生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

夢見ることもはるかに及ばないすばらしいこと

2017-03-28 15:49:38 | 教会
「あの人は才能があるからいいわね。わたしなんか、何の才能もなくて……」という声が時々聞こえてきます。

わたし自身もそのように思った時期がありました。病気ばかりしていたわたしは、健康という能力が欠けているのだと思っていました。事をなそうとしても、健康でないと何もできないので、健康を祈り求めていました。でも、必要な時に必要な体力が与えられていることに気づいてからは、そのように祈ることをやめました。

教会では才能のことを「タラント」とか「賜物(たまもの)」と言います。賜物の多い人と少ない人がいるのはなぜでしょう。神様は不公平なのでしょうか。

タラントのたとえ話が聖書(マタイ25:14~30)に書かれています。タラントとはお金の単位です。主人は3人のしもべにそれぞれ5タラント、2タラント、1タラントを預けて旅に出かけました。

しばらくして主人が戻ってきたとき、5タラント預けられたものはそれで商売をし、2倍に増やしていました。2タラント預けられたものも2倍に増やしていました。主人はこの2人を誉め、「よくやった。よい忠実な僕だ。あなたはわずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」と言いました。

ところが1タラント預けられたものは、それをなくさないように地を掘って隠していました。なので、1タラントのままでした。主人はその僕を叱って、1タラントを取り上げ、10タラント持っている者にあげてしまいました。というたとえ話です。

この話を読むと、1タラント預けられた僕が気の毒になります。なくしたわけではないのになぜ主人はそんなに怒ったのでしょう……。神さまから預けられたタラントを用いなかったから、しかられたのです。

また、3人に預けられた金額が違うのはなぜでしょう……。
主人が僕にお金を預けるとき、聖書には『おのおのその能力に応じて』と書かれています。
わたしたちひとりひとりの状態を知っている主人(神)が、霊的成長度合いに応じて額を決めてくださったのです。

1タラントとはどれぐらいの金額なのでしょう。6000万円~1億2000万円もの大金だそうです。少ない人でも1タラント預けられているのですから、「わたしは何の才能もない」と嘆くのはおかしなことです。

日曜日の礼拝メッセージでは、才能と賜物の違いをはっきり教えてくださいました。

「私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。(エペソ3:7)」

パウロはローマの市民権と、ギリシャ語、ヘブル語を使える能力を与えられていました。この才能を用いて立身出世することも可能でした。
でも、福音を伝えるために才能を用いました。

才能、能力を神に喜ばれることに用いた場合、それを賜物というのだそうです。

聖書の中にいましめや勧めが書かれているとき、必ず約束があると教えていただきました。

「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを超えて豊かに施すことのできる方に、(エペソ3:20)」


リビングバイブルでは
「私たちが大胆に願い求め、夢見ることもはるかに及ばないすばらしいことを、その偉大な力でなされる神様に栄光がありますように。」

と書かれています。

夢見ることもはるかに及ばないすばらしいこととは何でしょう? なんだか、ドキドキします。神の祝福を大胆に願い求めます。



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