生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

心の傷 回復への道(その2)

2012-05-27 17:21:10 | エッセイ
ああ、体が2つあったら……。と思ったことはありませんか。

昨日、JCP(日本クリスチャン・ペンクラブ)の例会と日本児童文学者協会(児文協)の総会がありました。どちらにも行きたかったのですが、体はひとつです。

役目と責任を果たすために神楽坂で行われた児童文学者協会総会へ行きましたが、そこで思いもかけぬ方にお会いしました。関西JCPのI先生です。I先生が児文協の理事をされていることは知っていましたが、その日にお会いできると思っていなかったのです。
京都で行われたJCPの夏期学校でお目にかかって以来2年ぶりでした。短い時間でしたが、お話しできて嬉しかったです。

それでは、この前の続きをお読みください。


父は幼少のころ実家に預けられ、母親と離れて暮らしていたので、大人になっても母を慕う気持ちが強くあったようです。

父はちょっとしたことで怒りました。怒るというより、子どものように癇癪を起し、ドアをドタンバタンと閉めたり、足をふみならして癇癪を起します。原因は些細なことで、たとえば日曜の朝早く隣の家の犬が鳴いたので目が覚めてしまったとか、床にゴミがひとつ落ちていたとか、洗面台が汚れていたということで怒るのです。

父は怒ると食事もしないでふてくされたようにふとんをかぶって寝てしまいます。そういうときは祖母がなだめに行きます。父はしかたなく起きてきて食事をするのですが、一言もしゃべりません。わたしたちは、父の機嫌がなおるまでビクビクしながら黙って食事をしました。しーんとした食卓の雰囲気は今でも忘れられません。

気の強いはずの母は、父に対して決して口答えをせず、逆らいませんでした。もし、逆らったら家庭は崩壊していたでしょう。父は決して母にあやまりませんでした。
わたしはそんな父のことが大嫌いで、心底恐ろしく思っていました。

ところが、わたしは父の癇癪持ちを受け継いでしまいました。
小学4年生ぐらいまではいい子でなければ愛してもらえないと思い、いい子にふるまっていたのですが、5年生になるころ、いい子を演じ続けることができなくなって反抗しました。

そのときは気づかなかったのですが、怒りのぶつけかたが父とそっくりだったのです。
父とぶつかって大げんかをしたことは、数え切れないほどありました。

それでもわたしは、反抗しながらも父と母の愛を求めていました。無条件の愛を求めていたのだと思います。でも、いうことをきかなくなったわたしは、もう愛されていないのだと思い、孤独と悲しみの中で死を願ってもがいていました。
                       
                    つづく



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