崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

新しい芽

2011年04月29日 23時50分40秒 | エッセイ
 我がマンションの近くにビーゲンビリアの木が平屋の屋根の高さまで伸びて枯れていたのは以前本欄でも触れたことがある。それをとても残念に思っていたが新しく葉が出はじめたのである。その家のご主人は500円で買って土に植えたのが大きくなり茂り、見事な花を咲かせてくれて嬉しかったのに枯れて失望したが、新しい葉が出たので嬉しさを隠し切れず大きい声で歓声をあげた。私も嬉しくて調子に合わせた。
 高齢な方が入院中であり、見舞いに行ったが会わなかった。彼女は私には女性としてきちんとして応対するので面会室で待ったが体調が悪くこれなかった。残念ではあったが、そのまま帰ってきた。最近まで彼女の旺盛な生命力には感動したが、それが見れなかったのは心に残った。彼女もこのビーゲンビリアのようにまた生命力を見せてくれることを祈る。

ゴールデン・ウィークの意味

2011年04月29日 05時08分04秒 | エッセイ
 今日から長い大型休日のゴールデン ウィークである。自粛ムードから海外への旅行のニュースもかなり控えているようである。多くの人が亡くなられたことは自粛すべきではあるが、それは喪に服する期間が決まっているように一定の期間に短縮すべきであり、また全国的にするのはあえて不幸なことである。自粛ムードがマイナスの影響を大きく及ぼしている。社会は悲喜が共存することも認識すべきであろう。だからといって被災した方々やその地域に対しては引き続き感心を持ち、支援していくべきであることは言うまでもない。
 大型休日の期間で勤労していないことを補う対策をしている職場が多い。たとえば大学では15週を守るために休日分を補講するようにする。社長から考えると当然かもしれないが、実は矛盾している。論理的には日曜日の分も補うべきであろう。国家が決めて法律的な祝祭日などに労働させることは日曜日に労働させることと同様におかしい。祝祭日の設定が違憲か、補講が違憲かであろう。ただ経営者側が勤労を美徳とするようなことはよくないと思う。日曜日などで学会の研究会などで仕事や行事などを行うことは善意の合意であろう。趣旨を正しく理解してほしい。