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JR西、人為ミス「処分せず」遺族には賛否両論

2015-12-06 23:24:07 | 鉄道・公共交通/安全問題
<JR西日本>人為的なミス 起きても「処分せず」(毎日)

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 ◇脱線事故受けて 報告促進で再発防止が狙い

 JR西日本は運転士らの人為的なミス(ヒューマンエラー)を、事故が起きた場合も含めて懲戒処分の対象から外す方針を固めた。ミスを確実に報告させ、再発防止につなげるのが狙い。2005年4月に兵庫県尼崎市で発生したJR福知山線脱線事故を受けた措置で、来春の導入を目指している。飲酒や故意など、悪質性が高い場合は従来通り処分する方針。同社によると、鉄道業界で初の試みだという。

 福知山線事故を巡っては、運転士に対する懲罰的な再教育「日勤教育」が背景にあったと指摘されている。JR西は事故後、停車駅を通過するオーバーランなどの比較的軽微なミスについては懲戒処分の対象から外した。人的・物的な被害があった場合や事故の危険性があった場合は処分の対象としていた。

 こうした方針に対し「依然として原因究明より個人の責任を追及する風潮がある」という批判が根強かった。事故の遺族とJR西、有識者でつくる「安全フォローアップ会議」は昨年4月の報告書で「『ヒューマンエラー非懲戒』の方針を決定し、社員に周知・徹底すること」と提言していた。

 非懲戒の制度はミスの責任を現場の社員に押しつけず、会社組織の問題として捉える考え方に基づく。航空業界では既に導入されている。同社のある幹部は「ヒューマンエラーは一定の確率で必ず起こる。そこを叱っても問題は解決しない。正直に状況を話してもらい、その背後にある問題に対処することが大切だ」と話した。人命が失われた事故で処分しないことが社会的に許容されるのかという疑問もあり、JR西は線引きの基準作りを進めている。

 福知山線事故で長女容子さん(当時21歳)を亡くした兵庫県三田市の奥村恒夫さん(68)は「ヒューマンエラーは誰にでも起こり得る。当然の措置だと思う。気の緩みにつながらないよう、JR西は人の命を運んでいるという自覚をしっかり持ってほしい」と語った。【戸上文恵、田中謙吉、生野由佳】
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尼崎事故から今年で10年。節目の年も終わりを迎えようという頃になって、JR西日本がヒューマンエラー(故意以外)を社内処分の対象にしないという新方針を打ち出した。記事にあるとおり、安全フォローアップ会議の提言を受けての措置だ。当ブログは、ようやくここまで来たかという思いと、この程度のことを決めるのになぜこれほどまでに時間がかかるのかという思いが交錯している。懲罰的「日勤教育」が事故の背景であることは当時から言われていた。また、処分や責任追及が前面に出すぎることは、かえってミスが報告されず隠されることにつながるとして、ヒューマンエラーを免責にすべきだということも識者の間では事故直後から早々と主張されていたことである。

ただ、尼崎事故の刑事裁判(特に山崎社長裁判)が進行していく中で、当初は大半の遺族が、事故の原因究明と再発防止がきちんと行われるなら、刑事責任の追及はしなくてもよいという立場を取っていた。しかし、JR西日本の不誠実な姿勢、また事故調報告書の漏えい問題が起きるなどの事態が重なる中で、一部の遺族がJR西日本に対する不満を募らせた結果、「原因究明と再発防止の願いが叶わないなら、せめて刑事責任の追及を」と次第に立場を変えていったのがこの10年の歴史だったのである。

この事故を発生以来10年間、ずっと見続け、一部の遺族とは交流もしてきた当ブログとしては「原因究明と再発防止がきちんと行われるなら、刑事責任の追及はしなくてもよい」という遺族の気持ち、「原因究明と再発防止の願いが叶わないなら、せめて刑事責任の追及を」に変わっていった遺族の気持ち、どちらもよく理解できる。原因究明・再発防止を重視した場合、加害者が何らの社会的制裁も受けず安穏とした生活を送り続けることは、被害者からすれば心情的に受け入れ難い。だからといって責任追及を重視し過ぎると、加害者が制裁を受け被害者の心は晴れるかもしれないが、責任追及を恐れて原因究明・再発防止に必要な情報が報告されないようになり、次の被害者を生んでしまう可能性がある。

このように、原因究明・再発防止策の構築と責任追及は、両方追求できればそれに越したことはないが、ある意味ではトレードオフの関係にあり実際には難しい。どちらを重視すべきかについては遺族・被害者の間にも意見の違いがあり、JR西日本に対するこの10年間の評価(企業体質が変わったか変わっていないか)とも絡んで大きく遺族・被害者を隔てる原因になっている(参考記事:「JR人為ミス非懲戒 「運転士だけの責任では」「命預かる責任負うべき」事故遺族の賛否分かれる」12/4付「産経」)。ここ数年は、前者を重視する人と後者を重視する人との間で次第に共同行動が難しくなってきており、その意味からも10年という時の流れを感じる。

現時点で、当ブログのような部外者が今後を予測することは難しく、また遺族を差し置いてそのような予測は本来すべきでないのかもしれない。しかし、あえて今後を予測すると、時の経過とともに未収集の証拠が散逸するなどして加害者の責任追及は次第に難しくなるから、代わって遺族・被害者の活動は再発防止策の構築(原因がわからなければ再発防止策は構築できないから、これには原因究明が当然含まれる)と伝承活動に比重が移っていくだろう。公共交通の事故という意味で尼崎事故と共通点を持ち、20年先を行っている日航機墜落事故が今、まさにそのような状況になっているからである。

また、責任追及は「その事故限り」であるのに対し、原因究明・再発防止策の構築は将来の事故を予防することによって、それをはるかに超える人々に恩恵を及ぼし、社会的損失の発生をも防ぐことができる。事故発生から時間が経てば経つほど原因究明・再発防止策の構築のほうが責任追及よりも社会的価値が大きくなるといえる。ただ、日本の主要大企業がそうであるように、原因究明・再発防止策の構築をしようにもガバナンスが不在でどうにもならない場合がある。そのような場合のための「ベストではないとしてもベターな選択肢」として、責任追及というオプションも残しておくべきであろう。

尼崎事故から10年、日航機墜落事故から30年の節目の年であった2015年も、残すところ1ヶ月足らずとなった。今年を締めくくるにふさわしいニュースだと思い、久しぶりにこのブログで取り上げた。来年も、尼崎事故をめぐる3社長の裁判は最高裁に舞台を移して継続する。当ブログは、最後の瞬間までこの裁判を見届けるつもりである。

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