6587台のフェラーリ

 フェラーリは、2008年の販売台数が前年比2%増の6587台であったこと、経常利益も同27%増の3億3900万ユーロ(約390億円)と、いずれも過去最高を記録した事を発表した。因みに日本では同15%増の433台を販売したとのこと

 そう云えばしばらく前に、AMG(メルセデスをベースにチーンナップを施したコンプリートカーメーカー)も2008年の販売が過去最高を記録したことが報じられていた。

 フェラーリは一番安いF430でも2328万円から3458万円の599まで、AMGはCクラスがベースのC63の1044万円からSL65の2964万円まで。世界に蔓延している不況も、このクラスのクルマを買う人には関係がないということなんだろうな。


 例によって記事本体とは何の関係も無い今日の一枚は、すみよしの森の枝垂れ梅。
コメント ( 2 ) | Trackback (  )

パナソニック、売り上げ10億円上乗せ

 1月14日に、トヨタの2,200人の部長級社員が「自発的の」自社のクルマを購入することになった事を書いた(こちら参照)が、今度はパナソニックがグループの課長級以上の管理職約1万人を対象に、薄型テレビや白物家電などの自社製品を7月までに10万円以上購入するよう指示したことが報道されていた。

 トヨタの場合には「自主的」であったが、パナソニックは「指示」、つまり業務命令だ。トヨタだって、部長が買うのに課長が買わないわけにはいかないし、課長が買うなら係長も買わないわけにはいかない。部長も課長も係長も買うとなれば、取引関係も、少なくともトヨタの工場・支社・営業所に出入りする社用車は買い替えなければならないだろう。

 そう考えれば「自主的」とは云え、実態はパナソニックの「指示」と変わらないよな。でも、こんなことがあちらこちらで起き始めるんだろうな。レストランチェーンでは週に一度は必ず家族ずれで自社チェーンで外食をするように、タイヤメーカーなら10,000km走ったら新しいタイヤに交換するように、ビールメーカーなら休肝日など設けずに毎晩必ず2缶飲むように、電力会社は寝ている間も照明を消さないようにとか。なんだかなぁ・・・。


 例によって記事本体とは何の関係も無い今日の一枚は、10日にご紹介した郡山市立美術館の後に訪ねた三春町、「三春の里 田園生活館」での一枚。ぶら下がっているのは昔ながらの「凍み餅」。
コメント ( 2 ) | Trackback (  )

米ロの人工衛星が衝突

 アメリカの衛星電話会社、イリジウム・サテライトの中継用衛星と、ロシアの通信衛星(ただし既に使われなくなったものらしい)が、シベリア北部の上空約800km辺りで衝突したようだ。

 広い宇宙空間でどうして人工衛星同士が衝突しないとならないのか、不思議に思われる方も多いことと思う。人工衛星には地球の周りをぐるぐる回っているもの(GPS用や今回衝突した衛星電話用がこれ。小さなアンテナ&小電力で通信できるように地球の近くを回っている)と、赤道上空約36,000kmの地点(宇宙空間なのに「地」点というのは変か。「空点」?)に静止しているものとがある(BSやCS用の衛星がこれ。静止しているとは云っても、実は約24時間で地球を一回りしているが、地球も同じ速さで回っているから地球上から見ると静止しているように見える)。

 地球周回の軌道には最適なコースと云うのがあり、広い宇宙空間であるにもかかわらず、実は多くの人工衛星がほとんど同じ軌道を回っているのである。静止衛星はと云えば、赤道上空約36,000kmに何百個という衛星がひしめいていて、新たな衛星を打ち上げる場所が無いほどなのである(先進国がその多くの場所を占めているために、新興国との間での国際問題にもなっている)。

 このように、広い宇宙空間であるにもかかわらず同じ軌道を沢山の衛星が回っているから衝突するのである。現役で利用されている衛星の場合にはその軌道が常に(相互に)チェックされ衝突しないようにコントロールもされるのだろうが、今回のロシアの衛星のように使われなくなった衛星は「野放し」状態で、他の衛星と衝突する危険性も高くなるということなのだろう。

