八重山教科書裁判には裏がある

8月1日に行われた八重山教科書問題の裁判の経過について、
狼魔人日記が詳しく書いている。
この裁判は非常に奇妙な裁判である。訴える相手は本来は文科省であるのに、
妙な理屈をつけて石垣市と与那国町の教育長を訴えている。
私の「沖縄に内なる民主主義はあるか」で
八重山教科書問題について詳しく追及しているが、
石垣市と与那国町が育鵬社の教科書を採択したのに落ち度は全然ないし
教育長の行動にも全然落ち度がない
。この裁判は100%原告が負ける。
それなのに裁判をしているのである。
政治集団なら100%負ける裁判でも
思想信条の理由で裁判を起こすのは理解できるが、
この裁判は生徒とその両親である。
つまり一般家庭の人が原告なのだ。
裁判には多額な弁護士料が必要である。
100%負ける可能性が高い裁判を一般家庭がやるのはありえない。
この裁判には裏がある。

この裁判はとてもややこしい内容であり、
一般の人では絶対に思いつかない訴えかたある。
私もうまく説明はできない。
裁判について説明すると、

石垣市と与那国町の小学生または中学生がいずれ中学三年生になるが、
中学三年生の公民を育鵬社にしたのは9月8日の全員協議の決定に違反している。
石垣市と与那国町は東京書籍にするべきであるのにしていないということで
石垣市と与那国町の教育長を訴えている。

しかしだ。8月23日の八重山地区採択協議の採択を有効とし
9月8日の全委員協議の決定を無効と判断して
育鵬社の教科書を無償給付することに
最終的に決定したのは文科省なのだ。
石垣市や与那国町の教育長には無償給付する決定権はない。
それにこの問題は国が無償給付する教科書を決めたことであり、
中学で使用する教科書を決めたわけではない。
ここが八重山教科書問題を知らない人にはややこしい。

八重山地区に国が無償給付する教科書を決めるのが八重山地区採択協議会である。
しかし、八重山地区採択協議会は各市町が使用する教科書を決める組織ではない。
だから、八重山地区採択協議会で決めた教科書を強制することばできない。
しかし、八重山地区採択協議会で決めた教科書以外の教科書は有償となる。
各市町の中学で使用する教科書を決めるのは各市町の教育委員会である。
だから、八重山地区採択協議会や9月8日全委員協議は国が無償給付する教科書を決める会議であって、
二つの会議がどんな教科書を決めようが、
それには束縛されないで
各市町の教育委員会は使用する教科書を決めることができる。
使用する教科書を決めるのは無償措置法ではなく地方教育行政法によるからだ。

つまり、9月8日の全委員協議が東京書籍を採択したことが有効だとしても
石垣市の教育委員会が育鵬社の教科書を採択したことになんの問題もないのだ。

八重山採択地区協議会が有効であるなら育鵬社の教科書が無償給付され、
9月8日の全委員協議が有効なら東京書籍の教科書が無償給付されるだけなのだ。
文科省は八重山地区採択協議会の採択を有効だと判断し、
育鵬社の教科書を無償給付した。

地方教育行政法と無償措置法を正確に読めばわかることだが、
八重山教科書問題で裁判に訴えるとしたら無償給付を決断した文科省しか訴えることができない。
ところが法律の専門家しか考え出すことができないようなややこしい理由をつけて
無理やり石垣市と与那国町の教育長を訴えたのだ。

はっきりいって、
これは政治的意図による裁判だ。
裁判の原告人が自費で裁判を起こしたとは考えられない。
万が一原告が裁判に勝っても
東京書籍の教科書が使用されるだけで原告に賠償金が入るような裁判ではない。
こんな裁判を一般家庭の人がやるはずがない。
東京書籍の教科書も育鵬社の教科書も国の検定を合格している。
一般の人が国の検定を合格した教科書に駄目を出すのはありえないことだ。

