自分勝手な戦争論




「米軍の激しい攻撃を逃れ、サイパン島最北のマッピ岬に追い詰められた当時14歳の上原征夫さん(80)の家族5人は崖から海に身を投じました・・・」と戦争の体験談はアメリカ軍に追い詰められた話が多い。アメリカ軍に殺されたり、追い詰められて自殺したりした話を戦争体験者は語る。
上原征夫さんの戦争体験を聞いて中学一年生金城育香さんは「戦争の過酷さ知った」と感じる。

ほとんどの戦争体験者はアメリカ軍に攻撃されて被害を受けた時の話をする。アメリカ軍に攻撃される前の日本軍がアジアを攻めて植民地を拡大していた時の話はしない。上原征夫さんはサイパンでアメリカ軍の攻撃を受けた。サイパンは沖縄ではない。サイパンは日本ではない。サイパンの人間ではない上原征夫さんの家族がなぜサイパンに居たのか。
沖縄からサイパンに移住したから上原征夫さんの家族はサイパンに居た。上原征夫さんの家族はどうしてサイパンに移住できたのか。それは日本軍が武力でサイパンの原住民を制圧し、原住民の土地を奪って上原征夫さんの家族に提供したからである。日本軍は抵抗する原住民を虐殺し、生き残った原住民は奴隷にした。沖縄の人たちが南方に移民した背後には原住民の犠牲があった。日本軍の中には多くの沖縄出身者がいた。私の父も南方に出征したと聞く。
南方への慰問団が口にするのは南方で命を失った同胞の話だけ、原住民への懺悔の話は一切ない。

戦争は日本軍が南方を侵略した時から始まっている。多くの南方の原住民が日本軍の犠牲になった。戦争体験を語る人たちはアメリカ軍に攻撃されて悲惨な体験を話すが、原住民の犠牲の上に自分たちの移住があり、広大な畑を所有したことを話さない。
アメリカ軍は日本軍と日本人を攻撃したのであって南方の原住民を攻撃したのではない。アメリカ軍は植民地支配している日本軍と日本人を攻撃し、原住民を解放する戦争をやった。その事実を私たちは理解しなければならない。

戦争体験者は戦争の根本的な話はしない。いや、話をしないのではなく話ができない。彼らはなぜアメリカ軍が自分たちを攻撃したか原因を知らない。彼らが知っているのは戦争で受けた被害体験だけである。
戦争の悲惨さやむごさを彼らは語り、戦争は二度とやってはいけないと主張する。しかし、彼らは彼らの体験した戦争体験だけを話すだけ。ひたすら、アメリカ軍に追い詰められて悲惨な体験をした話を繰り返しすだけ。戦争がなぜ起こるかということは追及しない。戦後アジアで起こった朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジア内戦、フィリピンのテロについては問題意識を持たない。

アメリカ軍に攻撃された悲惨な戦争体験だけにこだわり、被害者の側にかたくなに留まっているだけでは戦争の本質を知ることはできない。
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「米軍の激しい攻撃を逃れ、サイパン島最北のマッピ岬に追い詰められた当時14歳の上原征夫さん(80)の家族5人は崖から海に身を投じました・・・」と戦争の体験談はアメリカ軍に追い詰められた話が多い。アメリカ軍に殺されたり、追い詰められて自殺したりした話を戦争体験者は語る。
上原征夫さんの戦争体験を聞いて中学一年生金城育香さんは「戦争の過酷さ知った」と感じる。

ほとんどの戦争体験者はアメリカ軍に攻撃されて被害を受けた時の話をする。アメリカ軍に攻撃される前の日本軍がアジアを攻めて植民地を拡大していた時の話はしない。上原征夫さんはサイパンでアメリカ軍の攻撃を受けた。サイパンは沖縄ではない。サイパンは日本ではない。サイパンの人間ではない上原征夫さんの家族がなぜサイパンに居たのか。
沖縄からサイパンに移住したから上原征夫さんの家族はサイパンに居た。上原征夫さんの家族はどうしてサイパンに移住できたのか。それは日本軍が武力でサイパンの原住民を制圧し、原住民の土地を奪って上原征夫さんの家族に提供したからである。日本軍は抵抗する原住民を虐殺し、生き残った原住民は奴隷にした。沖縄の人たちが南方に移民した背後には原住民の犠牲があった。日本軍の中には多くの沖縄出身者がいた。私の父も南方に出征したと聞く。
南方への慰問団が口にするのは南方で命を失った同胞の話だけ、原住民への懺悔の話は一切ない。

