崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

美醜の車内風景

2009年02月22日 06時12分20秒 | エッセイ
 大阪での研究会に参加して来た。行く時大阪駅で人身事故で運転を見合わせるということで車掌のお詫びの車内アナウンスがあった。しばらくして車掌が現われて脱帽して丁寧に遅れることを説明し了解を求めた。全車両に回ることは大変だと思った。アナウンスは続いた。乗り換えに支障が生じないように情報を流した。日本の交通費は世界的に高いといわれている。このような親切さで高価を納得した。
 去年円安の時のイギリスで電車が高いのに驚いたことがある。しかしその車内にはインターネットの無線ランがあり、コンピューターを利用できたので納得した。日本の親切さとは文化が違うといえると思った。そのようないろいろ考えている時であった。私の隣列の席にある男性客が椅子の腕掛けをたたみこみ、横になって寝ているた。体調不良とは思えなかったが、車掌が近付いても反応しない。車掌さんはこの「お客様」をどう注意すべきか困ったようだが、そのままにしていた。
 今は大学でも少子化に伴い、学生は「お客様」になっており、教育が難しい。命の恩人にもなりうる医師も昔は尊敬されたが今では患者が「お客様」であり、医療ミス疑いで訴訟を起こす怖い存在だとある病院の理事長から聞いたことがある。私たちは「困ったお客様」になってはいないだろうか。