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芭蕉の俳諧:猿蓑(42)

■旧暦9月9日、月曜日、、旧暦重陽

(写真)無題

台風の風雨。今日は終日、自宅で仕事。

颱風の力まかせや鬼瓦

世を遠く南瓜一つのたたずまひ

けふ一日パンプキンパイを焼くために


『サイバープロテスト』の最終原稿は、昨日のうちに、何回か、メールでやりとりして、満足のいく形に仕上がった。こういうことが可能なのも、情報通信技術があればこそ、である。もちろん、わがままなぼくの要求に応えてくれる編集者の存在が大きいのだが。これで、6月から続いた翻訳は完全に一段落した。今後、新しいテキストに取りかかる予定。ちょっと、わくわくしている。



デイヴィッド・G・ラヌーによる一茶の英訳

tree by the gate
the year's first bird song
a foolish crow

kado no ki no aho^ karasu mo hatsu koe zo

.門の木のあはう烏もはつ音哉

by Issa, 1814




痩骨のまだ起直る力なき
   史邦
隣をかりて車引こむ
   凡兆

■この二句にも、驚いた。『風狂始末』によれば、これは、恋の場面だという。源氏物語の「夕顔の巻」の乳母見舞を口実に隣の夕顔に源氏が会いに行く場面を面影にしている。まったく趣向が変わってしまう言葉の力に驚いてしまう。次々に場面が替わり、その度に、古い物語などが呼び出されてくる。共通の教養がなければ、到底成立しないだろう。蕉門の教養の範囲と深さは、どのあたりなのか、興味あるところである。また、現代で、連句を巻くとして、いったい、共通の教養は成立するのだろうか。おそらく、しないだろう。世代が下がれば、古典的教養は、ほぼ壊滅している。今も連句は試みられているが、この問題をどうクリアしているのか、非常に興味深い。
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