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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ(20) 大森町の社寺(1) 諏訪神社その1

2006年05月28日 | 大森町界隈あれこれ 社寺
諏訪神社例大祭
5月27、28日は、氏神様の諏訪神社のお祭りでしたが、生憎の空模様で初日は雨にたたられましたが、2日目は天気が回復し午後からは晴れ間が見えてきましたので、両日とも参詣をしてきました。
諏訪神社(大田区大森西2-23-6)は、大森町の中心にある京浜急行本線大森町駅より北方の内川沿いの開桜小学校から北西のところに位置します。

諏訪神社参詣の順路(順路図参照)には、吾が母校や子供たちの通った母校と戦前の幼稚園の跡地などがあります。
27日の12時頃には、雨がほとんど上がったので、先ずはぶらりと大森町商店街の通りにある御神酒所(地図① 1.神殿、2.町会神輿と太鼓車、3.奉納者御芳名板)に奉納しました。
奉納を済ませて、東京信用組合横の路地を北上すると、内川に面して開桜小学校(元大森第二小学校)(地図② 1.内川沿いの開桜小学校、2.開桜小学校正門付近) があり、左折すると諏訪神社の参詣路(諏訪神社鳥居)です。氏神様に参拝して神社御神酒所にも奉納してきました。

諏訪神社正門の鳥居文政七年建立

諏訪神社(地図③)には、1.建御名方神(タケミ ナカタノカミ)を祭る諏訪神社本社と、2.八坂刀賣命(ヤサカ トメノミコト) を祭る諏訪神社下社に、3.宇迦之御魂命(ウカ ノミタマノミコト) を祭る稲荷神社末社の3つの社があります。
また、境内には、貴船神社(大森東3-9-19)と共に両社に輝かしい大森漁業の終焉を記念して4.「漁業納畢之碑」が建てられております。

諏訪神社の由来
諏訪神社の由来を見ると、御鎮座の年代は明らかではないが、その昔、大森海岸袖ヶ浦へ着岸された御神体を、村民が尊崇して、一祠を建立したといわれ、御創建は江戸初期ともいわれているが、区内の社寺の多くが、鎌倉時代を機として、その源を発していることを考えると、更に遡るものと思われる。古老の多くも、この様に語られ、昭和39年(1964年)には、五百年祭が盛大に施行された。
御祭り神の建御名方神は、大国主命の第二子にましまして、風水害や流行病を防ぎ、農耕の神として、又漁業の神としての信仰厚く、特に武神としての誉れ高く、はなはだ霊力強き神として、氏子の敬神の念ますます厚く、神威あらたかに、今日に到っている。

昭和11年(1936年)に村社に定められ、東京府下荏原郡大森村字山谷(東山谷:大森東二丁目、南山谷:大森西三丁目、北山谷:大森西二丁目)の鎮守であった。
現在の御社殿(銅板葺・流れ権現造り)は、平成16年(2004年)に修復された。境内には、文政7年刻の鳥居をはじめ、狛犬、灯篭、手水屋、玉垣、記念碑等が多数建立されている。又、昭和54年(1979年)には、社務所を改築し、続く昭和56年(1981年)には、神楽殿の新築をし、氏子崇敬者一丸となって神慮を畏み、氏神様を心のよりどころとして、豊かな人間生活形成の原点として、いよいよ道の精華を発揮している。

なお、伝承として、境内に一匹の白蛇が住んで、祭礼の時、氏子の多数がお参りして、知らずに白蛇の尾端を踏んだので、古来祭礼には、必ず雨が降ると伝えられている。

雨の祭礼
今年の諏訪神社のお祭りも雨の多い5月で、言い伝えの通り雨模様でした。天気予報の通り27日は雨の週末となり神輿は中止となりましたが、28日は朝方で雨もあがり神輿も繰り出されました。
続く

次回 大森町界隈あれこれ(21) 大森町の社寺(1) 諏訪神社その2 


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