29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

小学校低学年生の読書感想文執筆につきあって

2012-08-29 10:33:46 | チラシの裏
  この夏、夏休みの課題のため、読書感想文の指導を僕の子どもにしなければならなかった。まだ小学二年生で語彙も少なく、まともに文章を書けないような年代である。少なくとも僕の時代では小学校高学年からの課題だったように思う。現小学二年生は「ゆとり教育」廃止の最初の年代で、教科書も厚くなり、授業の進度も速い。低学年での読書感想文もその一環なのだろうか。

  腹立たしいのは、学校側が文章指導を十分していないらしいことである。我が子は、段落の前に一ます空けることは知っていたが、段落内の文の文頭の前にも一ます空白を作ってしまう。また、段落を意味のまとまりで形成するという概念が無く、三文ぐらいつなげたら適当に段落を変えてしまっていた。後者は子どもに難しいこととはいえ、前者は何回か授業内でトレーニングしてくれれば矯正できたはずである。

  親が見ていてもう一つ困ることは、子どもが原稿用紙二枚分の800字に文章を構成する方法をまったく分かっていないことである。単に彼らが指導を受けていないだけでなく、親の世代も小学生時代にそのような指導を受けていない。大学時代に論文執筆をしたことのある一部の親は多少のアドバイスができるだろうが、それとて読書感想文の構成とは異なるものだ。僕の想像するところ、小学校の教員もそれを知らないと思われる。

  構成の問題は執筆内容の問題である。方向は二つある。一つは、いわゆる「読書感想文」として期待されていることを書くこと。すなわち、読んだ本の登場人物に自分の姿を重ね合わせ、自分の生活や考え方を反省して一丁あがり、というやつだ。こういうのが教師に喜ばれるのは、読書感想文が読解力や文章表現力のための純粋な課題ではなく、道徳教育または生活指導的な意味も負わされているからだろう。教師が感想文を通じて知りたい事柄は、執筆した子の言語能力ではなく、子どもの生活状況だったり意識改革の表明なのである。

  方向のもう一つは、「報告書」に近い体裁で書くというものである。内容の正確な読みとりと分析を主とするもので、執筆者は後景に引かなければならない。報告書では簡潔かつ正確に物事に伝えなければらなず、執筆者の改心などの記述は冗長だとして評価が下がるだろう。大学教育や社会人となって以降の連続性を考えると、小学校高学年のうちから報告書の執筆訓練を受けさせることが望ましいと個人的には考える。とはいえ、小学校低学年レベルでは難しいかもしれない。

  僕も強制を嫌う今時の親である。そういうわけで、子どもにどっちの方向でまとめたいか尋ねてみた。理解したのかどうかわからないが、答えは報告書スタイルだった。

  で、始めに「書籍の魅力の説明」、次に「登場人物とストーリーの説明」、以降「印象に残った場面を列挙してコメントする」という構成の順序を決めて書かせてみた。しかしそこは小学校低学年生。冒頭の段落に来るべき文章全体に対するやや抽象度の高いコメントをひねり出せない。ストーリーの要約も、本人が注目した部分だけ詳細であり、全体の展開を説明できていない。以降は、個々の場面についての「こわかった」「おもしろかった」というコメントの連続である。一応「なぜおもしろいと思ったの?」とこちらから突っ込んでみるのだが、深い理由づけなどできやしない。まあこんなものだろうと思ってそのまま清書させた。このレベルだとコンセプトが「読書感想文」風だろうと「報告書」風だろうと大して変わらないということを強く感じた。まだ二つの体裁を書き分けることができないのである。

  執筆に付き合って認識したのが、小学校二年生がクリアしておくべき文章レベルというのがよくわからないということである。生活指導ではなく、文章指導という点に焦点を合わせるならば、内容理解の程度を知るために要約部分を多く書かせ、あとは少しだけコメントでいいという気がする。いずれにせよ、夏休みに原稿用紙に向かわせる前に、教室で準備しておくべき段階があるのは確かだ。大学生に体裁の整った書評を書かせるのも講師が何回か添削してやっとの結果なのだから、小学生に対しても授業内で何度か訓練機会を持つべきだろう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« そこに帰りたいという思いを... | トップ | イタリアを題材とした市民社... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

チラシの裏」カテゴリの最新記事