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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ(N33) 大森町風景・風物詩 諏訪神社節分

2007年02月09日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2007

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節分
今年は、2月3日の土曜日が節分に当たりました。
節分とは、季節の分かれ目を示し、元は「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日をさしていました。特に、立春は冬から春に向かう1年の初めと考えられ、年の境として重視されて、一般には立春の前日を節分としてさす様になりました。春の節分は、新年の前日にあたり現在の大晦日に相当するものです。

豆まき
節分に行われる代表的な行事に、豆まきがあります。節分に行われる行事を、「追儺(ついな)」と呼ばれ、疫病などをもたらす悪い鬼を追い払う儀式で、706年(文武天皇の慶雲3年)に宮中で行われたのが始まりとされてます。
また、20年ほど前に私の母が健在の頃、毎年節分には柊(ひいらぎ)の小枝を求めてきて、それに鰯(いわし)の頭を刺して戸口に挿す風習があり、夕刻になると家庭では、年男または一家の主人が「福は内、鬼は外」といいながら煎った大豆をまき、これから1年病気にならないと言われてみんな自分の年の数だけ豆を食べました。
子供は、与えられる豆の数が少ないのが不満で、撒かれた豆を拾って食べたことが楽しい行事であったのです。
これは、近世以降行われるようになったもので、これも魔除けのための行事で今では家庭では行われなくなりましたが、節分の頃になると懐かしく想い出す風物詩です。

諏訪神社の豆まき
豆まきは、もともと宮中の行事が一般家庭に普及したものとされますが、最近では大きな神社などで芸能人やスポーツ選手などを招いて豆まき大会を行っております。
大森町の諏訪神社(「大森町界隈あれこれ(20) 大森町の社寺(1) 諏訪神社その1~3」参照)や三輪神社(「大森町界隈あれこれ(L32) 大森町の社寺 谷戸三輪神社秋の例祭」参照)でも、毎年豆まき大会を行っております。
今年の節分は、土曜日で、家族が年女に当たり氏子様の諏訪神社で豆まきに出るというので、3時半からの開催の豆まきを見に行きました。

豆まきの参加者は、年男・年女30数名で希望者を3組に分けて追儺式を行います。参加者するには1万円を奉納して、裃を着用し神官を先頭にして本殿に入ります。追儺式は先ず、神主が祝詞をあげ、一同礼拝してから本殿内で内部に2回の「福は内」と外部に1回「鬼は外」と唱えて豆を撒きます。

・・・・・・・・豆まき第2組・・・・・・・・・・・・・豆まき第1組・・・・・・・・・・・・追儺式芳名

豆の入った枡が渡され、本殿前で記念写真を撮り、観客が待っている神楽殿に上がり、追儺クライマックスの豆まきが行われます。

・・・・・神社正門・・・・・・・・・・・・記念撮影第2組・・・・・・・・・・・・・記念撮影第1組

神楽殿での豆まきは、豆、お菓子、みかんやのりが撒かれ、観客がわれ先にと取り合います。

・・・・・・・豆まき風景1・・・・・・・・・・・・豆まき風景2・・・・・・・・・・・・・豆まき風景3

撒かれた縁起物の品物を、うまく取れた人は、今年1年は運がよい年に恵まれることを願う、春の風物詩です。
3組の豆まきが終わると、社務所で祝い善が振舞われ、諏訪神社のお札とお赤飯、紅白のお菓子やのりを貰い、厄病を払い元気な1年を過ごせる儀式の参加です。

縁起物の豆が飛んできたきた

今回は家族が豆まきに参加したので、その厄除けにあやかろうと思ったのですが、運悪く節分の直前に内科の検査と重なり、豆や祝いの赤飯などを食することが出来ず残念なことでした。
また、2年前には、年男で豆まきに参加したいと思っていたのですが、手の怪我により参加を断念したりで、豆まきには何か縁が遠いのですが、節分は戦前の小学生時代から家庭で豆まきをした遠い想い出の懐かしい風物詩なのです。

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