育鵬社の教科書を嫌う政治団体が仕掛けた裁判であるのは見え見えだ。
この裁判の目的は裁判に勝つことではなく、裁判の報告会などといって市民集会を開き、自分たちの政治思想を広めていくのが目的だ。
裁判に負けても
市民集会に集まった人たちをオルグして組織拡大をしていけば
十分元が取れるという戦術である。

ある政治集団が得意とする戦術である。
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伊波氏の責任転嫁の理屈

伊波洋一前宜野湾市長の意見が新聞に掲載された。

「アメリカはすべての米軍飛行場に土地利用が禁止されているクリアゾーンを義務付けている。
ところが普天間飛行場では危険なクリアゾーンが施設外にはみ出し、
普天間第二小学校などの約3600人が住む約800戸の住居にまで及んでいた」

と、伊波氏はアメリカ軍はアメリカが義務づけているクリアゾーン設定を
普天間飛行場では違反していると指摘している。
伊波氏の口調では
米軍が違反しているように見えるが、
それはとてもおかしい理屈である。

1969年に普天間第二小学校を創立したが、
普天間第二小学校を
普天間飛行場金網沿いにつくることを決めたのは
宜野湾市政である。
アメリカ政府でもなければ
米軍でもない。
宜野湾市民が選んだ市長と議員が
普天間第二小学校を普天間飛行場の金網沿いにつくったのだ。

普天間飛行場は1945年につくった。
普天間飛行場ができた24年後に普天間第二小学校をつくった。
普天間飛行場の金網沿いに小学校をつくれば騒音被害は当然起こる。
ヘリコプターが墜落する危険もある。
それを承知で宜野湾市は普天間第二小学校をつくったのだ。
普天間第二小学校の騒音被害は宜野湾市にあるのは明確である。

普天間飛行場のクリアゾーンを管轄しているのは
アメリカ政府ではない宜野湾市政だ。
クリアゾーンに人が住むのを許可する権限はアメリカ政府ではなく宜野湾市にある。
宜野湾市の権限でクリアゾーンに人を住まわしていながら、
クリアゾーンに人が住んでいるのをまるでアメリカに責任があるように
伊波氏は主張している。
こんなことを平然と述べるのだから伊波氏は厚顔無恥というしかない。

普天間飛行場のクリアゾーン問題ではっきりしているのは
アメリカはクリアゾーンを設定しているが、
宜野湾市は設定していないということだ。
宜野湾市政は普天間飛行場の騒音被害、墜落の危険を全然気にしないで
クリアゾーンに小学校をつくり住宅をつくったということだ。
クリアゾーンの責任は宜野湾市にある。
伊波氏がクリアゾーンに住んでいる人々の安全な場所への移転を要求するのなら、
アメリカ政府ではなく、
宜野湾市に要求するのが正しい要求である。

普天間飛行場の金網沿いに小学校をつくったり、
クリアゾーンと呼ばれる危険地帯に3600人もの人を住まわしている宜野湾市には、
子供の人権、市民の生活の安全を守る思想が欠けているのだ。

普天間第二小学校の騒音被害、
ヘリコプターの墜落危険を
アピールしながらも安全な場所に移転しないのは、
普天間第二小学校を利用して
普天間飛行場の危険性をアピールし、
普天間飛行場を撤去させるのが目的だ。
社民党である伊波氏は反米主義に凝り固まった人間であって、
伊波氏には子供の人権や人々の安全を守る思想はない。
普天間第二小学校やクリアゾーンの騒音・危険性のアピールは
すべて米軍を撤去させるために利用しているだけだ。
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カマドゥー小たちはテロリスト


「カマドゥー小たちの集い」は宜野湾市に住む若い母親たちの集団である。政治集団ではなく市民集団だ。彼女たちが米軍普天間飛行場の早期返還、県外移設を求めて立ち上がった。毎年普天間基地に向かって抗議行動をしている。

