厳しい条件を政府がクリアしたから島袋名護市長は辺野古移設に合意した それが真実だ

厳しい条件を政府がクリアしたから島袋名護市長は辺野古移設に合意した それが真実だ

名護市長選に立候補した岸本洋平氏は故岸本建男元市長の長男である。建夫氏は自民党系であったが洋平氏は左翼系の側から立候補した。洋平氏は「父が付けた移設の条件をなかったかのように辺野古の工事を強行」と国を批判した。マスコミや左翼の世界では建男元市長は移設に反対たったから厳しい条件をつけたのだといい、建男元市長を反対派にしている。それは違う。建男元市長は海上案には賛成していた。決して辺野古移設に反対したのではなかった。
小泉元首相は県外移設をしようとしたが普天間飛行場を受け入れる自治体はひとつもなかった。グアムなどへの国外移設も考えたが、普天間飛行場は海兵隊の飛行場であり、海兵隊はアジアでテロや戦争が起こった時に真っ先に駆けつけなければならない。グアムなどでは海兵隊の臨機応変の行動がとれない。数年前にフィリピンの反政府部族のテロが起こった時に海兵隊は普天間飛行場からオスプレイに乗りフィリピンに駆け付け、フィリピン軍の後方支援をした。
県外移設も国外移設はもできない現実があった。政府がいきついたのが辺野古移設だった。政府の事情を知っていた建夫元市長だったから辺野古の海上移設に賛成したのである。海上移設を断念したのは政府である。
政府はやぐらを建てて測量を始めた。ところが移設反対派が舟でやぐらを囲み、やぐらに上って測量士を羽交い絞めにして、測量を阻止した。






海上保安官が反対派の行動を押さえこもうとしたが、海では四方八方からやぐらを襲うことができる。完全に抑え込んで測量を継続するのは困難であった。反対派の強力な阻止運動に政府は測量をあきらめた。海上への移設を政府は諦めたのである。海上移設をあきらめた政府が次に候補に挙げた移設先が現在の辺野古沿岸であった。
政府が名護市に辺野古沿岸移設の案を出した時に市長だったのが岸本建夫氏であった。岸本氏は1999年に移設に7条件を提示した。政府は条件受け入れを表明したが、7年後の2006年5月に日米合意に基づいて辺野古移設などを改めて閣議決定した時に使用期限の協議などの項目を削除した。1999年の閣議決定は廃止し、岸本氏が掲げた容認条件は無効化された。岸本候補は、父が付けた移設の条件が「なかったかのように辺野古の工事を強行」と国を批判したが、岸本氏の7つの提案は2006年に無効化されていた。なかったかのようにではなくすでになかったのだ。岸本候補は事実を正確に理解していない。
2006年5月。政府は普天間飛行場代替施設について日米で合意した2本の滑走路をシュワブ沿岸に建設する案を基本に「早急に代替施設の建設計画を策定する」と閣議決定した。閣議決定前の同年2月、退任を直前に控えた岸本氏はシュワブ沿岸への代替施設建設計画に「滑走路延長線上に民間住宅があり、住民生活への影響を考えても論外だ」と批判した。それから1カ月余りたった同年3月27日、岸本氏は肝細胞がんで死去した。
岸本候補は、父の岸本元市長が厳しい7つの条件を出した理由は移設に反対していたからと述べ、岸本元市長は移設反対派であったと説明しているがそれは違う。移設には賛成であったが2本の滑走路のをつくるシュワブ沿岸の飛行場建設に反対した。岸本元市長は「滑走路延長線上に民間の住宅があり、住民生活への影響を考えても論外だ」と述べている。
岸本氏の後継として市長に就任したのが島袋吉和氏である。島袋氏は岸本氏の意思を引き継いだ。政府が閣議決定した二本滑走路の飛行場建設案を受け入れなかった。
 島袋氏は東京に呼ばれて政府案を容認するように説得された。当時の防衛庁長官は額賀福志郎であった。地方の市長が政府の大物に説得されたのだ。圧力はすごかったはずである。島袋氏は圧力に屈しないで政府案を拒み続けた。これ以上は話は進展しないと思った島袋氏は立ち上がって帰ろうとした。額賀防衛庁長官は島袋氏を引き留めて、少しの間待つように言った後に奥の部屋に行った。
 しばらくして額賀長官は専門家を連れてきた。専門家はV字型滑走路を提案し、V時滑走路にすると住宅の上を飛ばないことを説明した。

 政府は二本の滑走路案を認めさせようとしたが頑として首を縦に振らない島袋氏であった。どうしても辺野古移設をしなければならない政府はV字型滑走路を提案したのである。V字型は飛行場としての機能がかなり落ちる。しかし、辺野古沿岸以外移設する場所がない。追い詰められていた政府は島袋氏の容認を得るためにV字型滑走路にしたのである。島袋氏はV時滑走路にすることで辺野古移設に合意した。
 V字滑走路にすることで島袋市長が政府と移設合意したことは知っていた(「捻じ曲げられた辺野古の真実」にも書いてある)。チャンネル桜のキャスターをしていた私は島袋氏を招いて、いきさつを直接島袋氏に聞いた。

 日本は地方自治体の権限が強い。辺野古移設は名護市長の同意がない限り政府がどんなに望んでいても移設はできない。政府は同意させるために知恵を絞りに絞って常識外れのV字型滑走路をひねり出したのである。V字型滑走路にたどり着くまでかなり苦労したと思う。

 反対派がやぐらを襲って測量を阻止しなければ、すでに海上に辺野古飛行場が完成していただろう。飛行場が完成しないで普天間飛行場移設ができないのは移設反対派の妨害が原因である。普天間飛行場の危険を引き延ばしているのが辺野古移設反対派である。
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