崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

カルト信仰の問題

2006年08月01日 06時40分03秒 | エッセイ
 私はこのエッセイで時々韓国の基督教の民族主義とエックスタシー性に否定的に書いた。この度摂理ということを中心的に教派を作って問題になっている。このような新宗教は韓国の基督教がその要素を持っているということであり、基督教へのイメージをダウンさせる事件である。
 もう一つは日本社会の問題である。日本は人を不安と孤独にしている。そこから救済を求めた結果、そのようなものに出くわした現象であることを反省すべきであろう。