 今回の衝突で約600個の破片が辺りに散らばっているということだから、この破片が新たな衝突事故を起こす可能性もあるわけだ。郷秋<Gauche>としては今はまったく他人事の衝突事故だが、600個の破片がGPS衛星と衝突するとか、気象衛星と衝突する事態になると、日常上生活にも影響が出ることになる。

 ところで、路上でクルマとクルマが衝突すると警察が現場検証をして、どちらの過失が大きいかによって保険金が払われたり賠償金を取られたりするわけだけれど、宇宙空間での衝突事故の場合はどうなるんだろう・・・。


 例によって記事本体とは何の関係も無い今日の一枚は、一昨日(10日)にご紹介した郡山市立美術館を、10日の写真の向こう側から撮ったもの。不思議に思われた方の為にちょっと説明。写真の右半分が実風景で、左半分は美術館の建物の外壁となるガラスに映った虚像です。
コメント ( 0 ) | Trackback (  )

SONY VAIO Type Pのポインティングデバイスは・・・

 5万円を切る価格のミニ・ノートPCが流行っている。そんな中、SONYが満を持して送り出したのだType P。機能的にはミニ・ノートPCというカテゴリーに入るものだが、その大きさや価格は一味もふた味も違う。さすがSONY!と云うべきだろうな。(Type Pの詳細はこちらを参照いただきたい。)

 郷秋<Gauche>も大いに気になるType Pなのだが、取り分け注目すべきはポインティングデバイスにトッラクポインター(ソニーは「スティックポインター」と呼んでいる)を採用したこと。

 通常のPCではポインティングデバイスとしてマウスが使われているが、かつて支流であったボール式のマウスが、無重力の宇宙空間では使えないことからNASAの依頼によりIBMが開発したと云われているのがトッラクポインターである。ノートPCでの利用にも最適であることからIBMのThinkPad(PC部門売却後はLenovoが継承)に搭載されたが、他の多くのメーカーはトラックパッド(タッチパッド)を装備したため、主流になれないでいる。

 主流とはなれなかったトッラクポインターだが、郷秋<Gauche>はこれこそが最良・最高のポインティングデバイスであると信じている。トッラクポインターは場所を取らない(G-H-Bの三つのキーの間に6.5mmの突起があるだけである)、タイピング時に指のホームポジションを崩さずにポインター操作が可能である(ポインターを(画面上の矢印のことだ)を動かしたい方向にポインターの「頭」を押すだけ)、長い距離のポインター移動も思いのまま(ポインターの「頭」をその方向に押していれば限りなく移動する)など、実に優れているのだが、「慣れ」の壁が高かったのか厚かったのか、結局普及しないままであった。

 そころが、ここに来てVAIO Type Pへのトッラクポインター採用である。既に書いたようにトッラクポインターは場所を取らないのだ。Type Pは本体キーボード面の奥行が120mmしかない。どう考えてもトラックパッドを装備する場所がない。そんなこんなで、ソニーとしては止む無く採用したトッラクポインターなのかも知れないが、いまや風前の灯となっていたトッラクポインターがメジャーなメーカーで採用されたのは嬉しいことである。これを機会にトッラクポインターのメリットが再認識され、採用するメーカーが増えれば郷秋<Gauche>のFX(ノートPCの)の選択肢が増えることになるから大歓迎だぞ。


 これが世界で最も優れたポインティングデバイス、トッラクポインターだ。郷秋<Gauche>の愛器、IBM ThinkPad X31のものだが、郷秋<Gauche>としてはデスクトップのキーボードにもこれを搭載してもらいたいと思っている。マウスを動かすスペースも無いほどに資料が散乱した机の上でも使えるし、大体がだ、いちいちキーボードから手を離さなくても使えるんだから、こんな便利なものは無い。
コメント ( 0 ) | Trackback (  )

春遠し

 昨日「春本番?」と書いたばかりなのに、今日になったら「春遠し」。実は昨日から郡山に来ています。横浜はもはや春本番と云って良いほどなのに、たった200Km北に来ただけなのに、先週末に降ったという雪は残っているし、まだまだ冬の様相です。