 彼女たちは母親である。子供もいるだろう。母親の立場から普天間基地に隣接する普天間第二小学校の子供たちの安全のためにも普天間基地撤去を訴えるのは理解できるが、普天間基地はアメリカ軍基地であり、アメリカ政府と日本政府のアジア軍事戦略として存在している。普天間基地は国家レベルの問題であり、子供の安全のための感情レベルの問題ではない。

 子供の安全のために訴えることのできる行動は普天間基地撤去以外にもうひとつある。それは普天間第二小学校の移転を訴えることである。普天間第二小学校の移転の費用は30億円くらいである。政府もアメリカ軍も普天間第二小学校の移転には賛成であり、協力もする。しかし、過去にPTAから移転要求が出た時、保守系の市長は賛成だったが、革新系の議員が反対して実現しなかった。これは有名な話である。

 「カマドゥー小たちの集い」は普天間基地の騒音、危険性を訴え、普天間基地撤去を主張するが、普天間第二小学校の移転については一言もない。母親、市民集団でありながら革新系の政治家と同じ主張である」

これは去年の8.14に私のブログに掲載した文章である。私は「カマドゥー小たちの集い」は宜野湾市に住む若い母親たちの集団であると信じていた。新聞にそのように書いてあったからだ。しかし、最後に「『カマドゥー小たちの集い』は普天間基地の騒音、危険性を訴え、普天間基地撤去を主張するが、普天間第二小学校の移転については一言もない。母親、市民集団でありながら革新系の政治家と同じ主張である」と書いてあるように、「カマドゥー小たちの集い」は大衆組織を装った政治集団ではないかと私は疑うようになった。私の疑いは間違っていなかった。「カマドゥー小たちの集い」は大衆組織を装った政治集団であったのだ。残念だがこれは事実のようだ。

狼魔人日記を読んで彼女たちが上げる風船はテロ行為であることがわかった。

国際大学の事務職員が凧揚げをした時に、どんどん糸を伸ばして凧を高くあげたら普天間飛行場から飛び立ったヘリコプターが凧を避けるように上昇したという。ヘリコプターは凧と衝突する危険を避けたのだ。
飛行機の一番危険な時は離着陸である。もし、ヘリコプターが飛び立とうとしている時に障害物が現れたら非常に危険である。障害物を避けようとして運転をあやまり墜落する可能性がある。

カマドゥたちの集いの風船上げは単なる風船上げではない。アトバルーン風船である。風船には糸がついている。普天間飛行場から飛び立ったヘリコプターと同じくらいの高さに大きな風船を上げるのだ。ヘリコプターにとってとても危険な障害物である。
彼女たちの風船上げはヘリコブターが墜落する可能性のある行為である。風船が多ければ多いほどヘリコプターが運転を誤って墜落する危険性は高い。

ヘリコプターが簡単に墜落することないと思うが、問題は「カマドゥー小たちの集い」の目的が普天間飛行場から飛び立ったヘリコプターを危険な状態することであることだ。これは尋常な抗議行動ではない。抗議行動を逸脱したテロ行為である。このような危険な行為を一般の主婦の集団がやるはずがない。カマドゥたちの集いが政治集団であるからやるのだ。

風船上げは普通の飛行場なら禁じられている。しかし、米軍基地だから特別に禁じられていない。この法の盲点をついた行為が風船上げである。
「普通の飛行場なら禁じられている」のだから風船あげがとても危険な行為であることに違いはない。カマドゥたちの集いの風船上げは、法律違反でないならなにをやってもいいという人間の倫理を失った行動である。

ネットからのコピーが法律違反ではないからどんどんコピーをしよう。法律で禁じられていない脱法ハーブだからどんどん吸おう、という考えと同じである。

カマドゥたちの集いの風船上げは強い政治思想による行為である。普天間飛行場は危険だから移設しろという大衆的な思想ではない。反米軍基地思想であり、反米主義である。彼女たちのリーダーは社民党員か共産党員であるだろう。

