Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

工作臭・・

2019-08-06 21:20:22 | 社会・経済

今日 8/6は広島の原爆忌。累計で 30万超となった凄絶な爆発の犠牲各位に、まずは心からの弔意を申したい。その上で、やはりあの原爆行使は強者の一方的な判断によるものだった史実をしっかりと心に刻みたいものだ。一部に「原爆投下は我国側にも非があった」様な思潮があると聞くが、それは「左の曲解」というものだろう。

今月から始まった当地愛知にての国際的美術展「あいちトリエンナーレ」の一環として当初展示された「表現の不自由展示・その後」が短期間の展示中止後も、インター・ネット上などで炎上を続けている様だ。展示中止に際し、河村名古屋市長発出の中止要請が、日本国憲法が禁じる検閲行為に当たるのではないかとの指摘もある様だが、拙者はそれは当たらないと申したい。以下、某ネット文献の根拠を挙げておく。

「検閲」とは、行政権が主体となって 思想内容等の表現物を対象とし、それらの発表前にその内容を審査した上 不適当と認めるものの発表を禁止する行為」を指す。一般的には その表現物が初めから陽の目を見ない様にする行為措置。

そこから河村市長見解は、検閲には当たらないとする見方を拙者も支持するものだ。「行政や役所など 公的セクターこそ表現の自由を守らなければならないのではないか」とする大村愛知県知事見解も、原則論ではその通りだ。しかし・・それも「Yes But~」の思考で受け止めるのが健全な見方というものだろう。諸税という公的資金により運営される催事である以上、それは「公共の福祉」なる視点が最大限に尊重されなければならない。具体的には愛知県民を初め 我国民市民と外国よりの来客等の公益福祉に資するものでなければならないという事だ。昭和天皇のご遺影着火とか物議を醸す少女像、更に日本及び日本人を冒涜するかの様な墓のオブジェなどは、到底その様な要請に応えるものとはなり得ず、よって日本国憲法保障の「表現の自由」の対象とはなり得ないとの見方が多数となって然るべきだろう。

それにしても、これまでの経緯をみて参ると 大村知事は何者かに篭絡され、良きに利用されているのではないかとの感触さえするものだ。主催側の津田大介監督には、こう申しては失礼かもだが 一県の長を抱き込み篭絡する様な力量まではないとみる。とすれば、大村知事は何か主催陣以外の大きな(多分特定野党系)政治勢力に抱き込まれ、結果として「表現の不自由展・その後」の事前審査を杜撰なものにした可能性もゼロではないのではと心得る。展示中止の一因とされる 脅迫メッセージを送付した容疑者の追及もそれは必要だろうが、その一方で こうした県民の多数意思に背く様な政治情宣プロパガンダ的展示を一時でも許したいかがわしい政治工作の可能性も、是非厳しく糾して頂きたいものだ。今回画像は これも拙練習撮影の場、名古屋副都心・金山公園傍を通る JR中央線・上下列車の邂逅を。以下に、関連記事をリンク致します。(私的憂国の書様) http://yukokulog.blog129.fc2.com/blog-entry-3544.html

コメント (2)
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