 今日の一枚は、郡山市立美術館。行政がと云うのか、市民の要望が多いからなのか、決して財政豊かではなくてもこういうものを造りたがるわけですね。常設展示だけを見てきましたが、案の定と云うべきかわざわざ見に行く程でもないのかな?というのが郷秋<Gauche>の偽らざる感想。ただし、建物は面白いですね。「美術館は収蔵物より建物が面白い」と云うのが郷秋<Gauche>の思い込みなのですが、郡山市立美術館は前庭が良かった。所々に雪の残った石の庭の向こうに冬枯れのこんもりとした雑木林。芽吹きの季節にはさぞかし美しいことでしょう。
コメント ( 0 ) | Trackback (  )

春本番?

 やっぱりこの冬は暖かいんですね。かつらの森では紅梅とピンクの梅がもうこんなに咲いていました。

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

春間近

 水仙が咲きました。椿が咲きました。蝋梅が咲きました。梅も咲きました。足元ではホトケノザ、オオイヌノフグリが沢山咲いています。森の木々は一見冬枯れのように見えても良く見ると枝先が丸みを帯び、既に芽吹きの準備を始めています。「春は名のみの・・・」「暦の上では春とは申せ・・・」と言われるこの時期ではありますが、目を凝らせばそこここに春を見つけることの出来るこの頃です。


 今日の一枚は、紫陽花の若芽。硬い冬芽ではなく、小さくはあってもすでに緑の葉をのぞかせています。春はもうそこまで来ているのです。
コメント ( 0 ) | Trackback (  )

ホンダ・インサイト、189万円

 インサイトのエンジンは1.3Lで88ps/5800rpm、12.3kgm/4500rpm、モーターは14ps、8.0kgm。対するトヨタ・プリウス(現行モデル)の1.5Lエンジンは76ps/5000rpm、モーターが68ps、40.8 kgm。インサイトはエンジンが中心でモーターはあくまでもアシストであり、トータルで低燃費、低CO2排出を目指す。積極的にモーターで走ろうというプリウスとは大きく異なったデータである。

 インサイトがプリウス同様ガソリンエンジンとモーターとのハイブリッドでありながら、低価格を目指したことが両者の違いを際立たせる結果となったのかも知れないが、思い起こせば初代インサイトのモーターも2代目同様の低出力で、云わば黒子。これがホンダのハイブリッドに対する基本的なスタンスということなのだろ。

 いずれにせよ、ホンダがF1を撤退してまで取り組むという「環境性能」がマーケットで受け入れられるかどうか、ホンダの将来はこの一台にかかっていると言っても良いほど重要なモデルなのである。果たしこのインサイト、売れるか否か。


 例によって記事本体とは何の関係もない今日の一枚は、今が盛りの枝垂れ梅。昨年の写真を確認したら、同じ咲き具合は23日でした。つまり今年は2週間以上早く身頃になっているということです。やっぱり暖冬なんですね。
コメント ( 0 ) | Trackback (  )

最後のシートにはセバスチャン・ブルデー

 引き受け手がいまだに見つからない、ということは、2009年開幕戦にマシンを並べることはほぼ絶望的なホンダのシートを除いて、唯一空席となっていたスクーデリア・トロロッソのシートにはセバスチャン・ブルデーが座ることが正式に発表された。

 2008年シーズンもスクーデリア・トロロッソで戦ったブルデーだが、チームメイトのセバスチャン・ベッテルが一度の優勝を含め35ポイント(第8位)を獲得したのに対してブルデーはわずかに4ポイント。いかにルーキーと云えども、特に後半戦戦闘力を増したSTR3を駆ってのリザルトとしてはいささか物足りないものがあるが、それでもトロロッソは、佐藤琢磨ではなくブルデーを選んだのである。

 今回の発表で、琢磨の2009年シーズンのF1参戦への望みは完全に絶たれてしまったことになる。琢磨自身は、ホームページ上で「僕のF1での活動が終わったとは到底思うことができない」とコメントしているようだが、状況を冷静に分析すれば、残念ながら事実を事実として受け入れる他はないだろ。

