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Marxを読む:「経済学哲学草稿」(1)

■旧暦5月22日、水曜日、

(写真)赤いシャツの背中

マルクスを読み直したくて、初期の『経済学哲学草稿』(1844年頃)から、ぼちぼち読んでいる。今は、ネット上に豊富なマルクスの原文テキストがアップロードされているので、各種の日本語の翻訳と比較対照することができる。昨日は、第三草稿の「貨幣論」を読んだ。26歳の青年の洞察だが、十分アクチャリティがある。

貨幣の力が大きいだけ私の力も大きい。貨幣の諸々の属性は私のー貨幣所有者のー属性であり本質的な力である。こうして、私が何であり何ができるかは、けっして私の個性によって規定されているのではない。私は醜男である、だが、私はどんなに美しい女をも買い求めることができる。だから、私は醜くない。というのは、醜さの及ぼす作用、そのおじけさせる力が、貨幣によって無効にされているからだ。……シェークスピアは、貨幣についてとりわけ二つの属性を取り出している。(1)それは目に見える神であり、すべての人間的および自然的な属性をその反対のものに変えてしまうこと、事物の全般的な混同と転倒である。それはできぬ事どうしを結合させる。(2)それは人間たちや諸国民の共通普遍な娼婦、共通普遍な取り持ち屋である。
 貨幣によるすべての人間的および自然的な性質の転倒と混同、できぬ事どうしの結合ー貨幣の神的な力ーは、人間たちの疎外されたる、外化しつつある、おのれを譲渡しつつある類的本質としての、貨幣の本質の中に存在している。貨幣は、人類の外化された能力である
  (『経済学哲学草稿』、大月書店、1984年 pp.199-201)

■「貨幣によるすべての人間的および自然的な性質の転倒と混同、できぬ事どうしの結合ー貨幣の神的な力ーは、人間たちの疎外されたる、外化しつつある、おのれを譲渡しつつある類的本質としての、貨幣の本質の中に存在している。貨幣は、人類の外化された能力である」この箇所は、原文の直訳であり、日本語としてはわかりにくい。この箇所の原文は次のとおりである。

Die Verkehrung und Verwechslung aller menschlichen und natürlichen Qualitäten, die Verbrüderung der Unmöglichkeiten – die göttliche Kraft – des Geldes liegt in seinem Wesen als dem entfremdeten, entäußernden und sich veräußernden Gattungswesen der Menschen. Es ist das entäußerte Vermögen der Menschheit.(出典「Zeno.org」)

この文章から読み取れる思想は、2つある。1)貨幣によるすべての人間的および自然的な性質の転倒と混同、できぬ事どうしの結合が、貨幣の神的な力であること。2)これが貨幣の本質と関わっていて、その本質とは、人間の類的本質の疎外であり、外化であり、おのれを譲渡しつつあるものであること。

貨幣の本質を抉りだしているが、こうした貨幣のすさまじい力と拮抗する力が社会にはまだ残っており、そのことが、人間関係で軋轢やストレス原因の一つになっているように感じる。早い話が、こうした貨幣の力に完全にアイデンティファイした夫とそうでない妻の結婚生活を想像してみるといい。貨幣の力と拮抗するこの社会的な力は広い意味での教養や知性ということもできるし、場合によっては伝統的な生活とも言えるように思う。近代が進展するにつれ、伝統は反面で貨幣の力の媒体になるという性格もあるが。
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