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芭蕉の俳句(128)

火曜日、。今日は、娘の大学の入学式だった。式のトップに、祝賀の能「羽衣」が演じられたのには、驚いた。祝福の気分が溢れた。全体に簡素で、新入生の人生そのものを気遣い祝う気配が感じられた。



最近、感動したのは、結社の150号記念号で、冒頭に掲げられた主宰のエッセイだった。

「花は何をしなくとも存分に花であり、月は存分に月である。しかし、人が存分に人であるのはなかなか難しい。…存分にするためには少々生意気であっても結構ということ。少々どころか大いに生意気であってほしいのです。…そのためには、やはり勉強しなくてはならない。俳句でも文章でも、古今のよいものをたくさん読んでいただきたい。そして、それがつらくなったら、ゆっくり休んでください」

器量の大きさを感じる。このエッセイを読んで、地道な研鑽を積もうと改めて思った。



不精さやかき起こされし春の雨   (猿蓑)

春の雨を聞きながら、うとうと寝入ってしまったのだろう。だれかに起こされて、不精だなあと、そんな自分を振り返っている。春雨の眠りを誘う感じに惹かれた。「不精さや」と己を言うときの芭蕉には、照れのようなものが感じられて、親近感が持てた。元禄4年作。一茶に、陽炎や寝たい程寝し昼の鐘があるが、こちらは、存分に昼寝を楽しんだ様子が楽しい。
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