アブソリュート・エゴ・レビュー

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イン・ザ・ペニー・アーケード

2015-02-24 21:32:43 | 
『イン・ザ・ペニー・アーケード』 スティーヴン・ミルハウザー   ☆☆☆☆

 ミルハウザー初期の短篇集を再読。『バーナム博物館』『ナイフ投げ師』『三つの小さな王国』などいずれも巧緻きわまりない作品ばかりのハイレベルな短篇集の中で、本書はミルハウザーの魅力をもっとも分かりやすく伝える作品集だと思う。

 まず冒頭の中篇「アウグスト・エッシェンブルク」はまさにミルハウザーの王道、結局ミルハウザーはこれに始まりこれに終わると言っても過言ではない典型的作品である。時計職人の息子である少年が自動人形の魅力に取り憑かれ、その制作にのめりこんでいく。彼の自動人形は精緻を極め、生きていると見まがうばかり。その作品に目をつけて商売に利用しようとする者が現れ、発表の舞台が与えられ、すぐに大評判になるが、やがて人々や資本家の期待と少年の芸術家としてのこだわりが相容れないことによって、彼の自動人形は表舞台から消えていく。あたかも、それが芸術家の普遍的な宿命であるかのように。

 これがミルハウザーの典型であるというのはいくつか理由があり、一つ目が自動人形という子供っぽいともいえるオブジェ嗜好、二つ目が芸術家の常軌を逸した情熱が描かれること、三つ目が芸術の退廃が描かれること、そして四つ目は、芸術家の理想が裏切られ、敗北することである。

 このようなオブジェ嗜好と芸術家の情熱を、ミルハウザーはこの後も繰り返し繰り返し、それこそワンパターンと言われそうなくらい飽きることなく反復して描いていくことになる。奇術師を描く「幻影師、アイゼンハイム」、アニメーション作家を描く「J・フランクリン・ペインの小さな王国」、画家を描く「展覧会のカタログ―エドマンド・ムーラッシュの芸術」、やはり自動人形を描く「新自動人形劇場」、遊園地を描く「パラダイス・パーク」、アミューズメント・パークのようなデパートを描く「マーティン・ドレスラーの夢」、などなどである。その他ナイフ投げや空飛ぶ絨毯など入れればそれこそキリがない。

 こうしたミルハウザー描くところの芸術は素晴らしい技巧で人々を驚嘆させる反面、どこか暗い側面があり、それが人間の創造という行為にひそむデーモンを暗示するのが特徴だが、この「アウグスト・エッシェンブルク」ではそれがひときわ明瞭な形で顕れる。つまりアウグストがすばらしく芸術的な自動人形を作り上げ、人々の喝采を浴びると、その後で決まってそれをデカダンに崩したような自動人形が出現し、それらがアウグストの高踏的な芸術を駆逐してしまうのである。デカダンな自動人形は扇情的で、下品だけれども、その暗い魅惑で人々を絡めとる。ミルハウザーは芸術の魅惑と退廃を同時に描いたようにも思えるし、また、真の芸術は悪貨に駆逐されて滅びる運命にあると諦観しているようにも思える。

 その後のミルハウザー作品を通過した目で見ると、「アウグスト・エッシェンブルク」はまだまだこれからというところで終わっている感じで、多少物足りなさを感じる。しかし、ミルハウザー作品のすべての萌芽がここにあるというべき原型的傑作だ。

 「太陽に抗議をする」「そりすべりパーティー」「湖畔の一日」の三つは、オブジェや芸術家のテーマから離れ、人生のふとした瞬間を切り取る類の短篇である。オブジェよりムード、空気感の描写の力点が置かれている。ミルハウザーにしては珍しい。この作家のまた違う側面を見ることができる。

 「雪人間」「イン・ザ・ペニー・アーケード」「東方の国」は再びミルハウザーらしい幻想的な題材の短編。「雪人間」は雪が降った翌日、町にさまざまな雪だるまが出現するという話だが、これがまた信じがたい精緻な技巧を凝らした雪だるまで、写実派から表現主義へ、シュルレアリスムへと作風が変化していき、やがて退廃的になって滅びていくというあらゆる「芸術」のメタファーのような短編である。力が抜けたユーモラスな書きっぷりが愉しい。

 ミルハウザーの魅力を凝縮した中篇「アウグスト・エッシェンブルク」と、彼のさまざまな魅力をストレートに伝える小品たちの対比が美しい。その直截さとバラエティの豊かさによって、本書はミルハウザーの短編集の中でも特に清新な抒情性を感じさせる作品集となった。ミルハウザー世界への入り口として最適。



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