崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「師匠の日」

2012年05月16日 05時37分54秒 | エッセイ
例年のように昨日は韓国の「師匠の日」であるという祝賀の電話で知らされた。毎年のことではあるが私には記念日が定着していない。もう31回目というが私が恩師に祝賀メッセージを送ったのは2,3回しかない。しかし私は多くもらったことや忘れられないこともある。韓国でのことである。多くの卒業生と在学生たちが数十人が自宅に訪ねてきて靴箱や玄関のスペースが足りずマンションの廊下まで並べ、家内が飲食物を出して宴のようになった。それが全盛期であり、日本に移り住んでからは電話などを受けることがあってもあまり、意識しなくなって忘れつつある。昨日は日韓の数人から祝いの言葉と花が届いた。
 韓国の教育科学省の大臣は全国の先生方に「先生、愛します。」京畿道知事は「貴方が大韓民国の未来、希望です」と発表した。韓国では先生はただの職業ではない聖職に近い「君、父、師の恩」といわれる伝統を持つ。韓国の子弟関係について日本人の教員たちは「日本でも古くはあった」という。恩とは無限に返さなければならない義務を意味する。その義務というのが戦前天皇制を政治的に利用した歴史がある。しかしその義務を「愛」として解釈することができる。私はそれについて分厚い本で主張した。日本では「学級崩壊」を招くのも無選別に伝統を捨てたのが原因であろう。それが民主化と近代化といえるのだろうか。(写真は送られてきた花の一部)





介護の心

2012年05月15日 05時20分17秒 | エッセイ
 家内は現職の看護師であり私はいつも介護されているような立場であったが、家内が躓いて転倒してから私が介護の立場になった。最先端の医療機器が揃っているこの地域では最大規模の病院が救急当番だったので、幸いに思い、診察していただき骨折はないということで安静にしていたが、痛み,腫れが強く整形外科病院を受信し骨折と診断された。先端医療機器があっても使いこなせなければ意味をなさない。家内の休養と通院治療により私が一気に介護する立場になった。私は炊事などはある程度できても不慣れなところが多い。また、包帯を巻くなども不慣れなこと、介護は心が重要であることを痛感した。いつも介護されるという心構えが私の弱点である。私は家事をこなす「家政」をすべてを完全とも言えるほど家内に任せてきた。それが真の信頼であることだと思ったが、本当は介護の心、人を大事にする心が損なわれていたことを悟った。

ムカデ

2012年05月14日 04時16分38秒 | エッセイ
 新緑を見て歩きたくて朝散歩にでた。野薔薇の香がとても新鮮な初夏の自然、また雑草の茂った道であった。草の種類によって異なった虫に食われている。ある草は毛虫に食われている。また道端にも毛虫動いている。家内は虫を指しながら今は気持ち悪いけど蝶になるものだという。森林全体を消毒すべきだと話しながら、シンガポールでの昆虫保存の話を思い出して立ち留まった。ぐるぐる巻かれて萎れている多くの雑草の中の幼虫を確認したかった。剪定ハサミで葉を開けたとたん、アッ!、びっくりしてハサミを投げてしまった。4-5センチの茶色がピカピカしたムカデがびっくりして出てきて動いた。韓国ではムカデは漢方の薬材になっており、瓶詰めムカデを良く目にした。毛虫に我慢した嫌さが爆発した。母親は蛇など異様な動物を見ると不浄だと清めて謹慎したのを思い出す。 
 昼過ぎのことであった。家内が階段の段差でつまずき、足を踏み外して私の目の前で転倒したのでアッ!、ショック。救急病院で診察、骨折ではないが、安静が必要になった。昨日は二回ショクを受けた。周りの森林が怖くなった。他の虫にはそれほど驚かないのにムカデがなぜ怖いのだろうか。韓国の昔話「異物神話」によく登場するのがムカデである。ムカデは脚が多く、「百足」とも表記する。姿形が怖い。それは神話によると人間に変身するからより怖い。。多くの殺人事件のニュースをを見て人が怖い。それを解消して、愛する道はまだ遠い。

