生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

人生の土台は……

2007-05-19 12:41:37 | 聖書から

昨日はSさん宅での家庭集会に行ってきました。家庭集会では8名が集まり、ルカの福音書6:43-49のところから、人生の土台というテーマで学びました。


悪い実を結ぶ良い木はないし、良い実を結ぶ悪い木もありません。木はどれでも、その実によってわかるものです。(ルカ7:43)


めぐみ教会の会堂が建てられるとき、23メートルもの太い杭が何本も地中に埋められたそうです。やわらかい砂地の下の固い岩盤に杭が打ち込まれたので、地震が起きてもあまり揺れません。一方プレハブの教育館の方は杭を打ち込んでないので、地震の時は大きく揺れます。


土台は建ててしまえば外側からは見えません。人も人生を建て上げるときに土台を必要としますが、私たちの人生の土台とはどのようなものですか? 
という質問がありました。

果たしてわたしは、しっかりとした土台の上に建っているのだろうか? と考えました。事故や災害、病気など、突然思いがけない出来事に見舞われたとき、しっかりとした土台に建てられていれば動揺しないでしょう。試練のときにその人の真価が試されるそうですが、わたしはどうだったでしょうか……。



癌の宣告を受けたときには動揺しなかったのですが、リンパに転移していることを知らされて動揺しました。その後も腫瘍マーカの変化にオロオロし、平安を失ってしまいました。
それでも最後には神さまが最善をなして下さることを信じ、平安な心を取り戻したのですが、そうなるまでには時間が必要でした。


家庭集会に久しぶりに参加できた友人のあかしを聞いて感動しました。先月7日にも書きましたが、友人は同居しているお姑さんが認知症になって、夜も昼もなく徘徊を繰り返し、介護に疲れ果てて聖書も読めず、祈れなくなっていました。

友人は自分の部屋に入ると「神さま、どうしてこんな目にあわせるのですか?」と大声で泣き叫んでいたそうです。そして、お姑さんを憎んでしまう自分を責め、苦しみました。そのとき、家を新築したとき定礎式で聖書を埋めていたことを思い出しました。そして、自分がクリスチャンであることに立ち返って絶望の中から光を見上げ、苦難の日を耐えたのです。
海外出張していたご主人が一時帰国して、事情をすべて聞き、お姑さんをホームに入所させたそうです。それを聞いてわたしは長い試練の時が終わってよかったと思ったのですが、友人は「ホームに入れたことでお義母さんが辛い思いをしているのではないかと思い、その罪悪感で3日間眠れなかった」と言うのです。お姑さんを思いやる友人の言葉に心打たれました。


「困難なときにこそ土台に信仰があることのすばらしさがわかる」
と牧師先生が言われました。そう考えると、困難はマイナスではなく、プラスの経験ということになりますね。

しっかりとした人生の土台を築きたいです。


ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。(コロサイ1:23)

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