戦争は日本軍が南方を侵略した時から始まっている。多くの南方の原住民が日本軍の犠牲になった。戦争体験を語る人たちはアメリカ軍に攻撃されて悲惨な体験を話すが、原住民の犠牲の上に自分たちの移住があり、広大な畑を所有したことを話さない。
アメリカ軍は日本軍と日本人を攻撃したのであって南方の原住民を攻撃したのではない。アメリカ軍は植民地支配している日本軍と日本人を攻撃し、原住民を解放する戦争をやった。その事実を私たちは理解しなければならない。

戦争体験者は戦争の根本的な話はしない。いや、話をしないのではなく話ができない。彼らはなぜアメリカ軍が自分たちを攻撃したか原因を知らない。彼らが知っているのは戦争で受けた被害体験だけである。
戦争の悲惨さやむごさを彼らは語り、戦争は二度とやってはいけないと主張する。しかし、彼らは彼らの体験した戦争体験だけを話すだけ。ひたすら、アメリカ軍に追い詰められて悲惨な体験をした話を繰り返しすだけ。戦争がなぜ起こるかということは追及しない。戦後アジアで起こった朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジア内戦、フィリピンのテロについては問題意識を持たない。

アメリカ軍に攻撃された悲惨な戦争体験だけにこだわり、被害者の側にかたくなに留まっているだけでは戦争の本質を知ることはできない。
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鉄塔の腹の向こうに青い空・1214句~1215句



日本初の

アート俳句




1214句



1215句






クリックするとアート俳句の画像に変わります


クリックするとアート俳句の画像に変わります











250・ある街の夏の十字路昼下がり

249・手を伸ばし掴み取れるかきょうの幸

248・しょんぼりと暴風の後のゆりの花

247・囁きが俺の脳裏を駆け巡る

246・五月雨に頭を垂れて比謝の川



245・おーとっと座り損ねた酔っぱらい

244・朧なる夕日に春が暮れていく

243・道端に捨てられゴロリ敗残兵

242・見つめてる君の向こうに青と赤

241・松陰に汗かき座して遥か街





240・今日も行く魑魅魍魎の待つ街へ

239・狂風に吹かれ荒らされ疲れ果て

238・きみとおれあてなく浮世ふわりふわ

237・きみ想うさびしく独り春の酒

236・人はなく車込み合う街の中




235・日暮れれば残波岬に独り立つ

234・暴風雨恐怖に震え家路かな

233・あてもなく居場所もなくつんつんてん

232・歪みゆく俺の心に茜色

231・あはははと陽気な足音窓の外




230・跳ねる雨はしゃぐ草踊れよ踊れ

229・ごちゃごちゃな浮世をピューッと逃げたいよ

228・元気かい俺の心よ灰の空

227・永遠にうごめく波の中の孤独

226・初夏の昼風がうとうと木陰かな



225・走り行く寂しき俺よ吹き上がれ

224・はち切れて喚いて叫び手を広げ

223・分け入って荒れ野に朝顔一輪

222・ありったけを散らして俺の今日の闇

221・赤々と沸き立つ憎悪にキスをする




220・泣いても笑っても時は過ぎてゆく

219・胸きりり疲れた脳にゆがむ朝

218・黙々と農夫は土を掘り返し

217・緑溢る春にネリは果てていく

216・目を瞑り今日一日の臭い嗅ぐ



215・真夜中に何を求めて女三人

214・今日もまた闇の質素な中で寝る

213・強風にへし折られてや哀れバナナ

212・今日もね無事に生きたよ月と俺

211・雲さんよ何を歌っているんだい




210・朽ちる枝花咲く枝の春模様

209・公園の木漏れ日落ち葉昼下がり

208・この杭はなんの杭さあ波は寄せ

207・木漏れ日にまばらな落ち葉の散歩道

206・きみの住む街にエオンと俺の幸



205・きびよ育て育てと少年の日々

204・風が止みふと想いだすきみの香を

203・愛しさを抱きて雪の降る夜かな

202・石の上オオタニワタルひそか生き

201・生きていることにつきまとう不安かな







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