ホタル舟

2012年05月13日 05時48分26秒 | エッセイ
 
「ふるさと下関応援団」主催のNuts Meetingに参加した。最初に授賞式の映像が流れてからホタル船を観光化して、全国大会で優勝に導いた本人の伊藤孝之氏が登場して説明した。下関市豊田町で生まれ育った青年がそこを「ホタルの里」にした話である。そのホタルが「天然記念物木屋川・音信川ゲンジボタル発生地」として国から天然記念物に指定されたことを基に船上からホタルの乱舞するのを眺めながらの川下りを観光化したものである。柳田国男の「遠野物語り」をもって観光化した遠野市、トキの佐渡島などの例のようにキーパーソンの成功物語りを聞くようであった。古くは韓国のセマウル運動の成功談を聞くようであった。成功のカギはキーパーソンである。
 この事例を以て廃れていく地方の活性化のためにパネラーに小林美保、村田鮎子、吉田和矢、杜欣の諸氏が登壇して河波氏が司会をして討論した。東亜大学の女子留学生の杜欣氏は中国からみて下関には外国人を迎える姿勢や施設がよくないという発言が中心になって進行された。下関の活性化、観光化の模索だけではない、日本全国の活性化に至る話であった。日本には高齢化によって社会が滅びていくような危機感がある。日本は先進国の座を譲らなければならないという学者もいる。私にマイクが廻って来た時、「日本は先進国の最先端、長寿国のより高度な先進国への挑戦をしている」と演説風に語した。


「日韓の大学生の類似点と相違点」

2012年05月12日 00時38分43秒 | エッセイ
 20数年前勤務した韓国啓明大学校から講演の依頼があって近い内に行く予定にした。講演のタイトルは「日韓の大学生の類似点と相違点」にした。何をどういうかは私自身、まだ整理も構成もできていない。両国において20数余年間、合わせて45,6年間大学で教育してきて、その間の日韓の比較を経験的に語ることにしようと思う。啓明大学校では70年代の末、日本学科の創立期に赴任してカリキュラムなどを作り、日本言語文学中心から「日本学へ」と働きかけ、反対も多かったが守りながら『日本学入門』も書いた。学生に日本へ留学を勧め、その数が多くなった。日本で当時の私のニックネームは「啓明マフィア」だった。啓明大で還暦祝い、(広島大)退官記念会、講演会などをしてもらい何と幸せなことであろうか。この度、久しぶりに行くのが若干照れくさく感じて遠慮したが、行くことにした。この夏には広島大学に集中講義に行く。それぞれ前任した経歴上の大学から呼ばれることは私の分を超えた幸せなことと思う。転々と移動しながら生きてきて、その縁を繋げてきた証であろう。

(続)東アジア文化研究所ホームページ

2012年05月11日 05時17分14秒 | エッセイ
 
東アジア文化研究所ホームページが更新できるようになった。最初に自力で作ったことで自信を以て、今度は業者に基礎的なデザインをしてもらって更新しようとしてもできず数日間トライした。インタネット上教えてくれるように公開したり業者にメールをしたりして簡単な一つのセーフティが掛かっていることで解決した。これからhttp://choikilsung.net/eastasia/を大事にして更新していこうとする。すでに研究所に支援金を入金して下さった方もいて勇気づけられて、感謝し運営に力を注ぎたい。
 5月19日には最初に所長の私が感謝を込めて講演会をすることにした。11回の「田中絹代塾」での映像と講演をする計画であったが共催の形にしたものである。そこに「ふるさと下関応援団」と「山口県日韓親善協会連合会」「新老人会」の4団体の共催になった。私が調査した映像を以て「北朝鮮」を話題にすることになった。一般市民としては北朝鮮に関する情報はあふれるほどあり、知識や識見を持っている中、私は何を語れるだろうか、冒険的ではあるが、少なくとも中傷的ではない。それを期待する人には失望を与えるかもしれない。文化人類学を専攻する者として客観的にみることができるかテストになるだろう。マスメディアの情報と併せて考える時間になってほしい。

「母の日」

2012年05月10日 04時59分48秒 | エッセイ
5月第2週日が「母の日」であることがある女性から知らされた。その日だけでも教会の昼食会を男性たちが準備してくれると嬉しいんだけどと言われた。父の日もあると言われてもいつかは知らない。元々母の日はアメリカから始まったmother's dayが世界に広がったものである。韓国では5月5日が「こどもの日」、8日が母の日になって、母の日を「父母(オボイ)の日」にした。今父母の日を公休日にするというニュースが流れている。日本では母の日は公休日ではなく、日曜日にしている。 
 公休日設定は慎重にすべきであろう。公休日を国家のイデオロギーやナショナリズムなどで利用してきたが「緑の日」や「母の日」のようなものは国家のイメージを変え、社会や国民のリズムを入れ替える効果がある。定日の公休日が日曜日と重なと振り替え休日にしている。振り替え日が多い日本では月曜日が公休日が多いので曜日毎に仕事が設定されている労働を他の日に補完するのが普通である。しかし公休日の設定はそのような損得を超えてされるものである。公休日の分を他日に仕事するということは勤労精神からは称賛されるかもしれないが、公休日精神に違反するものである。労働から解放されるという公休日の意味は喪失するからである。記念日や祭りなどを研究する文化人類学を知った人が政治や、官吏に携わってほしい。

