verse, prose, and translation
Delfini Workshop
蕪村の俳句(36)
2010-01-14 / 俳句
(写真)無題
昨日は深夜3時まで仕事で、いささか眠い。睡眠不足は、耳鳴りの激化を招くので、少々、しくじった。午後、ウォーキング40分。上空は風が強いらしく雲がしきりに崩れていた。夕方より兼業に向かう。最近、100円のロシアパンがマイブームである。家族が寝ているうちから作業を始めるので、腹の足しに、珈琲とロシアパンを食しているのだが、これが懐かしい。幼なじみに会ったみたいだ。昔よりも、味が良くなったと思う。
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宿かせと刀投出す吹雪哉 明和五年
■情景が目に見えるようで惹かれた。いやいやお侍さまのお刀を宿賃にはいただけませぬ、とかなんとか、亭主が言って、問答しているときに、奥からのっそりと、出てきた無精ひげの侍。一瞬、殺気立つ吹雪の夜。時代劇でも劇画でもいいけれど、何か劇が始まる気配が漂っている。
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蕪村の俳句(35)
2010-01-13 / 俳句
(写真)無題
昨日、遅く寝たので、起きたら12時回っていた。今日は、いろいろ忙しい。さて、さて。午後より兼業へ。注文していた本がアマゾンから届く。E.T. BELL 『MEN OF MATHEMATICS』、折口信夫『歌の話 歌の円寂する時 他』。楽しみである。夜、宮澤賢治の絵本「雪わたり」を読む。
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雪折も聞えてくらき夜なる哉 安永七年
■雪折の音に夜の深さを感じ取っていて惹かれた。一面の雪に雪折の音が響き、静寂がしんしんと伝わってくる。新月だろうか。
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蕪村の俳句(34)
2010-01-12 / 俳句
(写真)無題
早朝から仕事。昼寝。起きたら雨でウォーキングに行けず。午後から、だんだん小降りになってきた。また仕事。ポロック、乗ってきた。非常に面白い。夕方より、兼業に向かう。夜、だらーっとする。飯を喰う。今日も終わり。
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茶畠に細道つけて冬籠 年次不詳
■茶畑の奥に冬籠。この細道は、ほとんど、道とは言えないような道だろう。「細道」と表現したことで、芭蕉の「奥の細道」が、自然に呼び出され、冬籠が風流の旅の終着地であるかのような感じを与えている。この道のなんと遙かなことか。
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蕪村の俳句(33)
2010-01-11 / 俳句
(写真)無題
朝、叔母の歩行リハビリを行う。足腰の筋力が弱ってきていることを本人が自覚して、リハビリをしたいと電話があった。いい徴候である。午後、ウォーキング。ヘルニアは、ほとんど、問題がなくなったが、いつ再発するかわからないので、予防的に運動を継続しようと考えている。
土曜日に、哲学塾に出たのだが、そこで、ルカーチの次のことばを知った。
「資本主義か社会主義か、が問題なのではない。良い労働の行われる社会が良い社会なのだ」
実に感銘深く共感できる言葉ではないか。途上国の人間を搾取したり、くだらない商品を売って金をもうけたり、環境を汚染しても平然と居直ったり、右から左に金を動かすだけの労働が良い労働とは言えないだろう。次々に労働現場を渡り歩かされ、きつい単純労働のわりに対価が少なく、不景気になれば真っ先に首切りにあう労働が良い労働ではないだろう。立場の弱い者を最前線に立たせ、自分は部長席で報告だけ聞いて6時には帰ってしまうのが良い労働ではないだろう。資本主義か社会主義か、という二分法は、冷戦体制の終了とともに、完全に終わったのだろう。この意味で、現在、労働を基軸に社会を考え直すというのは、非常に示唆的に思われる。ポスト冷戦の思想家が、えてして、資本主義/社会主義の二分法の終焉を言いながら、結果的に支配イデオロギーに与していくのは、その理論が、労働を基軸にしていないからではないだろうか。
ルカーチは、『歴史と階級意識』が有名すぎて、そればかりが読まれてきたきらいがあるが、70年代にかけて、精力的に思索を深めていった様子が、主著『社会的存在の存在論』などからうかがわれる。
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冬ごもり心の奥のよしの山 安永四年
■冬ごもりをしている部屋から、心は自由に吉野山に遊んでいる。吉野と言えば、桜であるから、春を待つ心もあるのだろう。心の自由さに惹かれた。
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蕪村の俳句(32)
2010-01-10 / 俳句
(写真)無題
今日も快晴、朝、ウォーキング40分。カヌーの競技会をやっていた。スタート5分前に通りかかる。午後、掃除、買い物。本日、夕食担当なり。夜から仕事に入る。
黒澤の「虎の尾を踏む男達」を観る。エノケンが抜群に巧い。映画としては内容的に物足りなさが残る。ただ、1945年制作だから、敗戦の年に撮影したことになる。その点を考慮すると、驚くことしきり。
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冬ごもり仏にうときこゝろかな 安永三年
