Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

逝く者は、待ってくれない

2007-01-21 00:21:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!今夜はご報告が1つ。
一昨日の早朝、母方の祖父が逝去致しました。1910=明治43年秋、長野県南信の出身で享年96。親族より聞いた話では、大往生に相応しい安らかな最期であった由。寿命より来る致し方ない事態とは言え、その事が何よりと思います。今夜は暫し、私が幼少の頃良く世話になった、この恩人の事を一時偲ばせて頂きたく思います。

今思い返すと、祖父の人柄は厳格なるも、どこかに温かさが隠されたものがあった様に思います。
私が生まれて以来、ずっと遠巻きに見守ってくれていた所、叱咤も多かったものの、深い所で背中を押してくれた所、そして職業人として、お世話になった各位を常に大切に思い続けた所・・・どれも私がどう逆立ちしても追いつけない事共でした。
多くの人々の親であった事も、その大きな1つでしょう。
又多くの親族が仲良く過す事を無上の楽しみとしており、最近は多忙にて中々会う機会のないこの者達に対し「俺の最期位皆で見送ってくれよ!」とのサインを、無言の内に発していたのかも知れません。

口は頗る良くなく、子供たる我が母や、親族達からも煙たがられる事しきり。
それでも一度失われてみますと「癖もあったがやはり、優れた人物だったのではないか」との想いを新たにさせられる気がします。
思えば今の私の文化的姿勢、祖国の尊厳と固有文化の尊重や皇統、そして戦没及び戦災被害各位に対する敬意の念も、問わず語りの内に、祖父がその線路を敷いてくれていた様な気がするのです。

戦後はずっと我が故郷、東三河にてその生涯を過しますが、今も残る居所の筋向いに私の幼少の頃あった、笠の付いた白熱灯の外灯のスイッチを毎夕入れに出、朝起きると切りに出るのが祖父の日課の1つでした。
レトロな家並みと相まってとても絵になる図であり、我が記憶に残る最も美しい情景の1つでもありますね。私はその祖父の後姿を眺めるのが好きでした。
又私が出生直後に住んだ、名古屋近郊が伊勢湾台風の大水害に見舞われた折には迅速に救援の手配をしてくれ、大変有難かった話を両親より聞いた事もあります。
戦前戦中の苦難の時代より、我が母を初めとする多くの家族を率いて良く頑張り、孫の我々にも良い姿勢を見せてくれましたが今世紀に入ってからはさすがに不調を隠せなくなり、福祉施設にての療養にも取組んでいた様ですが、遂に一昨日我が父を通じ、訃報に接した次第であります。

昨日はその祖父の告別式。とるのもとりあえず実家にて母、妹と合流し、多くの親族と共に、最後の挨拶を行ないました。
儀式の1つに拾骨がありますが、これは私にとり最も憂鬱な過程であります。
と申しますのも今を去る40年前に、祖父の長男だった叔父が不慮の事態にて早世、気丈な祖父も、この時ばかりは悲痛な面持ちを露わにしました。幼少だった私はその時の拾骨にも参加、その時の辛い記憶が時空を越え、トラウマになっているのかも知れませんね。此度の祖父の時も、その気持ちは遂に変わりませんでした。

祖父は私に時に大声で、又時には無言の内に姿勢にて、様々な事共を教えてくれました。その最期は本当に心の準備もできないままの、突然のものでした。
「逝く者は、待ってくれない」その事こそが祖父から私への、無言にての最後の教えであると、今は信じたく思います。合掌。
P.S 上記の事態により、本来は服喪すべき所でありますが、昨日我が両親より「それには及ばない」との見解が示されました。
従いましてその見解を尊重すべく、来年初の新年挨拶は、現状例年通りとさせて頂く所存です。*(日本)*
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又「心神耗弱」か?いい加減にせよ!

