アブソリュート・エゴ・レビュー

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バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

2015-07-25 19:40:26 | 映画
『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督   ☆☆☆★

 アカデミー賞を授賞した『バードマン』をiTunesのレンタルで鑑賞。なかなか面白かった。センスのいい映画である。色々なところでセンスが良く、そのセンスの良さが観ていて快感という映画で、逆にそれ以上のものはそれほど強くアピールして来なかった。
 
 センスがいいというのは、まずは単純に音楽と映像である。ドラムだけによる音楽はジャズっぽく、生々しくて斬新だ。演奏しているドラマーが時々画面に出てきたりする遊びも愉しい。タイトル・クレジットのタイポグラフィーも面白い。そしてもちろん、映像上の最大の遊びはワンカット長回し風撮影である。たまたまヒチコックの『ロープ』を観たばかりだったので、同じ「なんちゃってワンカット長回し」映像を比べて愉しむことができた。

 『ロープ』と違ってこちらは数日間にわたる話なので、もちろん途中で時間が飛ぶ。が、そこをカットを割って繋ぐのではなく、カメラがパンするとそこがもう次の場面になっている、とか、あるいは高速早回しを使って時間を経過させるとか、さまざまな手をつかって「ワンカット」の錯覚を維持している。このこだわりが面白い。面白いが、そこまでしてワンカット長回しにこだわる理由はなんなのだろうな。

 センスの良さの二点目は、この妄想と現実を混ぜ合わせたような語り口と、そこにあらわれる屈折した喜劇性である。イニャリトゥ監督といえば『バベル』『21グラム』と、とにかく暗く救いようのない映画ばかり撮っていた監督だが、本作ではイメージを変えてコメディに挑戦している。が、コメディといってもやはり明朗闊達な喜劇ではなく、根底に痛みや葛藤がとぐろをまくダークなコメディだ。いってみればトラジコメディで、トラジコメディを成立させるのは作者の視点とバランス感覚が非常に重要だと思うが、この映画はそのあたりのセンスも良い。シリアスとコミカルを表裏一体にして循環させるテクニックは堂に入っていて、なかなかのものだ。

 ところで主人公のリーガン(マイケル・キートン)はレイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』を舞台化するが、トラジコメディといえばカーヴァーの十八番である。さすがにイニャリトゥ監督のタッチがカーヴァー的だとは言わないけれども、カーヴァーを題材に持ってきたところ、しかもそれを芝居の題材として持ってきたところもまた巧いと思う。

 そしてセンスの良さの三点目は、お洒落な映像の下に隠されたテーマ、つまり演劇人の、あるいは自分の居場所を探して苦闘するすべての人々の人生の痛みを生々しく表現した部分。つまりは脚本と演出だ。もちろんこれはトラジコメディの「トラジディ」部分のことだけれども、自分の人生を意義あるものにしたいというリーガンの絶望的な願いとそのストレスは、まったく観ていて辛く、少なくとも私にはひしひしと伝わってきた。まるで肌がヒリヒリするほどに。身勝手なマイクに手を焼き、娘には人生を全否定され、批評家には敵視され、舞台のプレッシャーには潰されそうになる。自分の内なる怒りをなだめるために呪文のような言葉を呟く。そういう意味では、物語をリアルに感じさせるという映画の基本的なマジックをちゃんと味わうことができた。

 その一方で本作の難点は、やはり物語の詰めの甘さだろう。エピソードが散漫で充分に収束していかないし、かといってエピソードの羅列だけで堪能させる物語でもない。さっき脚本を褒めたじゃないかと言われそうだが、個々のシークエンスで演技者(特にリーガン)の感覚を観客に伝達する末梢神経的センスはいいのだが、物語をなんらかの核に向かって収束させていく構想力がイマイチ弱い。迷惑男マイクの問題、あるいは娘とリーガンの関係、娘とマイクの関係などのエピソードはバラバラに存在し、まあバラバラに存在してもいいのだが、結局なんとなくやり過ごされてしまう。だから個々の場面は面白いが、全体の印象は茫洋としている。

 結末がハッピーエンドなのかバッドエンドなのかも曖昧である。あのラストシーンだけ「ワンカット長回し」の原則から外れている(=その前についにカット割りが入る)こともあり、あれはリーガンの願望を視覚化したもので、実はリーガンは前の場面で死んでいる、という解釈がネットでは主流になっているようだ。まあ確かに、そう考えないとラストのリーガンの飛翔(の暗示)はおさまりが悪いし、結末として弱い。しかしラストシーン全体を「リーガンの願望」と解釈しても、私にはあまり面白いとは思えない。そもそも本篇自体が妄想と現実が入り乱れたスタイルのこの映画において、ラストが全部願望と言われてもだから何なのか。それにリーガンが前の場面で死んでいるとしたらこれは夢でも幻覚でもなく、ただ監督が観客をケムに巻くためだけの結末ということになり、ますます無意味だ。「こういう安直なハッピーエンドを期待したんだろう? ほれほれ」という観客に対する挑発だというなら、だったら自分が考えるベストな結末をつけろよと言いたくなる。

 まあそんなこんなで星三つ半となったが、なかなか他にないテイストの映画であることは間違いない。変わった映画、独創的な映画に飢えている人におススメである。



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