崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ポルノ映画

2012年05月30日 05時01分06秒 | エッセイ
しものせき映画祭実行委員会で上映作品の選別があり、特にポルノ映画の上映をめぐって議論された。映画産業が下向けの時サバイバルの動機付けがポルノ映画だということで今一度振り返ってポルノ映画を観るのもいかがであろうかという提案があった。まず社会的なタブーを破るか、またその作品にポルノと表現の自由の葛藤などの問題意識があるか、どうかについて質問した。問題意識のないまま性的刺激を与えるような映画は高齢者には不快感を持たせ、視聴者が少なくなるだけではないかという憂いを表現した。学習院大学公開講座に「アジアの性」をテーマに提案して行って高齢者が多い聴衆が激減したことを覚えている。
 私は文学少年時代に恋愛小説を多く耽読したが、中にイギリスの小説家、D・H・ローレンスの作品の「チャタレイ夫人の恋人』(Lady Chatterley's Lover,1928年)が映画化され、ポルノか、芸術かの世界的議論を読んだことを思いだす。若い時と今かなり変わっていることは身体的な変化か、文化的な成熟なのか。愛なしに性的に動物化している現代における「性と愛」の関連性などをテーマにした社会的問題作であればそれは単なるポルノではない。上映する価値が十分であろう。ただ観客を集めるようなことは難しい。家庭映像時代に人を映画館に呼び寄せるとは簡単ではない。その難しい戦いが映画祭であるということこそ本当の問題意識かもしれない。