2007-01-17 23:11:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

祖国日本にとり、21世紀は正に「事件事故の世紀」と申して良い程に、目を覆いたくなる様な事共が頻発しています。
そして今日も、その様な重大事態が大阪府下にて発生致しました。
本日午後、同府下の近畿日本鉄道駅近くの商店街に、祖母と共に買い物の訪れていた幼児が陸橋上より歩道に突き落とされる事件が起こり、瀕死の重傷にて夜になった今も集中治療室にて対処中。一命を取りとめたとしても、深刻な後遺症が残る恐れがあります。
犯人の男性容疑者は現場にて殺人未遂容疑にて逮捕されましたが福祉施設に入っていたとかで、このままですと心神耗弱を理由に不起訴か、裁判まで進んだとしても、不当に軽い量刑に終わる可能性があります。

思えばこの「心神耗弱」なる理由は、これまで多くの凶悪犯の裁判にて、被告弁護側に必要以上に安易に利用され続けて来た嫌いがありますね。
考えたくはありませんが、過去多くの殺人、同未遂や傷害、暴行などの事件にて犯行当時、被告に善悪を判断する能力が一時的に欠けていた、あるいは低下していた等で、不起訴、無罪、又は減刑などに至った事も少なからずある様です。
しかしながらこの症状、私は少し濫用され過ぎているのではとの印象を抱いております。

先年、同じ大阪府下にて若い姉妹が惨殺された揚句居所に放火された事件では、一審にて男性被告に犯行の計画性、そして残忍性を理由に死刑判決が下され、現在二審にて係争中ですが、この時も弁護側の控訴理由は「心神耗弱にて犯行当時、善悪の判断が不能だった」と言うのがそれでした。こうなると、被告側弁護士を罵倒したくなるのは私1人ではないでしょう。
最早この用語、被告弁護人の不当な減刑への口実に利用されている様な印象を免れないと強く思います。
こんな事が繰返されていては犯罪犠牲者、そして被害者の立場の援護はいつまで経っても立ち行かないと思いますね。
又、両件の被告はいずれも再犯。そうした病的な事案に対する行政の取り組みもまだ不十分かつ底の浅いものであると強く感じます。

この様な矛盾の背景には、60余年に亘って見直される事のない、矛盾に満ちた日本国憲法の問題も見え隠れします。同法の第37条にて「刑事被告人の権利」を詳細に規定していながら犯罪被害者の援護には一言も触れていません。終戦直後は犯罪人への不当な扱いに対応する必要があったにせよ、この様な偏った規定は当然見直しを受けるべきであります。

今回の件の裁判では、どうか無辜の幼児への凶行が、問題多い現代に見合った形にて裁かれる事を強く望みます。
少子化の時代、次代を担う子供達への犯罪はとりも直さず、祖国日本の国家に対する重大犯罪であると強く思いますので・・・。*(日本)*
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OCN Cafe人物往来~続き

2007-01-14 22:48:58 | 日記・エッセイ・コラム

コナサン、ミンバンワ!

先日、中東ペルシャ湾にて発生した我国の大型タンカーと合衆国海軍の原子力潜水艦による事故について触れるつもりだったが、俺の所属する当Cafeの1サークルにて大きなメンバーの動きがあったので今夜はこの事に触れ、前述の事故は次回取り上げようと思います。

俺は現在、3つのCafeサークルに加入しているが、その内の1つでこの年初、2名の会員が相次いで退会。これは見解の異なる他の会員の不穏当な言動が許容できなくなったのが1つ、もう1つはご使用の掲示板等への不良投稿が頻発した事が考えられる。

かく申す俺の所も昨年末、3つあった掲示板のうち1つに大量の不良投稿があり、閉鎖のやむなきと相成った。こうした所業は他の複数の会員や多くの知友の所でも見られる様で、本当に投稿者の神経と品性が疑われる所である。

現役世代の我々は、本当に日々忙しい本業の合間を縫ってのCafe活動であり、サイトの管理も十分には叶わないのが現状。そうした間隙につけ込んでの不良な所業には本当に憤りを感じるし、何とか被害の小さな段階で解消を試みたいものだが、中々そうは行かない時があるのも事実である。

