崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

戻った1万円

2009年02月24日 06時03分46秒 | エッセイ
 銀行などにはほとんど行くことがなかったが、送金するために郵便局へ行ったら扱っていないという。最寄りの銀行を探して歩いた。梅、水仙やシクラメンなどの花が咲いていて花を鑑賞した。銀行の窓口ではチェキルソンという私の名前を見るだけで外国人と思われた。親切な指示により記載欄をうめて書いた。呼ばれた。領収証とともに1万札が戻された。数え間違いといわれた。なにか得した気持ちと、日本の社会の正直さに幸せを感じた。数日前4000万円を村の地蔵に供えられているのを発見した女性が喜んで「自分の金ではない」と語った表情が浮かんだ。
 お金は利益と欲心の象徴的な意味が強いが、巨額を祠に捧げた人や拾った人、金を返す人たちは汚れたお金を清めるような純粋な心を持っている。お金で失敗するニュースが毎日続く中でお金の持ち方について深く考えるべきである。守銭奴になるか、奉仕者になるか、マックス・ヴェバーは倫理観を意識している人を商売人と区別して企業人と表現している。