 仮に「元ホンダ」が開幕戦にマシンを並べることが可能となったとすれば、そこには二つの空席が存在することになるが、果たしてそれが琢磨にとって相応しいものであるかどうかはまた別の問題である。2009年は別のカテゴリのシートを探しながら、あるいは新たなチームが登場するかも知れない2010年に希望をつなぐことになるのか。しかし、F1の世界での2年と云うブランクはとてつもなく長い時間であることは、事実である。


 例によって記事本体とは何の関係もない今日の一枚は、たわわに実った金柑(きんかん)。どうやら今年は金柑の当たり年のようで、あちらこちらで鈴なりの金柑を見かけます。郷秋<Gauche>は苦手ですが、これを丸ごと甘露煮にしたものを風邪の予防薬として食べたりしますね。
コメント ( 0 ) | Trackback (  )

馬酔木

 馬酔木の花が咲き始めました。馬が酔う木と書いて「あせび」もしくは「あしび」と読みます。馬が食べると酒に酔ったようになることからの命名のようですが、馬など競馬場以外では見ることのまれな今となっては確かめようもないですね。


 ご覧の通り名前とは裏腹に、小さな鈴のような花が文字通り鈴なりなった愛らしい花です。原種の花色は白のようですが、今ではピンクの園芸種の方を見かける機会が多いように思います。
コメント ( 0 ) | Trackback (  )

百年小説(その弐)

 1月22日に『百年小説』(ポプラ社)を購入したと書いた(こちら参照)。風邪で寝込んでしまい読めない日もあったが、日に一篇もしくは二編を読み、今日までに十四編を読んだ。近頃流行の「大衆小説」もどきの軽いものではなく、短い中にも心を動かす力を秘めた佳作揃いである。それもそのはず、太宰治、堀辰雄、林芙美子などなど、大家の作品が並んでいるのだから。

 先に「しかしだ、タイトルは何ゆえに『百年小説』なのか。百年読み継がれて来たということなのか、これから百年読み継がれて欲しいという期待を込めての命名なのか」と書いたが、その答えは各篇の前に書かれた作者を紹介する小文の中にあった。全51作品が作者の生年順に並んでいる。最年長は1862年の森鷗外。そして最も若いのが1909年生まれの太宰治であった。つまり、太宰が生まれてから100年目に出版された、太宰より年長の作家の短編集なのである。

 特に理由はないのだが、国木田独歩の『武蔵野』を除いて後ろから、つまり概ね新しい作品から読み出したのだが、特に心に沁みたのは、『幸福の彼方』(林芙美子)、『告別』(由起しげ子)、そして『武蔵野』(国木田独歩)であった。しかしだ、『武蔵野』は今読み返してみると、小説ではなく随筆ではないかと思うのだが、いかがなものだろうか。もっとも読み応えのあるものなら、ジャンルなどどうでも良いと云えばそれまでのことなのだが・・・。

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

DVDの保管

 昨日、撮影した写真のデータをDVDにコピーして保管していることを書いた。つまり、HDDとDVDの二箇所にデータを保存しているわけだが、当然HDDの容量には限りがあるし、回転しているディスクに記録するという機械的な方法故に「クラッシュ」などの危険性もある。

 その点、CDやDVDなどに書き込んだ情報は「半永久的」と云われており、長期保存が可能だとされている。ただし曲者は「半永久的」の「半」の一文字である。CDが登場した30年前に「永久的」であることを大々的にPRしたわけだが、原理的には「永久」であっても、素材の老化や劣化によって再生不可能になることも大いに考えられる。だから「永久的」。ホントに「永久」なのかどうかを確かめた人がいないから「永久的」。


 そう云っても現実的にはDVDに頼るしかないわけで、郷秋<Gauche>は仕方なくDVDにバックアップを取る。さて、問題はこのDVDの保管方法である。おそらくは室温10℃、湿度30%程度の冷暗所で保管するのが一番良いのだと思うけれど、冷蔵庫は食品で、保湿庫はカメラとレンズでいっぱいである。仕方がないので郷秋<Gauche>はご覧のようなリフィルを使いファイルし、書棚にしまっている。

