞伎座観劇 秀山祭九月大歌舞伎夜の部 へ
次回 イベント(7) 大森駅開業130周年(その1) へ>