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蕪村の俳句(33)
2010-01-11 / 俳句
(写真)無題
朝、叔母の歩行リハビリを行う。足腰の筋力が弱ってきていることを本人が自覚して、リハビリをしたいと電話があった。いい徴候である。午後、ウォーキング。ヘルニアは、ほとんど、問題がなくなったが、いつ再発するかわからないので、予防的に運動を継続しようと考えている。
土曜日に、哲学塾に出たのだが、そこで、ルカーチの次のことばを知った。
「資本主義か社会主義か、が問題なのではない。良い労働の行われる社会が良い社会なのだ」
実に感銘深く共感できる言葉ではないか。途上国の人間を搾取したり、くだらない商品を売って金をもうけたり、環境を汚染しても平然と居直ったり、右から左に金を動かすだけの労働が良い労働とは言えないだろう。次々に労働現場を渡り歩かされ、きつい単純労働のわりに対価が少なく、不景気になれば真っ先に首切りにあう労働が良い労働ではないだろう。立場の弱い者を最前線に立たせ、自分は部長席で報告だけ聞いて6時には帰ってしまうのが良い労働ではないだろう。資本主義か社会主義か、という二分法は、冷戦体制の終了とともに、完全に終わったのだろう。この意味で、現在、労働を基軸に社会を考え直すというのは、非常に示唆的に思われる。ポスト冷戦の思想家が、えてして、資本主義/社会主義の二分法の終焉を言いながら、結果的に支配イデオロギーに与していくのは、その理論が、労働を基軸にしていないからではないだろうか。
ルカーチは、『歴史と階級意識』が有名すぎて、そればかりが読まれてきたきらいがあるが、70年代にかけて、精力的に思索を深めていった様子が、主著『社会的存在の存在論』などからうかがわれる。
☆
冬ごもり心の奥のよしの山 安永四年
■冬ごもりをしている部屋から、心は自由に吉野山に遊んでいる。吉野と言えば、桜であるから、春を待つ心もあるのだろう。心の自由さに惹かれた。
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