 DVDは音楽CDなどと同様にそれ用のキャビネットや引き出しにしまう方法もあるけれど、どうしても順番がずれてきてしまったりで、目当てのディスックを探すのが時間がかかることもままあるが、この方法だとDVDが一覧でき、目当てのディスクを探し出すのも容易である。

 郷秋<Gauche>が使っているリフィルは片面にDVD(CD)が3枚、裏表で6枚収納できる。これをA4サイズ背幅40mm、4穴のファイルに12枚収納する。DVDが全部で72枚、約300GB分のデータを収納することが可能である。いろいろな収納方法があるとは思うけれど、ご参考まで。
コメント ( 0 ) | Trackback (  )

61分の7

 DSLR(デジタル方式一眼レフ)で写真を撮り始めてもうすぐ5年になる。その間に撮った写真は約5万カット、データ量にして300GB程である。そのデータを1TBの外付けHDDに保管していることは以前に書いたが、万が一HDDがクラッシュした事を考えて定期的にDVDにもバックアップを取っている。

 ただしDVDを使い始めたのは3年前からでそれ以前はCDを使っていた。当時使っていた600万画素のD70のデータ量を考えるとCDで十分であったし、DVDはいささか高価であったのがCDを使っていた理由であるが、1000万画素のD200を使い出してからはとてもCDでは追いつかなくなりDVDを使用するようになった。

 当初使っていたCDの枚数が結構多くて保管上も効率的ではないことから、冬休みの間に初期の写真データをDVDにバックアップし直した結果が今日ご覧頂く写真である。


 CDは700MB、一方DVDは4.7GBであるから当然のことなのだが、それまで61枚のCDに収めていたデータがわずか7枚のDVDに入ってしまった。ほぼ10分の1である。ブルーレイディスク(1層)の容量は25GBだからDVDの5.3倍、CDの43倍もあるので、バックアップディスクがもっとコンパクトに収納できるようになるのだが、まだ1枚1000円近いようなので現実的ではない。1枚100円程度まで価格が下がればバックアップのためのメディアとして使えるようになるかな。
コメント ( 2 ) | Trackback (  )

森の石仏

 これまでに幾度か森の墓地の墓石や地蔵をご覧頂いたとこがある。墓石は今の私たちが見慣れたものより相当小さなもの(人が一人で担ぐことの出来る大きさ)で、多くが仏様の姿が掘り込まれていたのをご記憶の方もおいでかも知れない。村の、あるいは近在の石工が掘った仏様は素朴なものが多いが、今日ご覧頂くのはなかなか精巧なものである。

 かつらの森の南端の頂には三体の石仏がある。由来はわからないが、森の裾からの急斜面には手作りではあるが階段もうけられており、なにか由緒ありげである。この辺りのことは折があればお年寄りにでもお聞きしてみたいところである。


 三体並んだ石仏は向かって右が地蔵菩薩、中央と左側のものが六手観音のようである。そして左右の二体が素朴なものなのに対して、中央の地蔵菩薩と思われるものだけがやけに精巧な造りである(郷秋<Gauche>はこの手のものにはまったく不案内なので、違っているようなら是非ご指摘いただきたい)。


 蓮の花の上にのった仏様はよくあるが、中央の六手観音は何故か猫の上にのっており、更にその下には三匹の猿がいる。三匹の猿は日光東照宮神厩舎に掲げられた左甚五郎作と伝えられている「三猿像」そっくりである。とすると、猫は同じく左甚五郎作と云われる「眠り猫」なのか。東照宮参りをした石工が、見てきたものを恩田の村人に伝えるためのこのような石仏を造ったのかもしれない。

 この六手観音像の側面には万延庚申(かのえさる、こうしん、と読む)十二月吉日と彫り込まれている。万延元年(1860年、「元年」とは書かれていないが翌年2月19日には「文久)に改元されているから元年以外ありえない)と云えば咸臨丸が太平洋横断航海し、桜田門外の変で、大老井伊直弼が暗殺された年である(3月18安政から万延に改元されているから、上記2件は正しくは安政6年の出来事)。それ以来150年、この六手観音は恩田の森の移ろいをずっと見つめてきたと云うことになるのだなあ。
コメント ( 2 ) | Trackback (  )
   次ページ »