崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「獄に咲く花」

2011年04月10日 05時52分48秒 | エッセイ
 午後1時から8時まで市民会館中ホールで映画とトークショーを見ながら時にはコメント、また9時から始まる懇親会まで参加した。古川氏の原作「獄に咲く花」は吉田松陰の獄中の恋と死刑の話しである。獄の中の恋が美しい場面でつながっており、牢屋に入るのも悪くないと思えるほど予想のイメージを破ったものである。その直後古川氏と制作者の前田登社長が登壇してトークショーをした。古川氏は獄中の書簡に恋を見つけてこれは作品になると思って小説化したという。素晴らしい着眼点である。彼は主人公の吉田寅次郎には髭茫々の顔などを監督に注文したと言ったが、この美男の明るい映像がメッセージが強く、私は監督の方が良かったと思った。最近美術賞を受賞されたのも意味が大きい。古い時代に獄中での恋によって美しく映っている映画を観た後、上映されたのはアマチュアー作「花音」である。現代家族の対話の少なさ、仕事、多忙、団欒のなさなどを表現している。前者は=恋・愛美、新しい=後者は無情で無味乾燥の対照として見た。
 また映画祭最初の日は人のお葬式を「祝い」、二日目は大野進二作「老犬に愛を込めて」では盲導犬の葬式を「悲しむ」の対照的なことも感じた。吉田大輔氏の「アニメ制作体験教室」と東氏の「仮面奇譚」を通してシンプルな画像によってテンポ早く、想像することを実感して、ついて行けない部分もあった。「土佐の潮騒」の夫婦愛、権藤博志氏の作品「カンボジジア ビールトム村」では平和へのメッセージなどがあり、楽しく、観賞した。
 遅く始まった懇親会では乾杯音頭を取らせていただいた。決まり文句の挨拶を言いたくない私としては遠慮すべきであったが、遠慮せず立った。二日間の映画祭をまとめてコメントをしたかったからである。反応が鈍い。私のように全部を見た人が少ない人ばかりであるからであろう。奥田瑛二監督、製作者の前田氏と同席して、映画論(?)が披露された。私は映画は教科書を作るようにしては失敗であると提言し、「感動」があるか、「メッセージ」があるかに大金と総力を投資すべきであるといった。彼は韓国の休戦線の南方限界線地域でドキュメンタリーを1年間も取ったことがあり、私の研究に関心をもって同行したい話まで出た。奥田氏に私は北朝鮮の映画「安重根が伊藤博文を撃つ」を彼の映画館で上映することを薦めたら大いに賛成してくれた。知恵、知識、識見、勇気のある監督である。私はここ下関で天下英才を得た孔子の心になって席を出た。今日は副産物も大きい。(写真:向かって私の右が奥田、左が前田)