私は「沖縄に内なる民主主義あるか」で普天間第二小学校の移転を訴えた。普天間飛行場問題とは関係なく。普天間第二小学校は一日も移転するべきだ。移転できる場所もあるのだから。
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本ができあがった





色々あったが、やっとのことで本が仕上がった。
なかなかかっこいい表紙だ。
しかし、書店にすぐ並ぶわけではない。
沖縄教販さんに本を送った。私の本を取り扱うかどうかは「審査」して決めるそうだ。

私としては大した内容の本とは思わないが、なにしろ三出版社に自費出版を断られた本だ。もしかすると取り扱ってくれないかもしれないという不安がないと言えば嘘になる。

オスプレイやら普天間飛行場やら辺野古やらで盛り上がっている最中にこの本が出る。タイムリーなのかそれとも反発を買うのか。楽しみだ。

書店にこの本が並んだら、徹底して沖縄問題を追及していくつもりだ。
よろしく。
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大田氏は沖縄の貧困には目を向けない

 再び「星の流れに」に話を戻す。沖縄の歴史を調べて驚くべき沖縄の貧困の事実を見つけたからだ。

18世紀にはいると、台風や干ばつなど異常気象があいつぎ、
困窮した農村はそのたびに飢きんと疫病にみまわれ、
多くの餓死者をだしていました。
 農村がこのような自然環境の変化に大きく
左右されたのは過重な税負担と、
地方役人による不当な取り立てが原因でした。
その為、予測される災害にすら対応がままならず、
まったくの無防備な状態で災害にみまわれるありさまでした。

 こうした社会にはそれを回復させる余力など残っておらず、
大量の餓死者をだしていったのです。
その上飢きんにみまわれた年でも、
農民の租税免除はその場限りで
、ほとんどの農村が翌年にはようしゃなく年貢を取り立てられました。
 農村はますます貧しくなり、
借金のかたに土地を質入れしたり、
身売りしたりする農民があとを絶ちませんでした。

 身売りとは、年貢をおさめるために借り入れた米やお金を返せなくなった農民が、
貸主のもとで一定年限、下男下女としてつとめることです。
これによって家族が崩壊することを家内倒れといい、
これと連動して、上納の責任単位である与(組)が
くずれてしまう与倒れの現象も起こりました。
身売り農民のひきうけもとは、
地元の有力者か間切りや村役人などの特権階層でした。
農村はしだいに、
ウェーキと
呼ばれる富農層と、
ヒンスーと
呼ばれる貧農層とに
二極分解していきました。
                   「ジュニア版琉球・沖縄史」

年貢   9000石
芭蕉布  3000反
琉球上布 6000反
琉球下布 10000反
むしろ  3800枚
牛皮   200枚

 薩摩藩に支配された琉球王府は以上の品々を薩摩藩に献納しなければならなかった。
その負担は琉球王府が負うのではない。琉球王府は支配者として贅沢三昧の生活をしていた。
薩摩藩への莫大な献納を負わされるのは搾取される農民である。
薩摩に支配された琉球の農民は重税に苦しんだ。

吉屋チルーのように遊郭に売られていく子供は後を絶たなかった。

しかし、驚いたことに、
沖縄の貧困は琉球王朝時代で終わらなかった。
四民平等になったはずの明治から昭和の戦争直後まで
沖縄の農民の貧困は変わらなかったのである。
その歴史的事実が専門書ではなく
中・高校生用の本に載っている。
中・高校生用の本にだよ。
沖縄の知識人ならみんな知っていて当然と思うが、
ほとんどの沖縄の知識人は沖縄の貧困問題を知らないようだ。
琉球処分は悪いことだと主張するし、
米軍基地があるから沖縄の経済は発展しないなどと
おっしゃるくらいだら。
「ジュニア版 琉球・沖縄史」から引用する。

