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ラピスラズリ

日曜日、のち。旧暦、6月28日。

このところ、寝る前に賢治の詩を読んでいる。何度か読んでいるが、この歳で読み返すと、ただならないものを感じる。賢治の詩が、モノローグではなく基本的にダイアローグの構成を取っていることも興味深い。

以前、アフガン展でラピスラズリを観てから、欲しくて、ずっと探していたのだが、今日、ストーンマーケットなるところで、勾玉型にデザインされた携帯ストラップをゲットした。宮崎駿監督のラピュタの「飛行石」のモデルにもなっていたように思う。

以前、書いた詩を推敲してみた。


ラピスラズリ

命のやりとりをする
瞳の深い女たち
火のやりとりをする
額の昏い男たち
サーレサングから
アレクサンドリアまで
ラピスラズリの道を行け
空はどこまでも深く
アフガンも深まる
文字をもつ者の驕りは
昔も今も変わらないが
希望も絶望も
今ではそんなに深くない
ラピスラズリ
無言は沈黙なのではない
良きVernunftの耳なのだ
ラピスラズリ
青は深いのではない
遥かに遠いのだ




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