口コミ

2012年05月09日 05時11分07秒 | エッセイ
 ある医者にホームページなどを作り宣伝をして病院をより大きく成長させることを勧める話をしたら意外な返答がきた。彼は商業的に成功させるよりは口コミによって信頼してくれる患者だけにした方が彼には気があうようにいう。宣伝をして拡大し、医師も増えると人間関係や管理などが複雑になることも予想される。彼の言葉を私なり経営的に拡大解釈したが彼の本心は医療行為は商業的な商術ではなく、「仁術」であるというところにポイントとがある。この世への大きいメッセージが伝わってくる。
 私が通っている病院は数か所あるが二つの対照的な医院がある。一つは若い医師が院長であり、宣伝や最新機械を揃えるなど商術が上手く患者さんも常に満員である。予約制ではなく、待つ時間は1時間以上である。もう一つは高齢な医師が口コミによる小規模のところであり、患者さんとは知り合いの人たちのようにしている。医師の顔をまともに見ることはないが、長い経験の手先が柔らかに感じ、丁寧にし、医療費も安い。これらの二つのモデルは対照的であり、どれが良いかとは言いにくい。経営は別として「医術は仁術である」という原点に戻って考えてみたい。

「つながり」

2012年05月08日 05時20分38秒 | エッセイ
広島大学時代の同僚であった高谷紀夫氏、上水流久彦氏、また嶋睦奥彦氏のつながりのある人たちの論文集『つながりの文化人類学』が送られてきて読んでいる。人類学の理論というより私の「つながり」はどうであろうかと考えるようになった。中国や台湾などの親族組織、西洋の血統や家族主義など文化それぞれ、人それぞれである。私はその「つながり」においてはとても弱い存在であるように感じる。私にもつながりというものがあるとしたら「子弟関係」といえるかもしれない。
 高校や大学、職場を変えながら現在に至っているが、10年以上勤めた啓明大学校と広島大学の教え子たちが頼りになっている。それは目的や意思を以て作ったものではない。短く2年間務めた慶南大学校でもつながりは太い。しかし陸軍士官学校や中部大学での縁が薄い。そちらは退職後一度も訪ねたことがない私の方に理由があるかもしれない。またある大学からは講演を頼まれて行くことにした。「つながりのない」ことは孤独を意味するか。そしてスパイダーのように糸の網を作る。ある人はその網の中に包まれて苦労する。。「つながり」と「孤独」は裏表であろう。
 
 高谷紀夫・沼崎一郎編 『つながりの文化人類学』東北大学出版会、2012
川口幸大、上水流久彦、玉城毅、杉本敦、吉田香世子、二階堂祐子、渋谷努、松本尚之、久保田亮の諸氏の執筆

サクランボ

2012年05月07日 05時29分04秒 | エッセイ
 ベランダの桜の鉢の3年目の花が過ぎ、サクランボを数回採った。赤く光る実をとって家内と試食した。夏を賞味した。ソメイヨシノの桜より一足早く咲き、マン丸いサクランボに新鮮さを感ずる。まるで宝石のように美しい玉、その中に種が入っている。子供の時に韓国で山桜を楽しんだ。その山桜の花を観賞するという言葉はあまり聞いたことがなかった。日本では早くからその美しさを改良して「花見文化」を作り上げたことには感心する。花や果肉は種のためのものであることを改めて悟る。美しい花、美味しい果肉の原点は「種」である。種は「命」の原点である。

「難しさと簡単さ」への戦い

2012年05月06日 05時43分56秒 | エッセイ
 研究所のホームページを作成、更新のためにPC、インタネットで三日間数十時間全力投球した。説明書を暗記するほど読んで、ネット上の質問も数回した。どこでも「簡単、かんたん」と聞くが私には簡単ではない。十年ほど以前にソフトを使って作ったことを思い出す。それが底力になっていて放棄せず頑張ることができた。PCなどの初歩者からホームページを作ったこともない人が「それは簡単だよ」と言う人がいる。ゴルデンウィークに無駄な時間の浪費と思われるかもしれないが、そう思わない。
 インタネットの難しさは細かい記号を大事にすることである。ネット上では「.」と「,」の差を知らないために働かない。複雑な記号組織をもって通信できるようになっている。考えてみると複数の読者に全世界に届けることは難しいことである。私の数日の全力投球は当然なことであろう。しかしその難しさは記号一つによって解決するかもしれない。インタネットの挑戦は「難しさと簡単さ」への戦いであろう。今、最初から作り直してみようかと考えている。

