昨夜NHKでオウム真理教事件のドキュメンタリー式ドラマを観た。私はクリスチャンとしてキリスト教への悪影響があるかと脅威も感じた。教祖が使ったいる言葉や儀式は宗教的であるからである。キリスト教の「救済」「隣人愛」そして仏教用語の「解脱」などで説法する。教祖は自ら救済主へのカリスマ創造、その神的存在を中心に若い層の信者の組織した宗教法人化の過程で信者を殺して隠蔽した。宗教的に意味づけながら殺人、化学兵器も生産し、無差別テロ事件を起こした。
私は以前韓国で「ハレルヤ祈祷院」を調査したことがあり、オウムと酷似していると思っている。しかし前者は公開的である。私は末期患者治療の集会に家内と数回参加して撮影をしたり信者へインタビューしたりしたことがあり、研究会などでも発表した。中国でも弾圧されている「法輪功」も調査をしたことがある。それらと比較してみるとオウム真理教事件は非常に日本的であると思う。一言でいうならば集団の秘密によるものであること。一般的に日本の宗教団体は閉鎖性が強い。私は沖縄の浦添のあるキリスト教会で礼拝を希望したが断られたことを忘れることができない。おそらく世界的にも例の少ない閉鎖的現象が日本では割と普通である。日本の民主警察(?)は「個人情報保護」などの「壁」を超えて情報を得ることが難しい。得たとしても確証できる事件を待って初めて起動する。オウム集団の中で二回の殺傷事件があっても警察が知らなかったということ、国家存立が疑われる。
「ズル賢い」宗教指導者の下に「純粋な」信者によって組織されていて、その危険性を潜在的に含んでいるのは珍しくない。ある教会のようにリーダーシップのある代表的な存在を牧師が追い出し、すべてを牧師中心に支持者の秘密グループを作り、自らカリスマを作るのはオウム真理教とそれほど差がない。
日本人は集団性が強いという国民性の「文化とパーソナリティ」理論は否定されているようであるがオウム真理教事件をみると日本人は反省すべきかと思う。人権尊重、宗教保護などが逆行している。
私は以前韓国で「ハレルヤ祈祷院」を調査したことがあり、オウムと酷似していると思っている。しかし前者は公開的である。私は末期患者治療の集会に家内と数回参加して撮影をしたり信者へインタビューしたりしたことがあり、研究会などでも発表した。中国でも弾圧されている「法輪功」も調査をしたことがある。それらと比較してみるとオウム真理教事件は非常に日本的であると思う。一言でいうならば集団の秘密によるものであること。一般的に日本の宗教団体は閉鎖性が強い。私は沖縄の浦添のあるキリスト教会で礼拝を希望したが断られたことを忘れることができない。おそらく世界的にも例の少ない閉鎖的現象が日本では割と普通である。日本の民主警察(?)は「個人情報保護」などの「壁」を超えて情報を得ることが難しい。得たとしても確証できる事件を待って初めて起動する。オウム集団の中で二回の殺傷事件があっても警察が知らなかったということ、国家存立が疑われる。
「ズル賢い」宗教指導者の下に「純粋な」信者によって組織されていて、その危険性を潜在的に含んでいるのは珍しくない。ある教会のようにリーダーシップのある代表的な存在を牧師が追い出し、すべてを牧師中心に支持者の秘密グループを作り、自らカリスマを作るのはオウム真理教とそれほど差がない。
日本人は集団性が強いという国民性の「文化とパーソナリティ」理論は否定されているようであるがオウム真理教事件をみると日本人は反省すべきかと思う。人権尊重、宗教保護などが逆行している。