 戦前の沖縄の人口は約60万人ほどで、
その7割が農民でした。
しかも、多くは零細農家で、
サトウキビを主作物とする農家をいとなんでいました。

 廃藩置県後、
沖縄では換金作物としてサトウキビを栽培する農家が増え、
サツマイモ畑や水田までもキビ畑にかえていました。
砂糖生産中心のこの生活形態は、
自然環境や経済変動の影響をうけやすく、
ことあれば、すぐさま食糧不足と経済危機にみまわれるという弱さを持っていました。
それが最悪の形であらわれたのが、
大正末期から昭和初期にかけておこった
ソテツ地獄でした。

 沖縄の輸出品は、
砂糖のほかに、泡盛・パナマ帽子・畳表・鰹節・漆器などがありましたが、
その8割を砂糖が占めていたので、
国際的な糖価の暴落は県経済に深刻な影響を与えました。
国税の滞納額も、
1921(大正10)年以後は40%台を推移し、
銀行などの金融機関にも大きな打撃を与えました。
それにおいうちをかけるように、
台風や旱ばつがおそい、
農村は文字どおりソテツを食べて、
飢えをしのばなければならない状態にまでおいつめられていきました。

 多額の借金をかかえ、
生活がどうにも立ちゆかない農家では、
最後の手段として身売りが公然とおこなわれました。
男性は漁業に従事する糸満へ、
女性は遊女として辻の遊郭へ売られました。
また、海外移住や本土へ出稼ぎとして
沖縄を出ていく人びともふえていきました。
                  「ジュニア版 琉球・沖縄史」

 昭和の名曲「星の流れに」は、
戦争に翻弄され、
満州から引き揚げてきて、
敗戦後の荒廃した日本で
生き抜くために身を落とした女性の歌であることを説明した。
しかし、沖縄では
戦争に翻弄される以前から
「星の流れに」のような娼婦に身を落とす女性が多かった。
戦前の沖縄では、身売りされるのは女性だけでなく男性も多くいた。
いわゆる女性の辻売りと
男性の糸満売りである。

 子供の頃、母親から聞いた話だが、
戦前は男の子供が駄々をこねて泣くと、
「糸満に売り飛ばすぞ」
と脅したそうだある。
すると子供は泣くのをぴたりとやめた。
糸満の漁師に売られた子供は漁師として鍛えられる。
泳げない子供でも縄で縛って海に放り込んだそうだ。
溺れて死にそうになってもなかなか引き上げない。
もし、訓練中に死んだとしても事故として片づけられる。
糸満に売られたら殺されても文句が言えないということである。
まさに子供にとって死ぬかもしれない過酷な運命に放り投げられるのが
糸満売りであった。

 辻売りや糸満売りは琉球王朝時代の話ではない。
戦前の話なのだ。
私の家の前に三〇〇坪ほどの空き地があり、
その空き地を借りて畑をやっていたじいさんがいたが、
彼は与那国出身で
糸満売りで沖縄にやってきたと話していた。

 戦前までは辻売りや糸満売りが公然と行われていたが、
その原因は沖縄の貧しさであった。
大正末期から昭和にかけて沖縄ではソテツ地獄があった。
昭和時代になってまで沖縄はソテツ地獄と呼ばれる飢餓があったのである。
明治以後は人身売買は法律で禁じられていたが
沖縄では公然と人身売買が行われていたという。

  「星の流れに」は日本の敗戦が原因であるが、
沖縄の場合は敗戦が貧困の原因ではなく
それ以前の沖縄の根本的な貧困問題があった。
最近、従軍慰安婦問題を取り上げて日本軍を非難しているが、
彼らは日本軍を非難するだけであり、
沖縄の貧困問題には触れない。
大田氏も同じように触れない。
大田氏は、昔の琉球は平和主義であり
「命どぅ宝」を合い言葉に他者と有効的共生の生き方をして沖縄は豊かであったような印象を与えているが、
とんでもないことである。
豊かであったのは少数の士族階級の人間たちであり、
多くの農民は貧困生活を強いられていた。

