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今さらながら図書館における啓蒙主義を肯定する

2016-08-27 12:40:22 | 読書ノート
ウェイン・ビヴェンズ-テイタム 『図書館と啓蒙主義』川崎良孝, 川崎佳代子訳, 京都図書館情報学研究会, 2013.

  米国公共図書館論。米国の公共図書館は啓蒙思想の影響下に成立しており、現在の図書館の目標もそうであるべき、と説くもの。原書はLibraries and the Enlightenment (Library Juice Press, 2012)。本書において啓蒙主義をカントに遡っているが、理性の導きによって「正しい」判断力を持つ市民となることであるとおおむね理解してよい。その手段として討論や読書があるとする。

  公共図書館と啓蒙思想の関係は今さら指摘されるまでもないものだが、著者の目的は啓蒙主義や19世紀の公共図書館の設置意図を否定的に見る論者への再反論にある。具体的には、啓蒙主義が理性による画一化をもたらすというアドルノとホルクハイマー、公共図書館はエリート階級による支配の手段として設置された(=革命を阻害した)とみる歴史修正主義者(例えばマイケル・ハリス)が論敵である。彼らに対して、さまざまな出版物を比較して理性的な見識を高めるというのは悪いことではない、というのが著者の言い分である。こうした理論的な議論のところまではよい。

  しかし現実の図書館は啓蒙に貢献していないのではないか、という実際のところを突いた反論に対しては、著者は次のように答えている。実際の利用者が限られているとしても、諸情報源の比較可能性・検証可能性が開かれていればその役割を果たしていると言える。そのためには網羅的な情報収集とその管理を図書館はすべき。というわけでノーデやらディドロやらヴァネヴァー・ブッシュやらが採りあげられ、最後にはGoogleと米国デジタル図書館が言及される。これでは迂回した答えであり、啓蒙という目的のために現状の図書館が不適切ではないかという疑問は解消されないままである。資料の価値判断を利用者に依存するモデルのままならば、莫大な蔵書を持つ図書館しか意味をなさなくなるのは予想できることだ。

  以上。後半の議論はもう少し深めてほしいと感じるものの、図書館における文化左翼批判本として意義のある本だろう。
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