崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

弟子に謝り

2009年02月10日 05時20分52秒 | エッセイ
 40年以上大学教育に従事しているといろいろと後悔することも多くある。特に若い時に学生たちに厳し過ぎたことを後悔することがある。学生運動の激しい時、ある学生リーダーに酷く怒り叱咤したことがある。その後彼は私の前には現れることがなかった。私は常に彼が気になった。彼が卒業して20年余経っても彼のことが心に残った。私は彼の母校の行事で講演に行く時、彼に連絡するように頼んだ。その懇親会に彼が現れた。私は昔叱咤した事を話し、握手をしながら昔のことを謝った。私は弟子に謝ることこそ難しいと感じた。人に謝ること、ある国家が他国に謝罪することは難しいことであろう。しかし謝ることによって和解し、心の平安を得る。
 昨日ある昔の学生から自らを「魯君です」という電話を受けた。彼は1970年代に私が卒論を指導した卒業生、日本に留学し博士号をとり、教授として韓国の学会や研究などに大活躍をしている人である。日本では国会などで「…君」がよく使われるが韓国では大人同士では「君」が使われるのは稀である。しかし私と弟子の関係は「君と先生」の特別な関係である。このような私と弟子の関係は私と私の恩師との関係の継承ともいえる。そこには愛情も継承されているのである。