このサークルは後1名の会員が重篤な病気にて入院中。症状は予断を許さない様で、どうか回復をお祈りするばかりである。又、去って行かれた元会員各位も、日を改めて復帰して下さればと今は思っている所である。

Dscn2023

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ローカル鉄道の車窓から見えたもの

2007-01-14 15:59:00 | インポート
大寒の季節です。1年で最も気温が下がる時期のはずですが、例年に比べそれ程寒くないと、多くの方々が仰っています。確かに私の実感もその通り。事によるとこれは、以前より指摘されている所謂「地球温暖化」が進んでいる影響かも知れません。

昨年晩秋より今年初にかけ、当地名古屋の西郊を行くローカル鉄道「養老線」の沿線へしばしば出かけました。
この鉄道は1910年代の大正年間に初開業、戦前の一時は岐阜西濃に本社を置いて今も盛業中の、ある電機メーカーにより経営されていた時期もありました。
その後昭和に入ると関西の大手私鉄の傘下に入り、大戦中の1944=昭和19年に大阪に本拠を置く大私鉄、近畿日本鉄道の一路線となり現在に至っています。線路幅は1067mm、電力方式は直流1500Vで、これは旧国鉄、現JR東海や名鉄こと名古屋鉄道と同様です。

私がまだ10代の高校時代、悪友と共に部活の研究の為もあり、この路線に入った事があります。
近鉄こと近畿日本鉄道と言えば、その本線筋たる大阪線と名古屋線は、新幹線同様の広めの軌道幅の線路を採用している事が知られています。
元々は名古屋線も旧国鉄、現JR線と同じ線路だったのですが、1959=昭和34年に襲来した第15号、所謂伊勢湾台風による風水害にて大きな被害を生じ、その復旧時に大阪線同様の線路に改められたもの。これにより、名古屋~大阪間直行の特急列車が出現したのは有名な所でしょう。
従って養老線も、この台風被害に遭うまでは名古屋や伊勢方面と直通乗り入れをする機会もあったのですが、当時旧国鉄の貨物列車が乗り入れていた事もあり、線路変更はありませんでした。この頃は夜間は勿論、日曜日の日中も盛んに貨物列車が運転されていた記憶がありますね。並行する国道258号の整備が途上だった事も理由の一つでしょう。

その後は国道整備に伴う大型トラックによる道路便への貨物移転に伴って、同線の貨物業務は1996=平成8年頃に終焉を迎えます。又、ご存知の自家用車の普及による乗客減が生じて採算が悪化、昨2006=同18年に運営主の近畿日本鉄道と沿線自治体が同線の今後に関して協議を行なった結果、今夏を目途に自治体が鉄道路線を共有し、同鉄道の子会社が運行業務を引き継ぐ所謂「上下分離方式」による経営変更が決定した由。この存続手法は一昨年、路面電車の岐阜市内線他にて採用への動きがありながら挫折した事のある方法です。

実は、この方法による近鉄路線の経営変更には前例があるのです。
2002=平成14年春、養老線と同じ三重県桑名市を起終点とする路線、北勢線が地元私鉄の三岐鉄道に、やはり上下分離方式にて移管されています。そこに私は、当地大手私鉄の名鉄とは異なる企業風土を感じずにはいられないのです。
あくまでも公共性よりは経営効率や損得を優先する印象のある名鉄に比し、近鉄の経営変更への姿勢には、最後の所で地元の利便に関わる公共性を見捨てない敬意の様なものが感じられるのであります。

