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kan-haruの日記

イベント(5) 歌舞伎座観劇 秀山祭九月大歌舞伎夜の部

2006年09月23日 | イベント
毎年母校では、歌舞伎観劇会の催しがあり、今年は9月10日に秀山祭九月大歌舞伎の夜の部を見てきました。観劇会は、お弁当が付いて一般料金より若干お安く鑑賞でき、イヤホンガイドの使用料も割引となります。
歌舞伎は、飛び切りのファンではないのですが、毎年定められた予定の催しですので、ほとんど毎年見ております。
歌舞伎座の座席は、抽選で決められますので、どこの席にあたるかは当日までのお楽しみです。今年の座席は、二階の西桟敷席後方の11-3と4の席が割り当てとなり、ここは花道がまったく見えないところであり、誠に残念でした。これは、抽選ですので仕方のないことで、次回は良い席が取れますようにと期待しました。

九月観劇の「秀山祭九月大歌舞伎」は、初代中村吉右衛門の生誕120年を記念して、俳名「秀山」を採ってのお祭りの興行です。



菊畑
観劇夜の部の公演は、午後四時半からの開演で、秋に相応しく最初の演題が『菊畑』(一幕)です。
菊畑は、文耕堂、長谷川千四の作で、1731年(享保16年)に大阪竹本座初演の、全五段の浄瑠璃『鬼一法眼三略巻』(外題)の三段目の通称であり、三略巻とは“六韜三略巻(りくとうさんりゃくのまき)”(虎の巻)であるとのことです。
みごとな菊が咲き乱れる、吉岡鬼一法眼(左團次)の館の庭の場面の幕開きで鬼一が花壇の菊を眺めます。鬼一は、源義朝の家臣だった吉岡三兄弟の長兄で、今は訳あって平家側に与しています。

実は三男の鬼三太(幸四郎)である奴の知恵内と、主君牛若丸(染五郎)の奴の虎蔵は、鬼一が秘蔵する兵法の虎の巻を入手するために、鬼一館の奉公人になりすまします。そして、知恵内を弟の鬼三太と悟った鬼一が、心底を窺おうと虎蔵を杖で折檻をするようにと命じる場面は、見所の一つです。そして、虎蔵と知恵内が庭に残り、今宵の内に虎の巻を奪い取ろうとの相談するところは、義太夫に合わせた作品随一の眼目となります。
虎蔵に想いを寄せる鬼一の娘皆鶴姫(芝雀)は、二人の素性を知ってしまいます。そこへ湛海(歌六)が現れ、二人の正体を清盛に注進すると言うので、牛若丸はその湛海をあっけなく切り殺します。

皆鶴姫が、知恵内に牛若丸との恋の取り持ちを頼み、菊の花を使ってかき口説く場面は、皆鶴姫の見せ場です。そして牛若丸、鬼三太に皆鶴姫が協力して密かに巻物を奪うことを打ち合わせるのだった。
美しい菊畑を背景に、若衆の虎蔵、凛々しい繻子奴の鬼三太、可憐な赤姫の皆鶴姫、そして座頭の風格の鬼一法眼。歌舞伎の典型的な役柄が揃った、濃厚な義太夫狂言です。

幕間
次の演題との幕間に、配られた幕の内弁当の夕食を取りました。桟敷席には、座席の前にテーブルが付いておりますので、お弁当を食べたり、荷物を置くのには大変重宝しました。幕間に場内の土産物店を物見しました。

籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)
二番目の演目『籠釣瓶花街酔醒』(四幕七場)は、佐野次郎左衛門が、吉原の遊女八ツ橋は殺害したという事件は、享保年間に実際に起こった事件とされていますが、歌舞伎の題材として取り上げられた中での決定版で、作者は河竹黙阿弥の高弟・三世河竹新七です。この作品の初演は、1888年(明治21年)初代市川左団次、五代目中村歌右衛門により東京千歳座で公演されました。
序幕は、絢爛たる花魁道中の様子が見どころで、八ツ橋(福助)が花道の付け際での、下男の治六(歌昇)と吉原を訪れた下野の絹商人次郎左衛門(吉右衛門)に婉然と微笑む場面が眼目なのですが、今回の座席は花道が全く見えずに誠に残念至極でした。

二幕目は、廓に通い詰め身請け話もまとまろうとしていた次郎左衛門の変貌ぶりが、笑いを誘います。
三幕目は、八ツ橋の情夫繁山栄之丞(梅玉)の横やりが入り、突然八ツ橋から愛想づかしをされてしまう場面が見どころで、次郎左衛門の切羽詰まった気持ちを聞かせる「花魁 そりゃあんまりそでなかろうぜ」台詞は最大の見せ場です。
大詰めは、一刀のもとに八ツ橋が切られる凄惨な殺しの場面ですが、満座の中で八ツ橋から恥辱を受けた恨みを晴らそうとやって来た次郎左衛門が、村正作の妖刀・籠釣瓶を手に八ツ橋を斬り籠釣瓶の斬れ味に簡単し、殺害後の表情と名台詞「籠釣瓶はよく切れるなぁ…」は、歌舞伎の美学をみせてくれます。
秀山祭の名作には、このほか立花屋女房おきつ(東蔵)、九重(芝雀)、立花屋長兵衛(幸四郎)の豪華配役での、初代中村吉右衛門生誕120年記念の出し物でした。

鬼揃紅葉狩(おにぞろいもみじがり)
三番目の『鬼揃紅葉狩』は、萩原雪夫作の舞踊作品であり、1960年(昭和35年)の歌舞伎座で六世中村歌右衛門の更科の前、二世市川猿之助の維茂の配役で初演されたものです。
秋も盛りの信濃の国・戸隠山中に雪郎太(松江)と月郎吾(種太郎)の2人の従者を連れた余吾将軍平維茂(信二郎)が紅葉狩から館に帰ろうとするところに、四人の待女(吉之助宗之助吉弥高麗蔵)を従えた実は戸隠山の鬼女の更科の前(染五郎)がやって来たので、維茂は邪魔をしないように立ち去ろうとする。

すると、更科の前は維茂主従を呼び止め、酒宴を開いて紅葉を愛でようと誘われ、盃を傾け始めると、更科の前や待女が舞を披露する。維茂たちのうたた寝を確かめると、戸隠山に住む鬼女たちは姿を消すのである。
そこへ維茂主従を救うため、八幡神の差し向けで現れたのは、男山八幡の末社の神千秋彦(広太郎)、百秋彦(隼人)、千春女(廣松)、百春彦(玉太郎)で、維茂主従の目を覚まさせようと舞を舞い、姿を消す。
その、威徳で目を覚ました維茂主従は、山奥に入り古塚の辺りまでくると、戸隠山の鬼女とそれに従う眷族(吉之助宗之助吉弥高麗蔵)たちが現れ、維茂主従に襲いかかるが、やがて維茂たちの武勇には敵わず退治されるという、歌舞伎舞踊です。

初代吉右衛門
初代吉右衛門(家系図)は、九代目市川團十郎の芸風を継承して時代物役者として古格を伝えた第一人者でありました。さらに独自の深い解釈を加え、現在上演される多くの型を作りあげ、ことに役の心情を表現する台詞の巧さ、調子のよさは特筆されるものがあり、昭和歌舞伎を代表する名優として多くの功績を残しました。

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