崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ユーカりとコアラ

2006年08月15日 07時14分21秒 | エッセイ
 昨日下関市吉見町の林業家の中川氏に会って林業に関する話を聞いてきた。彼は旧制農業専門学校を卒業して林業をしてきた。成長の遅い日本の木で狭い日本式で家を建てることではなく、功利性の高い木材を世界で探して西洋の建築文化を取り入れて住宅を建てて売って来た話を聞かせてくれた。彼の顔には建築に関するロマンスが映っていた。彼がまず見つけたのはオストラリアのユーカリという木であった。日本ではユーカリと言えばコアラを連想させられる木であるが彼は理想的な木材と考えたのだ。13年くらいで20メートルほど生長するという。彼の話を聞いてから彼が山に植えて大きく成長させている現場を訪ねていった。彼は早くから日本の木材では建築業が難しいこと考えて世界いろいろな国を回って幸せな建築文化を見てきてユーカリを輸入して試験的に建築して見るなどして研究し、成功した。ユーカリで建てられた彼の御自宅で貴重な西洋画も沢山見せていただいた。「幸せは住宅にある」という人生観、敷地120坪に建坪60坪が理想的なサイズ、国際感覚のある人間型にかんする、情熱的で、ロマンスのある彼の講義(?)には感動した。

壮観な花火

2006年08月14日 06時37分53秒 | エッセイ
 昨夜下関と門司港の共同花火大会が行われ、夜空を美しく染めた。小倉のYMCAの理事長とその日本語学校の校長先生夫妻、下関韓国教育院長夫妻、大学と中学校の教員たちと、日韓の人が集まって楽しんだ。私は長い間の付き合いである校長と話が盛り上がってしまい、やっと話がまとまり、よし、花火を見ようと思ったら花火が終っており、せっかくの撮影の準備も台無しになった。しかし3人が取った写真をテレビ画像に出して、今度は作品の評価会のようにみんなで笑いながら楽しんだ。花火も壮観であったが、共に見る人がおり、その時間を共感できた人との交わりがより楽しい。院長の奥さんは画家であり、その撮影もみごとであった。その写真をこのHPに公開できればと思っている。

総理選挙と年金制度

2006年08月12日 06時54分27秒 | エッセイ
 総理選挙の前に候補たちの人物像が浮き彫りにされる。しかし与野党の対立ではなく、また政策の対立でもなく、党内の行事のようなものである。ただ人気度の差があるだけである。その人気も世襲的な父、祖父などの影が強く作用する。人格と政策の対立から議論して選ぶべきである。
 日本が韓国より年金制度が良いと思ったが最近それについて、韓国の友人が話をするには韓国ではマンションに投資したら1週間で500万円が上がるので年金よりそちらに関心が集まっているという。マンションは住んで古くなったら価値が下がるのが普通であるが、韓国ではそれが投資の手段となるという。日本の総理は年金などを含む、国民が暮らしやすい政策を考えられる人を選んで欲しい。

女性から声をかけられた

2006年08月11日 06時52分26秒 | エッセイ
 私は大型百貨店かスパーマーケットを回っても買いたいものがなくて、そのまま出る時がしばしばある。それは欲を出せば必要なものだがそれがなくてもあまり不便がない程度の物を探しているからでであり、まあまあ必要なものは揃っているからである。このくらいであれば豊かといえる。昔訪ねて行った山小屋に篭って念仏をとなえていた坊さんの言葉を思い出す。彼は欲しいものがないから豊かだという。また山や空も所有しているという気持ちで豊かだという。しかし買えないもの、所有してもっと欲しいものがある。それは人の心である。つまり良い人間関係を望んでいるのであろう。
 昨日スパーである教会の女性信徒から声をかけられた。彼女は教会であっても今まで視線を交わしてくれなかった。しかし、今日は私からではなく、彼女から挨拶されたことが嬉しい。このように人の心を得ていくのが幸せである。

結婚記念日

2006年08月10日 07時49分47秒 | エッセイ
 8月6日がわれわれ夫婦の29周年の結婚記念日であった。付き合って数年を入れると30数年になる。愛し合った年月の長さだけではなく、どんな夫婦であったのだろうか。まず言えることは夫婦喧嘩というものは一回もしていない。人はなかなか信じてくれない。これはこれからも守れると思う。家内は韓国でまったく韓国語が出来ず私に頼らざるを得ない時があった。日本では私が家内に頼って日本社会に適応してきている。家内は未だに私の手紙一枚までもチェックしてくれる。もちろん多くの著書や諸文章の日本語の校正やチェックをしてくれる。異なる点もあるがクリスチャンであること、愛犬家であることなど共通するところが多いことも仲良く暮らせる夫婦生活の秘訣かもしれない。

大牟田炭鉱労働者調査

2006年08月09日 06時53分59秒 | エッセイ
 昨日35度以上の暑さの中、4年生の井藤さんの運転で、同僚磯永氏の案内で九州大牟田炭鉱労働者に関する調査を行った。サハリン炭鉱労働者調査の一連の研究調査である。この炭鉱では朝鮮人強制動員などはなく、日本人が中心であって朝鮮人や中国人は雑夫であったという。石炭記念館に朝鮮人労働者たちが書いた落書きを残してあるのを見た。京畿道長湍郡、高陽郡、驪州郡から一隊になって来たということと性器の「子之ジャジと保之ボジ」とハングルと漢字で書いてある。「成則軍黄明」などは誠則軍皇明つまり誠意を尽くす軍が天皇を意思の明らかにするというような意味の誤字であるかわざわざふざけて書いたものかは分からない。また労働者に関する調査の意欲を感じた一日であった。

