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アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

スター・ウォーズ 最後のジェダイ

2018-04-18 23:11:40 | 映画
『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』 ライアン・ジョンソン監督   ☆☆☆☆

 去年映画館で観たエピソード8を、iTunesのレンタルで再見。今回は英語字幕付きで観たので、映画館で良く分からなかった細かい部分がよく分かった。ふーむ、こういう話だったのか。『ブレードランナー2049』のところでも似たようなことを書いたが、一体お前は何年アメリカに住んでいるんだって話ですね。

 さて、本作は『フォースの覚醒』の次であり、つまり三部作の中間作。一番中途半端になりがちなポジションであり、世間一般の評価もどうやら微妙らしいが、私はわりと満足した。が、私の見方はバリバリに偏っていることを最初にお断りしておきたい。

 ストーリーとしては確かに、いまいちパッとしない。革命軍はひたすら逃げ続けるだけだし(しかもどんどん弱体化しながら)、主人公のはずのレイは孤島に行ってしまったせいであまりフィーチャーされないし、帝国軍のカイロ・レンは悪役としてはあいかわらず中途半端だし、というわけで、まあまあ程度の出来ということで異存はない。

 が、しかしだ。この映画はそういうことではないと思う。これはもう、間違いなくルーク・スカイウォーカーの映画なのであり、それ以外の何ものでもない。そしてこれをルーク・スカイウォーカー・サーガの一部として観た場合、本作こそが堂々の完結編であり、最高潮のクライマックスであることに疑問の余地はない。あの懐かしきエピソード4において砂漠の惑星タトウィーンから始まった一人の若者の人生の物語が、ここにようやく完結したのである。それを思うと、私の胸は押し寄せてくる感慨でいっぱいいっぱいになってしまう。

 エピソード4、すなわちオリジナル第一作の『スター・ウォーズ』に初めて登場した時、ルークは広い世界に憧れる農夫の少年だった。辺境の惑星で叔父夫婦を手伝い、農夫として暮らすルークは何か素晴らしい冒険に身を投じたいという憧れに身を焦がす、どこにでもいるような素朴な若者だった。そんな彼の運命は、たまたまR2が投影したレイア姫の映像を見たことによって大きく変転していく。美しく高貴な姫に憧れを抱き、老賢者に師事し、勇敢に戦って栄誉を勝ち取り、広い世界へ乗り出す。自ら人生の目的と定めたもの(ジェダイ・マスターになる)に向かって修行し、やがて父親をも乗り越える(ベイダーの死)が、いつしか失意とともに隠遁する。

 それが、この映画が始まった時点のルークである。彼はすでに年老いている。エピソード4に登場した、あの溌剌とした目の少年はどこにもいない。そしてそれ以上に、彼はすべてに幻滅している。革命軍があなたを必要としている、というレイの説得にも耳を貸さない。何が彼をそうさせてしまったのかが、この映画の中で重要なテーマの一つとして語られていく。それは哀しい失敗であり、あまりにも人間的な弱さであり、永久に消えることのない悔恨である。しかし最後の最後に彼は立ち上がり、自分の失敗を取り消すのではなく(結局カイロ・レンを救うことはできない)、新しい世代へと希望をバトンタッチすることで、自らの人生に幕を下ろす。

 ついにルークが息絶える場面では、画面いっぱいの夕日の中に、二つの太陽が浮かんでいる。それは惑星タトウィーンで少年のルークが見上げた二つの太陽にそっくりだ。スターウォーズ・ファンならば必ず、あの場面で、「ぼくは広い世界を見たいんだ」と熱っぽく語っていたルーク少年の顔を思い浮かべるだろう。そしてその後彼が辿った数奇な運命に思いを馳せるに違いない。あの少年は、願い通りに広い世界を見ただろうか。その答えはイエスだ。では、世界は彼の期待通りだったかといえば、おそらく違うだろう。レイアやハン・ソロと一緒に帝国軍と戦った頃はそうだったかも知れないが、その後、世界は少年ルークが夢にも思わなかった失意、幻滅、そして悲しみをもたらしたはずだ。

 にもかかわらず、彼は全力でやるべきことをやり、その人生を終えたのである。私たちはこの映画の中に、そんなルークの最後の姿を見ることができる。ラスト、あの燃えるような夕日の中で無にかえっていく彼を見た時、私は確かに一人の人間の生涯が成就するのを感じた。そしてその最後の瞬間に、走馬燈のように彼の脳裏をよぎったに違いない人生のダイジェストこそ、ルーク・スカイウォーカー・サーガの壮大な叙事詩そのものであり、『スター・ウォーズ』シリーズの根幹を支えるロマンの源なのだと思わずにはいられなかった。

 だから勝手に断言するが、この映画はこれ単体ではなく、エピソード4から連綿と続くルーク・スカイウォーカー・サーガの最終章として観ていただきたい。そういう見方をするならば、途中でR2がルークに見せるあの懐かしくて涙が出そうなレイア姫の映像、あるいは霊体ヨーダとの会話、あるいはC3POにルークが見せるウィンク、などの細かいくすぐりはきわめて効果的である。「お前が今言った言葉は、全部間違っている」のセリフが二度繰り返されるのもおいしい。

 その一方で、本作には色々と欠点も多い。突然登場したスプリーム・リーダーとそのあっけない死はいかにも安直だし、何度も出てくるレイとカイロ・レンの遠距離通信は都合が良過ぎて説明的だし、東洋人少女のローラが瀕死の状態で突然フィンにキスするシーンは明らかに失敗だった。私が観たニュージャージーの映画館では、あの場面で少し笑いが起きていた。ローラはそういうキャラじゃないだろ。距離感を見誤っている。あと、爆発で宇宙空間に放り出されたレイアが、びよーんと自分で戻ってきて助かるのは、あれは一体どーゆーこと? レイアって真空で生き延びれるの?  

 あと、細かいんだけど、デル・トロって結局コードブレーカーだったんでしょうか? だとしたら赤い花マークを付けてなかったのはなぜ? やっぱりもう一回ぐらい観ないとダメかな。ただデル・トロ・ファンの私としては、彼は絶対に生きていてエピソード9に登場するはずと予想してます。いや、デル・トロがあれだけってことはないでしょう。



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