明治以降も同じであった。
明治時代になり表面上は四民平等になったが
実際は富む士族階級と貧しき農民階級の関係は続いていた。
明治政府は人材不足であり沖縄に派遣できる人材は少なく
沖縄県の政治は統治能力のある沖縄の士族層に任せた。
そのためにほとんどの役人は士族出身者が占め、
財産のある士族層が経済界も支配していた。
戦前の沖縄の産業は寄留商人と呼ばれる
本土出身者と政府の手厚い保護でえた
不動産や資金をもとに、
貿易・金融・開墾・鉱業開発・新聞社
などを経営した尚家が支配していた。
人口の70%以上を占めていた小作農民は
貧困生活を強いられていた。
沖縄を問題にすることは貧困生活を強いられていた70%の農民を
無視しては絶対にいけない。
ところが
大田氏は農民を無視しているのである。

沖縄の長い歴史の中で農民を含めた庶民が
人間らしい生活ができるようになったのは戦後である。
人間らしい人権や自由を得たのも戦後である。
戦前は士族階層と本土の寄留商人が政治と経済を牛耳っていた。
多くの農民は搾取され貧困にあえいでいた。
土地のない農民は小作人となり低賃金で
本土資本の製糖工場のさとうきび畑で働かされていた。

戦後になり、
アメリカ民政府によって寄留商人は沖縄から排除された。
士族階層の特権は剥奪され、
土地は小作人に分け与えられた。
そして、商売が誰でも自由にすることができた。
琉球銀行を設立して商売や起業を一般の人がやりやすくした。
外国資本の参入も自由にしたので外国の資本が沖縄に流入した。
それをやったのは沖縄の政治家ではなく米民政府であった。

戦後の沖縄経済が活発になっていったのは
アメリカ民政府による市場開放の政治を行ったからである。
沖縄の革新政党やマスコミなどが
問題にするのは米軍基地があるゆえの事件・事故である。
アメリカ兵が犯罪を犯した時には米軍が裁判を行い無罪にしたことである。
アメリカ兵が加害者の時は米軍が裁判をする。
沖縄人が加害者の場合は沖縄が裁判するというのが沖縄の裁判だった。
だから、沖縄人が米軍基地内で犯罪を犯しても裁くのは沖縄の裁判所であった。
「戦果」と呼ばれる基地内の物を盗むのは横行していた。
私は「センカ」という意味は米軍基地から物を盗むことであると思っていたほど、
「戦果」は日常的に行われていた。
特にPXからタバコやかんづめなどはものすごい量であり、
米軍の物を横流しして財産を築いた人は多かった。
なぜあれほどまでに戦果が横行したかと言えば
沖縄の警察の取り締まりが弱かったからである。
暴力団などは警察を買収して、
堂々と「戦果」をやっていた。
沖縄人がアメリカ女性を暴行したり殺したりしても
検挙して取り調べるのは沖縄の警察であり、
判決を下すのは沖縄の裁判所であった。
有名なコザ騒動も捜査して検挙したのも沖縄の警察である。
アメリカの圧力は一切なかったと当時の検察官は話している。

このような事実を明らかにしないで、
まるでアメリカ兵に関係した事件・事故は
アメリカ側がすべて裁いたような印象を与えるのはおかしい。
もっと客観的な見方をするべきである。

世界一の経済大国であるアメリカは沖縄を占領したが、
アメリカは沖縄を搾取するのではなく、
多額の金を沖縄に流し入れ、
市場を自由にし沖縄の産業を育成して沖縄経済を活性化させていった。
戦前の経済と戦後の経済を比較すれば
戦後の経済は
自由であり何倍も発展していて庶民の生活も向上していることが分かる。

しかし、大田氏は戦前と戦後の経済を比較しない。
琉球王朝時代、戦前、戦後の市民レベルでの人権、自由、生活状態を比較しない。
大田氏の「こんな沖縄にした」には沖縄の貧しき人々、虐げられた人々や庶民は登場しない。
沖縄の支配者たちが登場するだけである。
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