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蕪村の俳句(29)

■旧暦11月23日、木曜日、

(写真)空と鳩

叔母の用事を済ませて、江戸川をウォーキングする。雲がダイナミックに動いていて、気分が良かった。その後、水を買って、仕事に入る。

黒澤の「どん底」を観る。原作にほぼ忠実であるが、役者がとにかく巧い。「飲む・打つ・買う」が、マルクスの言う阿片と同じように、現実逃避のはけ口になっているところが哀しいが、現代の状況も似たり寄ったりではなかろうか。マスメディアを始め、さまざまな産業を総動員して、こうした逃避ルートをいつくも用意し、けっして、社会の根源に批判の目が向かないようにしむけている。多国籍企業や財閥など、とんでもない重罪人はいるにしても、市場に関わらないと生きていけないメカニズムを作りだし、全員が貧困の加害者であり被害者であるような、共犯関係を何重にも形成している。その中で、どう生きるか、という視点で、「どん底」の登場人物を見直すと、現実の理念型として登場人物が見えてきて、なかなか興味深いが、解答はここにはないだろう。では、どこにある?




桃源の路地の細さよ冬ごもり
   明和6年

■自らの家を桃源郷に見立てる気分に惹かれた。桃源郷と言えるには、物心両面の居心地の良さがあってのことだろう。蕪村の家族関係はよくわからないが、仲が悪くては、こうは詠めないと思う。人がある個性的な成長を遂げるには、その社会的なベースが安定していることが条件になると思う。それは、俳諧師の場合、友人関係だったり、師弟関係だったり、家族だったりするのだろうが、わが家を桃源郷にするだけの家族関係を維持するのは、一大事業ではなかろうか。一見平凡に見えることほど、その内実を伴わせるのが難しいからである。
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