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「裁判所はこれでいいのか」「恥を知れ」~再び怒号が飛び交った東電刑事裁判 1・18報告

2023-01-19 23:22:12 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に発表した記事をそのまま掲載しています。)

 判決結果を知らせる「旗出し」は午後2時15分前後と聞かされていた。しかし、予定より早くその瞬間は訪れた。

 とぼとぼと、引きずるような重い足取りに、悪い予感しかしない。掲げられたのは、3年半前の1審とまったく同じ「全員無罪 不当判決」だった--。

 歴史上最大の公害事件を起こした責任者に罪を負わせてほしい--私たちが望んでいるのはたったこれだけのことである。それ以上のことは望んでいない。こんな簡単なことが、日本の司法ではなぜここまで認められないのだろうか。それとも、私たちの願いが、分をわきまえない、身のほど知らずの高望みだとでも言いたいのだろうか。もし、細田啓介裁判長が心中でそう思っているとしたら、裁判官以前に人間として決定的に間違っていると思う。人を裁く刑事司法を預かる資格が細田裁判長にあるとは思えない。

 2019年の1審の判決文を、結局私は読まなかった。読むのが苦痛だったということもあるが、「読むにも値しない“判決文”という名の駄文なら、読まないこともひとつの抵抗手段なのではないか」と思い直したからである。中身もなく論評にも値しない今回の判決文に対しても、たぶん私は「読まないという形の抵抗権」を行使することになると思う。ここがもしヨーロッパだったら、判決文にトマトソースでもぶっかけられるに違いない。

 もとより予想された判決であり、覚悟はしていた。高裁での審理はわずか3回。検察官役の指定弁護士と被害者代理人が求めた現場検証も、重要な地震学者らの証人申請もすべて却下された。結審を撤回し審理を尽くすよう求めたが、昨年末にこれも棄却される経過を見てきた。だから私は今回「傍聴抽選に当たっても法廷内には入らない」と宣言していた。「お前を殺してやるから出てこい」と言われて、のこのこ出て行く者はいない。初めに結論ありきのやらせ裁判、見せしめ裁判なら、ボイコットも立派な抵抗戦術だと私は思っている。

 昨年6月の結審から半年もあったのに、まったく時間の無駄だった。1審に続き、結果回避可能性はおろか、またも予見可能性すら認めなかったという。「津波の高さ、幅から態様に至るまで、1ミリも違わない正確無比なシミュレーションでなければ予見とは言わない」というのが、偉い裁判官様の出した結論だと聞かされた。あまりに馬鹿げすぎていて、お笑い芸としても少しも面白くない。

 福島原発刑事訴訟支援団の武藤類子副団長は、廷内で手持ちのノートに「裁判所はこれでいいのか」と書いたそうだ。いつもは淡々と、法廷内で話された事実以外は書かない武藤さんの実直な人柄を私は知っている。その心中、悔しさは察して余りある。閉廷直後の法廷では「恥を知れ」という怒号も飛んだ。

 「事故を止められなかった以上、“次”を防ぐことができるなら、福島県民は人柱になってもいいと思ってきた。でもこんな判決では近い将来また事故が起きてしまう。私たちは人柱にもなれないのですか」。福島県三春町から駆けつけた女性は、判決後の裁判所前で、思い詰めた表情でそう話した。

 判決は悪い意味で予想通りだったが、私が恐れていた最悪の展開は免れた。それは、全員無罪の結論を変えないまま、今後の原発に厳格な津波対策を講じることを前提に、司法が原発に「安全」とお墨付きを与えるというシナリオだった。しかし、同時にそれは無理だろうという予測もしていた。もし、そのようなお墨付きを司法が与え、近い将来、2度目の事故が起こったら今度は「あのとき、安全と言ったじゃないか」と司法も責任を問われることになる。そうならないために、東京高裁は1審判決と同じ内容を違う言語表現に置き換えるだけで、「自然災害の予見はできない。故に結果回避もできないから、原発事故を完全防止するには停止以外にない」という1審の論理構成を大枠では変えないだろうというのが判決前の私の予測だった。こうしておけば、2度目の事故が起きても「私たちは安全とは言っていない」と言い逃れができるからである。東京高裁が真の意味での「日本型無責任組織」なら必ずそうするはずだという確信が私にはあった。そして結果はその予測通りになった。