■まことこのとおりですな。
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蕪村の俳句(31)
2010-01-09 / 俳句
(写真)無題
今日は、快晴で、雲的には面白くない日となった(笑)。午後から、ウォーキングを40分こなす。ロシア語らしい言葉を話す集団と遭遇。日光浴か。夕方、叔母の用事で外出。用を終えたと思ったら、叔母の記憶違いで、二度手間だったことが判明。たいしたことじゃないが、老化は記憶力を確実に奪う。言語情報だけではなく、空間的な記憶も奪うのである。明日は我が身、というより、すでに、ぼく自身も細かいことはどんどん忘れていき、ときに、家庭内争議の元になるのである。
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居眠りて我にかくれん冬ごもり 安永四年
■究極の冬籠で、これだ! と叫んでいたのである。我にさえ隠れようとする冬籠。さすがは蕪村と思わざるを得ない。
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蕪村の俳句(30)
2010-01-08 / 俳句
(写真)無題
雲は、早朝と夕方がことに面白いことがわかってきた。朝は光が勝り、夕刻は陰影が深まる。同じ場所で定点観測のように撮るのも興味深い。上空に風のある日は、雲の動きがダイナミックである。
この頃、ウォーキングの効果か、歩くのがやたらに早くなってしまった。駅で人を追い抜く追い抜く。
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冬ごもり妻にも子にもかくれん坊 明和六年
■ユーモラスで惹かれた。こういう気分は、男ならだれでもわかるんじゃないだろか。「隠れ家」ブームにも、この気分が反映されている。しかし、妻子の方は、旦那からかくれん坊できない?
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蕪村の俳句(29)
2010-01-07 / 俳句
(写真)空と鳩
叔母の用事を済ませて、江戸川をウォーキングする。雲がダイナミックに動いていて、気分が良かった。その後、水を買って、仕事に入る。
黒澤の「どん底」を観る。原作にほぼ忠実であるが、役者がとにかく巧い。「飲む・打つ・買う」が、マルクスの言う阿片と同じように、現実逃避のはけ口になっているところが哀しいが、現代の状況も似たり寄ったりではなかろうか。マスメディアを始め、さまざまな産業を総動員して、こうした逃避ルートをいつくも用意し、けっして、社会の根源に批判の目が向かないようにしむけている。多国籍企業や財閥など、とんでもない重罪人はいるにしても、市場に関わらないと生きていけないメカニズムを作りだし、全員が貧困の加害者であり被害者であるような、共犯関係を何重にも形成している。その中で、どう生きるか、という視点で、「どん底」の登場人物を見直すと、現実の理念型として登場人物が見えてきて、なかなか興味深いが、解答はここにはないだろう。では、どこにある?
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桃源の路地の細さよ冬ごもり 明和6年
■自らの家を桃源郷に見立てる気分に惹かれた。桃源郷と言えるには、物心両面の居心地の良さがあってのことだろう。蕪村の家族関係はよくわからないが、仲が悪くては、こうは詠めないと思う。人がある個性的な成長を遂げるには、その社会的なベースが安定していることが条件になると思う。それは、俳諧師の場合、友人関係だったり、師弟関係だったり、家族だったりするのだろうが、わが家を桃源郷にするだけの家族関係を維持するのは、一大事業ではなかろうか。一見平凡に見えることほど、その内実を伴わせるのが難しいからである。
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蕪村の俳句(28)
2010-01-06 / 俳句
(写真)一月の鳥
最近、雲ばかり撮っているので、雲オタクと呼ばれている。雲の限りない魅力に取りつかれた感がある。1月は、スケジュールが厳しく、金も厳しく、息抜きは、空を見ることである。雲になっちゃいたいなぁ。
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鍋敷に山家集有冬ごもり 明和六年
■凄い冬籠である。鍋敷に西行の山家集である。恐れ多くて、ぼくにはできないが、蕪村は、生活の風景に西行を溶け込ませている。そこに、俳味を感じて惹かれた。
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フランス語の俳人たち:Yves Tissot(5)
2010-01-03 / 俳句
(写真)無題
午後から、近所の神社に初詣に行く。曇りだが、冷え込みはない。ユキオがブログとツィッターを始めたようだ。「反革命」も情報通信技術を利用するのであるから、国会近辺の政治言語ではなく、普通の言葉でいかに実のあるインタラクションができるかが問題だろう。
☆
que vois-tu derrière
et si c'était dans les têtes
je longe la grève
後ろに何が見える
見えたとしても頭の中のこと
わたしは岸に沿って歩く
■これでいいかどうかわからない。いずれにしても、大した句じゃない。
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