アブソリュート・エゴ・レビュー

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晩春

2009-04-27 21:36:22 | 映画
『晩春』 小津安二郎監督   ☆☆☆☆☆

 日本版DVDを購入して鑑賞。小津監督の映画はこれまで『東京物語』しか観たことがなかったので、これが二本目ということになる。ちなみに本作は『東京物語』と並んで小津の代表作とされる名作で、キネマ旬報ベストテンでも第一位に輝いている。

 個人的には『東京物語』よりも衝撃度は高かった。まあ淡々とした映画なので衝撃というと語弊があるかも知れない。ある種の感慨がより強烈だった、と言い直してもいい。つまり、『東京物語』は誰が見ても明らかに身につまされる映画だ。悲哀と残酷の物語であり、親を持つ人間なら愛情と罪悪感をかき立てられずにはいられないだろう。感動するべくして感動する。しかし『晩春』の物語は、要するに娘が嫁に行く、それだけである。なんてことないホームドラマであり、似たようなプロットはテレビドラマで無数にあるだろう。いやそれ以前に、どこの家庭でも普通に繰り返されている光景だろう。にもかかわず、これほどまでに凄い映画が出来上がる。これが芸術の謎でなくて何だろうか。大体、私はホームドラマに関心がない人間である。テレビのホームドラマはまず見ないし、家族愛がテーマ、なんていう映画にはあまり食指が動かない。だから本作を観始めた時も、名作と言われる映画を勉強してみようかぐらいの気分だった。そもそも、知りもしない家の娘が嫁に行こうが行くまいがどうでもいいのである。ところが観終わってみると深く感動していた。これは一体どういうことなのか。

 要するにプロットでなく、神は細部に宿るということだ。細部とは何か。映像であり、間を活かしたシークエンスの流れである。冒頭原節子、杉村春子が着物を着て登場するみやびなお茶のシーンに始まり、父と娘が電車に乗っているシーン(これが妙に長い)、同じく父娘が能を観るシーン、そして有名な壷のカットなど、常套的でないカットやシークエンスが映画に独特のテンポを与えていて、一つ一つの場面が単なるプロットの説明に堕していない。ミラン・クンデラ風に言えば多義的な現実を再現し、そこにポエジーを生み出しているのである。
 
 カットについていうと、小津映画でよく言われる人物の切り返しは確かに印象的だった。つまりAさんとBさんが向き合って話している時、まずAさんが画面に向かってカメラ目線で喋る、次にBさんが画面に向かってカメラ目線で喋る、という切り返しが行われる。これは通常の映画文法を逸脱しているそうで、確かになんとなく不自然さ、違和感を覚えるが、紀子が周吉を「再婚するつもりか」と問い詰めるシーンではこの切り返しショットがものすごい緊迫感をもたらしている。

 それからもちろん、抑制である。この映画の柱である父親=笠智衆は娘を手放す寂しさをギリギリまで見せない。婚期を逃しそうな娘を心配し、いい縁談と聞くと目を輝かす。彼が真実の心を見せるのは最後の最後、映画が終わるまさにその瞬間になってからである。

 常套の排除という点では役者の演技もそうで、たとえば再婚した叔父との会話で、満面に笑みを浮かべたまま「汚らしいわ」などと言い放つ原節子にはかなりギョッとする。これがテレビドラマの説明的演技であれば、彼女はセリフに見合った嫌悪感を表情と口調に出すところだろう。それから一番の泣かせどころ、結婚式の前に白無垢を着た原節子が父親に礼を言うシーンの直後、杉村春子が一度ぐるっと回って部屋を出て行くところなど妙にコミカルで、私はつい笑ってしまった。

 そういうオフビートなユーモアはあちこちにあって、笠智衆と叔父が「東京はどっちだ?こっちか?」「いやあっちだ」「じゃ東はあっちか?」「いやこっちだ」なんて言うシーン、笠智衆と杉村春子の「私なんかとても食べられないわ」「いや喰うよ」「そうかしら」「喰うよ」、結婚したあとお婿さんを何て呼ぼうか杉村春子が笠智衆に相談して「だから私くーちゃんて呼ぼうと思ってるのよ」「くーちゃん?」などというやりとりには非常に洗練されたコメディ・センスを感じる。ジム・ジャームッシュが小津のファンだというのがよく分かる。

 常に淡々としている父親の笠智衆、そして満面の笑顔と鬼のようにコワイ表情を行き来する原節子は両者ともに素晴らしい。「ファザコンか?」というぐらい父を慕っている紀子がついに「このままずっとお父さんのそばにいたい」と告白する場面で、周吉=笠智衆が珍しく能弁になり、幸せは与えられるものではなく自分たちで作っていくものだ、と説いて聴かせるシーンは胸に迫る。

 それにしても、このストーリーでついに紀子の結婚相手が一度も画面に登場しないことには驚く。スローテンポで間が長い映画であるけれども、徹底して無駄が省かれているのである。


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