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芭蕉の俳句(134)

土曜日、。春疾風

午前中、眠。午後からずっと仕事。夜、本屋。藤田省三が芭蕉論を書いているのを知って、ずいぶん迷ったが、止めにした。だれも買わないまま、長く放置されて、ずいぶん汚れていたのである。



ここ数日、朝にフリッツ・ヴンダーリヒで「美しき水車小屋の娘」を聴いている。ヴンダーリヒは、伝説のテノールで、1966年に36歳目前で事故死。このテノールを始めて知ったのは、かれこれ、20年以上前になるだろうか。当時、大学のオケでヴィオラを弾いていたSさんからテープで初めて聴かされたのだった。声にいつでも余裕があり、いきいきと柔らかい。高音もごく自然で伸びやか。今聴いても、才能の豊かさを感じる。春になると、聴きたくなるCDの一枚である。



ほととぎす大竹薮を漏る月夜  (嵯峨日記)

柚の花や昔しのばん料理の間に続けて提出された句。元禄4年作。ほととぎすの一瞬の鳴き声が、あたりの静寂をいやがうえにも高めている。大竹薮をもる月夜である。光と闇、静寂とそれを破る一瞬の音楽。とてつもない、臨場感を感じないだろうか。目をつぶると、今、ここに月夜と大竹藪が現われるような。
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