 見方によっては、これは私たち反原発運動には好都合のシナリオである。「誰も責任をとれない原発に安全はなく、全面停止以外に事故を逃れるすべがない」という運動側の主張が正しいことが、司法の場で逆説的に証明されたからである。これまで反原発運動を闘ってきたみなさんは「事故に遭いたくなければ原発は即時全面廃炉にすべきだ」と胸を張って主張してほしい。

 3年半前、1審判決後の報告集会は急きょ、抗議集会と名称を変えて行われた。しかし今回、弁護士会館で開催された報告集会では「抗議集会に名称を変えよう」という声は起きなかった。この日の会場内に敗北感、怒りがなかったと言えばウソになる。しかしそれは3年半前ほどではないと感じた。あきらめ、敗北慣れしたからではない。むしろ逆で、この日の3被告(勝俣恒久元会長、武藤栄、武黒一郎両元副社長)に清水正孝元副社長を加えた4人の元経営陣に、13兆円もの巨額の弁償を命じる株主代表訴訟判決を勝ち取っているからである。仮執行もつけられており、「取り立てが今日にも来るかも」と怯えなければならない3+1被告の立場はこの日も変わっていないのだ。

 「自分1人ならとっくに心が折れていた。ここまでやってこれたのはみなさんと一緒だったからだ」。報告集会では、ぶれずに団結し、闘い抜いた被害者を称える声が上がった。「悔しいが、まだ最高裁がある」と気を引き締める声も出た。

 『割れる司法判断のはざまで苦しむ被災者から疑問の声が上がるのは当然だろう。検察官役の指定弁護士は上告するかどうかを検討するとしている。未曽有の災禍を招いた背景や責任の所在をより明確にするためにも、前向きに考えるべきではないか……刑事的な責任についても上告審の場で厳しく審理してほしい』(判決翌日、1月19日付『福島民報』社説)。

 地元民放・福島テレビの株式は、半分を福島県が、1割を福島民報が保有している。「県営放送」と揶揄されてきた民放局の影響下にあり、300人もの子どもたちが甲状腺がんにかかっても完全黙殺を貫く地元紙に、これまで何度も悔しい思いをさせられた。その「県営新聞」がここまで踏み込んだ論陣を張るのは珍しい。岸田政権の原発政策「180度大転換」「原発全面活用」政策が、おとなしかった福島県民の怒りに再び火を点けつつあるのではないか。

 確かに刑事訴訟の前途はひいき目に見ても厳しい。もちろん勝つことは大切だが、裁判の価値はそれだけにあるのではない。強制起訴が実現することによって、日の目を見なかった膨大な証拠が開示され、株主代表訴訟の法廷にも提出された。日本裁判史上最高の「13兆円の賠償」を引き出す力になったのがこれらの膨大な証拠である。検察の不起訴を検察審査会が覆した強制起訴事件で、無罪判決が出るたびに繰り返されてきた「強制起訴不要/見直し論」を今回、メディアに展開させなかった。東電刑事裁判が歴史を一歩進めたことは紛れもない事実だ。

 報告集会では私も登壇し発言した。「私たちが裁判で負けるような悪いことでもしたのでしょうか。何もしていません。悪いことをしていない私たちに負ける理由がありません。だから私は、負けたのは私たちではなく日本の司法だと思うのです。本音を言えば、検察官役の指定弁護士には今日中に上告手続きを取ってもらいたい」。

 某国の前大統領ではないが、私たちには2つの選択肢しかない。「私たちが勝つか、司法が盗まれるか」だ。私たちは負けていない。司法が原子力ムラに盗まれただけだ。当たり前のことほど、今の日本では通らない。それを当たり前のこととして通るようにしたいーーその願いは決して身のほど知らずの高望みなどではない。闘いはまだ終わらない。

<参考記事>
「恥を知れ」と怒声が飛んだ…高裁が出した無罪判決に被災者から怒りの声 東電旧経営陣の刑事裁判(2022.1.19「東京新聞」)

(社説)【強制起訴二審無罪】決着とはいかない(2022.1.19「福島民報」)

<当日の動画>
2023.1.18 東電旧経営陣は原発事故の責任をとれ! 東電刑事訴訟控訴審 東京高裁前アピール行動


2023.1.18 東電刑事訴訟 「全員無罪 不当判決」旗出しの瞬間

 
2023.1.18 東電刑事訴訟 旧経営陣を免罪する不当判決糾弾! 判決後報告集会


(報告・文責 黒鉄好)

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