感謝心の塊

2012年05月05日 05時14分50秒 | エッセイ
 韓国から大型のダンボール箱が送られてきた。当然ソウルの姉から例のような食品と思って開けてみると春海保険大学校の学生一同からのハングルの手紙が入っている。2か月前に訪問してきた時私の知人の介護製品会社の「ひまわり」のデーサービスに穴見社長夫妻と一緒に案内したことを思い出した。車内で学生たちに社長の奥さんが韓国好き、特にヨンサマファンであることを紹介した。箱の中には味付けのりとアオサ、コチュジャン、その中にヨンサマ出演の映画DVD、ポスターなどが混ざっていた。その大きい箱が感謝の「心の塊」に変わった。
 早速社長さん宅へ届けることにした。数年間の教会の教友であるが久しぶりに会った。満面な笑顔に韓国からのお土産を届け、3月に来られた引率教授の金美淑先生と二〇数人の学生たちの話しなどをし、私と家内にとって連休のピ-クであった。話題は世俗的な話ではあってもクリスチャンとしての隣人愛の価値観が底流した。社長夫妻は韓国に新商品の登山、ハイキングどちらにも対応できる杖を送ろうとしていたとのことであった。車が見えなくなるまでお二人で手を振って見送って下さった姿に心が残った。今御夫妻は長く通った教会を離れ、私たちも大韓キリスト教会へ行っている。その教会はご夫妻のような方を数十年かけても伝道すべきであるのに、、、。その教会が言っている「伝道」をするということばはどういうことなのだろうか。矛盾していると感じた。(写真は両端が穴見夫妻)

他人に魅力ある人になることは難しい

2012年05月04日 05時11分59秒 | エッセイ
 私は関門橋の近く、赤間神宮や唐戸市場などの観光名所のある下関観光一番の街に住んでいる。観光地への魅力より海を眺めるリゾートとして売り物であった所を住まいを決めたのである。昨日は恒例の海峡まつり、源平の海上合戦の歴史を物語る船舶群れの示威があった。毎年ほぼ見ており最初の感動のようなことはなかった。今度は天気不良、観客が少なく感じた。観光客は浮遊するような傾向がある。観光をより安定な収入源にするのは簡単ではない。生業などを含む総合的な魅力を持つべきである。
 韓国では一昔前までは観光とは言えない、村の祭祀と農楽、軍事パレード、結婚式や葬式の行列、市場で行われる叩き売りなど見るものであった。現在のように観光産業化したのはイギリスのトマス・クーク(Thomas Cook)が19世紀半ば個人住宅への観光からエジプトやインドなど海外旅行を商業化したところから今は世界化された。観光客になるのは簡単であるが、自分自身を観光化してもらうためのは簡単ではない。誕生日パーティや結婚式で人を集めるのが精いっぱいであろう。他人に魅力ある人になることは難しい。

「ここ、日本です」

2012年05月03日 05時46分56秒 | エッセイ
 昨日ある出版社に電話をしたらよく知っている方が「韓国からですか」と言った。私のブログを愛読してくれている方であり、私が連休にソウルへ行くことを書いても帰国したことは書いていないのでそのような言葉になったという。帰国して連休の中の二日間講義をした。ソウルのホテルで3人のブログ愛読者と我が夫婦はブログの内容の話が中心になり対話がスムースに流れたが新鮮さはなかった。先日韓国からの電話で、私は「久しぶりです」と応対、彼は「久しぶりではない」という。フェースブックで私の近況を知っているという。インターネットを通して発信することができて自由に書ける時代になって私も書いている。昨日大学の東アジア文化研究所のホームページをスタートすることになり、より頻繁に書くことになる。ただ私事をメモ書きのように書くのではなく、共鳴する考え方を提供する気持で書く覚悟をしているところである。

居眠りとの戦いは成功の秘訣

2012年05月02日 04時58分03秒 | エッセイ
 日本は電車の中で本を読む人が多い国として有名だという話は昔話。居眠りする人はいたるところで一般的である。睡眠を沢山取ることが健康生活であることを否定するわけではないが、冴えている覚めている時間と眠い時間は区別すべきである。本欄では「居眠り日本文化」とか「昼寝時間設定」などを提案したことなど数回触れたことがある。飛行機、電車、バスなどの運電者の居眠りで事故が起きた。最近大型事故と関連して「居眠り」が話題、原因と言われることが多い。目下バスツアーの居眠り運転の大型事故の原因を探している。無理な経営が運転者の居眠り事故の要因とされている。バス会社の方から「安全運転こそ利益となるような事業」であるという話を直接聞いたことを思い出す。
 居眠りとの戦いは成功の秘訣とも言える。居眠り防止のためにチョンマゲに紐を付けておき、冷たい水に顔と頭を冷やし、鉢巻などをして勉強する。韓国で息子を司法試験に優秀な成績で合格させた母親が話題になったことがある。一人だけの勉強部屋は提供せず、常に開放された状況で勉強する息子の背中を見守っていたとインタビューで語った。その時間帯にはテレビを見ることなく、母も読書をしたという。私は今二宮金次郎型を見本として言うつもりではない。居眠りを疲れ、勤勉だと言い訳や弁明してあげる日本文化に警鐘を鳴らしたい。