また校正原稿

2006年08月08日 06時12分49秒 | エッセイ
 集中講義などで帰ってゆっくり休もうかと思ったら2冊の校正原稿が出版社から届いた。悲鳴をあげたい気分と喜びを感じている今である。仕事が好きであるから仕事を続けられる自分の幸せを確認できたようである。しかしいつまで続くかは分からない。健康の問題や社会の需要の問題などが予想されるがそれは神に任せる。それが私の信仰である。

「国境」が「県境」に

2006年08月07日 22時37分22秒 | エッセイ
 今から20年ほど前に私はある本で「私は韓国はもちろん日本も愛します」と書いて韓国人から蔑視された。数年前韓国のある大学で講演をした時、類似する言葉を言ったがその時は別に反応がなかった。さらにヨンサマによって日本人の意識構造の激変、そして韓国人の意識構造の変化が起きて現在日韓関係は民衆次元では交流が活発である。このような国際化現象にアイデンティティが薄れているとか危機感を言う人がいる。しかし、「国境」が「県境」のように感ずる時代がすぐ来るかもしれない。

原爆ドーム

2006年08月06日 07時05分13秒 | エッセイ
 今日は原爆記念日である。広島に住んだ時には被爆のことが日常的だった。放送か新聞かどこかにその言葉があった。原爆は20世紀最大の悲劇ともいえる。しかしそれに関する見方は一致しない。アメリカでは悲劇とは思っていないし、アジアでは神様からのプレゼントだと言う人もいる。国家を基準としたら見方が相反することは多い。テロもそうである。聖戦とテロは相反する。人類の愛から考えると被爆は人類の悲劇である。
 原爆ドームはその悲劇のシンボルである。数年前私はそれを背景に終戦記念テレビ番組の司会をしたことを思い出す。韓国は朝鮮総督府庁舎を破壊したが日本はこのドームを記念物として残している。そして平和運動の基礎としている。日韓の政策の差がここに見える。

ある中国からの留学生から

2006年08月05日 06時18分50秒 | エッセイ
 日本の植民地について日本は謝罪すべきであるといった。いろいろな事件が起こると責任者が頭を下げて謝罪することをよくマスコミを通して目撃する。しかし日本の責任者はアジアにそのような謝罪をしない。ある中国の留学生から次のようなメールが来た。
 「私は日本で6年間住み、自分の目で見た日本について正直に言えば、今の日本はかつて中国に侵略し、老人、子供まで殺した、そんな残酷なことをしたとは連想しにくい。外国人への差別とはいわれても留学生に対する支援体制(授業料の免除、奨学金など)を整えているし、ある程度住みやすい国といえる。しかしこんな良い国がなぜきちんと過去に犯した罪を認める勇気がないのだろうかと思う。教科書に、「悪いことをしたら、謝ること、責任を持つこと」を書いているはずである。学校でこういうことを子供に教えているのに、国はその通りにしないことはとても残念なことである。戦争で奪われた命、人の幸福など何でもお金で解決することではない。日本は「謝罪」をすべきである。」

綱引きとボクシング

2006年08月04日 09時21分14秒 | エッセイ
 私も先日世界チャンピオンボクシングを終始視聴した。意外な審判には腹が立った。一般の人より客観的に判断するのが審判でありながら細かいルールを利用して亀田に勝利を宣言した。ルールが一般の視線と共有できないのならスポーツゲームは成り立たない。ダウンもして、不利な戦いが明確であるのに専門家である審判の偏見であろうと思われる。一般の日本人たちが多く怒っている。日本人の意識は健全である。中国や韓国であればどうであろうか。健全な国民を持っているのが誠に国家の強さである。
 綱引きはもっと単純なゲームではあるが選手が複数である。それをやる人も見る人も勝負には文句がない。ボクシングは見る人が判断できる。数人の審判の判断だけによるものではない。日本で行われる試合には日本の選手を殺さない限り勝てないというコメントは皮肉をこめた言葉だけではない。

広島大学大学院院国際協力科に集中講義

2006年08月03日 21時19分42秒 | エッセイ
 広島大学大学院院国際協力科にて集中講義を終えて帰ってきた。植民地文化論の講義で映像を見せて自由討議をしてから分析する方法を取ってみた。受講生たちの熱心さに感心した。長く勤めた大学での講義に心が和んだ。
 中国からの留学生の孫蓮花さんは6,7年前、中国長春で通訳してくれた時の縁で広島大学に留学され、今度博士号を取得して、大連の有名大学の副教授に決まって間もなく帰国するということで嬉しく、祝ってあげた。バスの停留場まで走ってきて見送ってくれる彼女に私は寂しさと彼女の前途に祝福の気持ちをこめて手を振った。
 広大のオープンキャンパスでバスと西条駅が混んでいた。広島駅で降りて友人からのお土産をもらって帰る時講演と講義で疲れたが、暖かい人情で幸せを感じた。

カルト信仰の問題

2006年08月01日 06時40分03秒 | エッセイ
 私はこのエッセイで時々韓国の基督教の民族主義とエックスタシー性に否定的に書いた。この度摂理ということを中心的に教派を作って問題になっている。このような新宗教は韓国の基督教がその要素を持っているということであり、基督教へのイメージをダウンさせる事件である。
 もう一つは日本社会の問題である。日本は人を不安と孤独にしている。そこから救済を求めた結果、そのようなものに出くわした現象であることを反省すべきであろう。