この年末年始、私は同線の列車に2度に亘り乗車する機会を得ました。冬休みの日中とあって乗車率は芳しくありませんでしたが、それでも運行に関わる方々の対応はとても暖かく、好感の抱けるものでした。
その沿線は東に当地の主要河川、揖斐川と西に養老山地を臨む人里と山里との境目に当たり、住宅地と山里が微妙に入り混じった地域が続きます。
割合人口の多い桑名、大垣の両市周辺はさすがに開けていますが、路線の中程は以外な山間もあり、結構新鮮な発見でした。
ただ気になったのは、沿線の住宅地や工業地の開発を試みながら、結局は失敗したと思われる箇所が散見された事、そして人が住まなくなった廃屋の様な建物が結構見受けられた事でしょう。

同線の経営が苦境に陥ったのは単に国道整備による自動車化、所謂モータリゼーションだけではない様に思います。
以前、名鉄のローカル線、揖斐・谷汲両線の廃止時にも指摘された事ですが、どうも沿線の過疎化が当地名古屋よりそう遠くないこの土地でも始まっている様なのです。

今、中部経済は絶好調を謳っている様に見えますが、名古屋中心部はそうであっても、周辺部が果たしてその恩恵を受けているのだろうか・・・列車を後にする時、そうした想いがふと、脳裏を過ぎりました。

P.S 養老線を一舞台に取り上げた拙写真帖新作を、当HP「HAKASEの隠し部屋別室」に載せました。折にご笑覧下さる様。*(山)*
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防衛省発足に寄せて

2007-01-11 00:21:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

一昨日、我国の安全保障を担う新たな省庁、防衛省が発足致しました。まずは一言、同省の門出を祝いたく思います。

ご存知の様に同省の前身は防衛庁。
1954=昭和29年7月、当時の自衛組織、警察予備隊が保安隊を経て、現在と同じ自衛隊へと改組されたのを機に、防衛庁が発足します。
同庁は基本的に内閣府の一部であり、予算要求等は防衛庁長官が独自に行なう事ができず、内閣総理大臣の承認を得る必要がありました。それが今回の「省」への昇格により、防衛大臣が独自に行なえる様になるのです。又、従来は付随任務であった海外での救援活動等も本土防衛と同等の本来任務へと昇格します。

この改組と自衛隊活動の変更については、少なからぬ異論がある事は承知しています。
つまり、防衛省としての権限の増大は、我国の軍事化を加速して周辺諸国との無用の緊張を招くのではないかとの懸念が1つ。
もう1つは、海外活動の機会が増す事は、万一現地での紛争が生じた場合、その事に巻き込まれる恐れがあるのではとの心配が指摘されています。その事は一定の理解ができます。が、しかし・・・。

これもご存知の様に、最早祖国日本は途上国ではありません。
国民総生産に代表される経済力は世界でも5指に入る大きさであり、国際連合にても常任理事国入りの話が生じる程の主要国であります。そうである以上、資金以外の様々な人的国際貢献も求められて然るべきであり、それに応えるのは国家としての責務と言えるのではないでしょうか。
又、将来的には集団的自衛権への理解を確立し、国際連合平和維持軍=PKFへの参画も考慮されるべきであり、そうした事ができて初めて、真の平和国家と言えるのではないかと強く思います。

そうした事の実現へ向け、新しい防衛省にはたゆまぬ邁進をして頂きたい。
又、我国エネルギーを考える上での重要な課題として、中東より我国への石油輸送路の安全確保、所謂シーレーン防衛があります。

つい先日も、原油搬送中の我国の大型タンカーが、合衆国海軍のこれも大型原子力潜水艦との接触事故に関与する事態となり、幸いにも人的被害や油脂及び放射性物質の漏洩には至りませんでしたが、1つ間違えば大惨事となる可能性があったのは事実。
便利な生活を支える石油資源は、こうした多くの危険を乗り越えて我国へともたらされている現実に、我々は思いを致す必要があると思います。
その為にも、シーレーン防衛に我らが血税を投じる事を躊躇うべきではないと思います。
便利で快適な生活を得るには、それなりの代償が必要でしょう。安全共々、タダと言う訳には参らないと強く思いますね。*(日本)*

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