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ドイツ語の散文家たち:Marx「経済学哲学草稿」(9)

■旧暦8月26日、水曜日、

(写真)秋の川


欄干の赤あざやかに秋の川

三条は女待つところ秋の川

種瓢無何有郷に遊びをり



朝、ネットで新聞各紙をチェック。最近、ペーパーの新聞はあまり読まなくなった。デリバリングシステムと、政党や宗教団体・経済団体からの広告費と印刷委託費の関係で、商業新聞は、どれも言論の自由に制限がかかっている。そうかと言って、ウェブメディアは、情報の裏を取ることよりもセンセーショナリズムを重視するので、情報の信頼性に問題がある。叔母の様子を見に行って、珈琲を飲んで少ししゃべってくる。その後、佐藤真監督のサイードを追ったドキュメンタリー、「OUT OF PLACE」を観る。朝昼兼用を食して、午後から仕事にでかける。




 これらのすべての帰結は、労働者がみずからの労働の生産物にたいして、疎遠な対象にたいするかのようにふるまうという規定のうちにひそんでいる。というのも、この前提にしたがえば、つぎのことはあきらかであるからである。つまり、労働者が骨身を削って働けば働くほど、彼が自分の向うがわにつくりだす疎遠な対象的世界がそれだけ強大になり、彼自身つまり彼の内的世界はいっそう貧しくなり、彼に属するものがいっそう乏しくなる、というのがそれである。

「経済学哲学草稿 第一草稿 疎外された労働」(『マルクスコレクションⅠ』p.310 筑摩書房 2005)


In der Bestimmung, daß der Arbeiter zum Produkt seiner Arbeit als einem fremden Gegenstand sich verhält, liegen alle diese Konsequenzen. Denn es ist nach dieser Voraussetzung klar: Je mehr der Arbeiter sich ausarbeitet, um so mächtiger wird die fremde, gegenständliche Welt, die er sich gegenüber schafft, um so ärmer wird er selbst, seine innre Welt, um so weniger gehört ihm zu eigen.

[Die entfremdete Arbeit]

■この個所は、分業の進んだ大量生産の工場労働をイメージするとよくわかるが、たとえば、芸術作品のようなものは、同じように、疎外され、物象化された労働であるが、ここに言われているような、否定的な色彩は薄い。ルカーチの言う「罪のない物象化」の一つではないか。ただ、芸術だけで食べるのは、非常に難しいから、芸術周辺の労働‐芸術教育や関連の仕事‐もする場合が多いのではなかろうか。



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