パンダの赤ちゃんが「亡くなった」

 一週間程前に「パンダの赤ちゃんは「男の子」?!」と云う小文を書いた(see here)。「男の子」と云うのは、オスである人間の子どもや赤ちゃんの事を指す言葉であり、動物の場合には「オス」だろうと云うのが小文の主旨であるあった。

 そのパンダの赤ちゃんが死んだ。郷秋<Gauche>が知る限り、さすがにまともな報道機関発の記事にはなかったが、身近なところでは「パンダの赤ちゃんが亡くなった」、あるいは「お亡くなりになられた」と云う表現を、珍しい事ではなく見聞きすることとなった。

 「パンダがお亡くなりになられた」はないだろう。「パンダが死んだ」だろうと郷秋<Gauche>は思うのだが、どうやら今どきの日本語の常識では「お亡くなりになられた」はともかくとして、「パンダの赤ちゃんが亡くなった」と云うのは、結構普通の云い方らしい。

 子供を持たないご夫婦が、財産は愛犬に相続させたいなどと冗談ではなく真顔で云う事も珍しくない昨今、「パンダの赤ちゃんが亡くなった」と云うのは、疑問を差し挟む余地のない「普通の日本語」であると云う事なのだろうか。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、今が盛りのアガパンサス。無意識のうちに雄蕊にピントを合わせてしまったが、この場合には花弁に付いた水滴に合わせるべきであったという反省の一枚。

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